○砥部町楽学大学に招かれて
県女性総合センターの所長をされていた頃からの知人である井伊磯子先生が代表を務める、砥部町楽学大学に招かれて昨夜出かけて行きました。2年半前までは同じ伊予郡だったため、青年団時代から深いご縁のあった砥部町ですが、合併後はそのご縁も切れて、知人友人はいるものの仕事で行くことは滅多になくなりました。それでもそこここに思い出がある土地なので懐かしく感じれレました。
そもそも私の話は最初6月の20日に予定されていましたが、愛媛大学の小松正幸学長さんの話が入り、加えてこの日が水曜日で私の大学講義日であるため、11月22日に変更となったのです。それにしても町民自らが運営するこの講座は井伊先生の思い入れもあって楽学という珍しい名前がついていて、何かワクワクするような気持ちになりました。この講座への私に対する講演依頼は、日銀松山支店に事務局のある県の金融広報委員会で、金融広報アドバイザーとして長年活躍されてきた丹佐杜子さんからの第一報でした。彼女とは同じアドバイザーとして長年活動に関わってきた間柄だし、井伊先生とも旧知の間柄なので断る理由もなく喜んで馳せ参じました。
集会には松山近郊らしく知識人も多く参加して、かなりレベルの高い塾とお見受けしました。私も仕事柄年中この手の集会に招かれますが、会場に入った瞬間感じられる阿吽の呼吸でその集団の持つ気風が感じられるのです。
この日は大学の最終回とあって和気藹々でしたし、年五回の皆勤賞の表彰を受ける人が殆どでした。また帰り際には女性総合センターに勤めていた青井さんからワインをプレゼントしてもらったり、その日会場を飾っていたお花を丹さんから手渡されるなど、思わぬハプニングに心がジーンとなりました。
会場には旧広田村から参加した人もいましたが、中に私の同級生が駆けつけてくれていました。この方は私が高校生の頃文通をしていた同級生です。宇和島水産高校に進学した私にとって、彼女からの便りは強い励ましとなったことはいうまでもありません。男子校だっため、彼女からの便りは仲間から随分羨ましがられたものです。高校を卒業して私が帰郷してからは音信が途絶え、3年前還暦の中学校同窓会の幹事をした折、住所の確認のため彼女の家に電話しましたが、ご主人を亡くされて間もない時だったことを電話で知り、昔の思い出を語り合うような雰囲気ではなかったことを今も忘れることは出来ません。その後何度か手紙のやり取りもあったようですが、私の忙しさが昔への回帰を拒んでいたようにも思えるのです。
お互いそれぞれの道を歩み、それぞれが時代の流れに翻弄されながら生きてきました。願わくば一度お会いして話がしたいと思っていますが、あの集会では声を掛けるのがやっとで、後ろ髪を引かれる思い出会場を後にしました。でもいい一夜でした。明くる日の今日、井伊先生から留守中と在宅中に二度もお礼の電話があり恐縮しました。私は今朝起きて直ぐに先生と丹さんにお礼のハガキをしたためて午前中投函していたので、ホッと胸を撫で下ろしました。
「楽学と 何ともおもろい 名前付け 学ぶ姿に いやはや感動」
「偉ぶらず 今も社会に 尽くす人 見習いたいと 今も残像」
「文通を していた彼女 会場に 少し照れたが 知らぬふりして」
「昨晩も またいい人に めぐり合う こうして成長 これから先も」