shin-1さんの日記

○夕やけこやけラインを走る

 私が「夕焼けプラットホームコンサート」を下灘駅でやり、夕日のまちづくりに確かな手ごたえを感じ始めて間もなく、二つの事業を手掛けました。一つは国道の愛称を公募する事業です。その事業を始めるに当たって私は、国道を管理する愛媛県の出先機関である当時の伊予土木を訪ねました。「国道に愛称をつけたい」という私の申し出に頭のお堅いお役所は「本庁に聞いてみないと何とも」と右往左往し、結論は「国道には番号があるので愛称などもっての外」という「NO]という結論でした。開き直った私はことごとく金を出さず口を出す県庁に対し「勝手にやるから見て見ぬふりをしてくれ」と決裂状態で帰えって来ました。そして当時行政の事業としては珍しい賞金まで出してこの事業を公募し始めたのです。新聞記者の知人に記事を書いてもらい始めたところ、同じ国道を持つ隣町長浜町から「一緒にやらせて欲しい」という申し入れがありました。「まちづくりは隣町戦争」といわれるように「隣に倉が立ったら腹が立つ」ような時代だっただけに、隣町からのすり寄りは何よりも嬉しい出来事でした。しかし二つの行政が手を組むなど、ソフト事業ではやったことがなく、審査員の人選や募集の方法などで余りにも意見が食い違い、前途多難を感じさせました。

 新聞や公募雑誌で紹介されたこの事業はさまざまな形で話題となり、前代未聞と思われる外国からも応募があり、何と応募総数3800件にもなったのです。慌てたのは県と隣町でした。地元でお茶を濁すはずだった審査委員もそれなりの対応をと、県内マスコミの知識人を並べ、地元有志とともに頭を並べ慎重な審査をしました。しかし結果的に内なる人は「サンセットロード」、外なる人は「夕やけこやけライン」という意見が対立する形になってしまったのです。最後は審査委員長を務めた地元紙の部長さんが「この愛称は誰に向けて情報発信したいのか」という一言で決着し、「夕やけこやけライン」が誕生したのです。もとより私は事務局なので表向き口を挟むことはできませんでしたが、今になって秘話を明かせば、「夕やけこやけライン」こそ最高の名称と思い、密かに暗躍しながら委員長に名称を選んだ基本コンセプトまで考えてもらって誘導したのです。今やロードマップにも必ずといってよいほど記載され、ドライバーの間ではすっかり知られるようになった「夕やけこやけライン」の愛称も、静に振り返ると命名当時のことが懐かしく思い出されます。

 一昨日夕方保内町宮内公民館から講演依頼があり夕やけこやけラインを走りました。夜7時半からの会合だったので6時半を挟んでのドライブとなりましたが、右手に広がる海となんの遮りもない水平線に綺麗な夕日が沈んでい行く様は、まさに天体ショーと呼ぶにふさわしい、そして日本一と呼ぶにふさわし見事なものでした。

 それでは少しの間、ブログ画面で夕やけこやけラインの夕日をお楽しみください。

(双海町西海岸満野付近の夕日、この辺りでは国道から海面までが低くて近く、まるで金色の道ができているような錯覚にとらわれます)

(長浜町沖浦を過ぎた場所からは葦竹やネレゲヤキの樹間から南国風のムードで夕日が楽しめます)

(少しデジカメをアップにして狙ってみました。)

(長浜町須沢付近の夕日です)

(と大洲市長浜町出海辺りからとらえた写真です。何組ものカップルがガードレールに腰かけて夕日を見ながら恋を語っていました)

(八幡浜市保内町と大洲市長浜町の境辺りからみた夕日です。)

(この日は残念ながら最後の夕日は、夕やけこやけラインの終点ゴゼトンネルに入ったたため、これが見納めの夕日でした。)

 伊予市双海町高野川から始まる夕やけこやけラインは双海町分16キロと長浜町分に加え保内町のゴゼトンネルまで約40キロ余り続いています。何の特長もない変哲な一直線の道ですが、それでも海から吹き上げる潮風が満開を迎えたみかんの花の香りを漂わせ、加えて美しい夕日と穏やかな海はやはりとっても魅力的です。「夕やけこやけライン」の愛称はこれからも長く人々の心に残るロマンチックな道であって欲しいと願っています。

 宮内公民館の集会を終え再び暗闇の国道378号を少しスピードを上げ気味でわが家へ急ぎました。往路とは違い暗闇の海は車のヘッドライトの光で何にも見えず、先を走る車の赤いテールライトが鈍く光っていました。明日も天気かも・・・・。

  「この道に 愛称つけた 馬鹿がいる 周囲反対 今はすっかり」

  「まじまじと 夕日眺めて 走らせる 日本一だと 納得しつつも」

  「金色の 道の向こうに 夕日あり そのまた向こう どこの国かな」

  「もう少し 遅れて生まれて いたならば 恋の一つも 語っていたかも」


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