○夢工房での語らい
役所に勤める人は、意外と異業種交流の場に姿を現しません。多分公僕としての守秘義務やあらぬ噂に巻き込まれたくないという気持ちが先に立つようです。でも同業者といわれる役所の人たちだけと々傷をなめあうような会議や交流をしても、余り役に立たないものであることをもっと知るべきでしょう。10数年前県庁に勤める若手職員と市町村に勤める若手職員(果たして若かったかどうかは疑問ですが、少なくとも心の若さは持っていました)で県と市町村の垣根を越えた交流のための「夢工房」という研究会を立ち上げました。当時は県と市町村の関係は縦社会で、県は市町村を下や指導対象として見ていました。当然市町村も県を上や補助金を貰える対象としてすり寄る態度がありありでした。そんな中県民や市町村民に目線を合せたいい仕事をしようと、役所おしでありながら異業種交流とも取れる集団をつくりました。集団と行っても別に会長などの役員がいる訳でもなくこの指とまで的な性格で、2ヶ月に1回程度の集会も県内にいる著名人を呼んできて卓話を聞き、それを肴に飲むといった単純なものでしたし、今もその方法に変りはありません。昨晩も四十雀という店のご主人には叱られますがそんなに立派でないJR駅前裏通りにある縄暖簾のかかる飲み屋で会合を持ちました。昨晩の卓話者は中央省庁から県庁に出向して来られている局長さんをお招きしました。私は昇任校長・教頭研修会の後の交換会に出席していて、残念ながらその話の殆どを聞き逃してしまい返す返すも残念です。当時は若かった会員も頭に雪化粧し、早い人は私を筆頭に定年を迎える人もいたり、県庁組みは課長や課長補佐、係長を拝命し、油の乗った面々に成長しているのです。時の流れの早さを感じながらも職場のこと、家庭のことなど色々な積もる話をしました。中でも課長や課長補佐といった職責の重大さを改めて感じている話はかなりなストレスとして重くのしかかっているように感じました。
昨日は管理職についての話に花が咲きました。職場で働く人間にとって課長や課長補佐になりたいという思いは誰しも持つ当然の願望です。傍から見ている上司は威張れるし命令も出来て何となく楽をしているようにさえ見えます。「あんなんだったら私も・・・・」と思ってその歳になって管理職を拝命してみると、肉体的な労働はないもののストレスの多い知的労働が頭を悩ませることに気付くのです。ましてや職員の不祥事など自分がやってもいない不始末の責任を被らなければならないのですから、これほど割に合わない話はないのです。私はそれを夕日に例えて話をしました。ご存知水平線に沈む夕日は光の到達する時間を科学的に考えると私たちが見ている夕日は既に沈んでいる。明らかに見えている夕日は錯覚の世界です。自分の定年退職年齢時を頂点としてダブらせを羨望の眼差しで見ていた格好いい課長や課長補佐の殆どは、登りきっていないのに既に見えない部分では下り坂になっているのだということを知らなければならないのです。
昨日は偶然にも昇任校長や教頭との出会いや夢工房がダブリ、人間は何のために生き、何をするのか随分考えさせられた一日でした。その話が話題になる度に「若松さんはいい生き方をして羨ましい」と言われました。そうです。私には辞めてからもやることが幾らでもあって、むしろ現役時代より忙しいのではないかと妻が言うほど毎日背広を着て日本全国へ行脚に出かけています。友人とのそんなやり取りの中で、「いずれは私もくたばるだろうが、その日までニコニコピンピン生きよう」と思いました。生涯現役の気概で、後に続く友人たちのモデルになるような生き方をするには、まだまだ学びが足りません。ワンランクアップを目指し更に進化したいと思って会場を後に深夜の道を妻の待つわが家へ帰って来ました。
「夢紡ぐ そんな想いの 集団で 人生色々 学び今日まで」
「もう一年 すればあんたの 仲間入り どこか寂しい 定年待つ日々」
「見た目ほど 楽な仕事じゃ ありませぬ 伊達に給料 高くはないぞ」
「我々の あんたは見本 頑張って 先を走るが どうぞお先に」