○買ってもらった麦藁帽子
もう二年前の出来事になってしまいましたが、人間牧場の構想を立ち上げるため双海町下灘池久保の廃園に入ったのは4月のことでした。教育長を辞し念願の自由人になった喜びに浮かれていた矢先、妻から地下足袋と麦藁帽子をプレゼントされました。ホームセンターの買い物袋に入った真新しいコハゼが10枚もついた地下足袋を履き麦藁帽子の出で立ちで人間牧場の大地に鍬をふるい、まるで西部開拓のような強い意志に燃えていました。あれから二年の月日が流れましたが、概ね五年間を目安にしていた構想の実現は息子の協力もあって予想以上の進捗を果たし、今は全国から沢山の心ある人たちを迎えるまでに成長したのです。
六十歳という人生の峠を越えて普通であれば一服し、底からは緩やかな下り坂に向かうのであろう人生を、もう一度次の峠を目指そうと決意できたのは実は妻からプレゼントされた地下足袋と麦藁帽子でした。旅には旅支度というのがあるのでしょうか、無位無官となったサンデー毎日の私に似合う旅支度はどうも地下足袋と麦藁帽子がよく似合うような気がするのです。「そんなみっともない作業着は捨てたら」と妻がいう使い古しの作業着も「まだ着れるから洗濯しといて」とねだって、相変わらずその格好だと下の下の人間風袋で農作業を楽しんでいるのです。
近頃の太陽の照り返しはひどくて、毎朝顔を洗う時自分の顔の黒く日焼けしてゆくことに気付いているのですが、別に気にもせず日焼け止めなど塗る顔でもなく平気で人前にも出ています。最近仲間から「若松さん少し元気になったみたい」とよく顔つきを見て言われるようになりました。多分日焼けのせいではないかと思うのです。胆嚢という小病を患い68キロあった体重は56キロ
にまで落ち込んだままです、ガンではないかと噂された体力もそれなりに回復し、農作業で筋力も少しだけアップししました
が、その体力を支えてくれたのはやはり妻のプレゼントしてくれた地下足袋と麦藁帽子でした。その麦藁帽子がかなり痛んできました。地下足袋も麦藁帽子も人間牧場水平線の家常備品として置いていますが、数日前わが書斎に麦藁帽子がひとつ無造作に置かれていました。「顔の色が日焼けして黒くなった」という私の言葉に反応しての妻からの嬉しいプレゼントなのです。前回買ってもらった麦藁帽子は作業に適した縁の小さいものでしたが、今回の麦藁帽子はおじさん用とでもいうべきひさしの大きいもので作業には不向きです。でもこのくらいないと夏の暑い日差しは遮れないのかも知れません。
昨日の夕方外出先から帰って夕方まで時間があったので家の外周りの草削りをしましたが、新品の麦藁帽子を被ってやってみました。仕事から帰った妻が「まあお父さん似会うじゃない」とまるで自分のことのように褒めてくれました。「お前だけじゃあ、俺を褒めてくれるのは」と大笑いしましたが、嬉しい贈り物です。多分この麦藁帽子はささやかな父の日のプレゼントとしてお茶を濁されることでしょうが、そんなに欲しいものがあるわけでもなく、これが一番のプレゼントとして喜んでいただきます。
麦藁帽子が恋しい、そして麦藁帽子が似合う季節になりました。子どもの頃近所のおじさんが麦藁帽子を被って腰に手ぬぐいをぶら下げて自転車に乗っている姿を思い出しました。多分近所の子どもの目にも私の姿はそのように映ることでしょう。
「麦藁の 帽子を被り 歩く俺 子どもの目には どんなに映る」
「父の日の 贈り物かや 麦藁の 帽子わが部屋 そっと置かれて」
「真っ黒に 日焼けしている わが顔を お元気そうでと お世辞いう友」
「化粧品 つけず六十 有余年 だから綺麗じゃ ないはずですね」