○5月の夕日
昨日は雨模様の前日から一転して爽やかな天気に恵まれました。夕方下灘の親類から魚を取りに来るよう連絡が入り妻の車に発泡スチロールの箱を積んで出かけました。親戚までは僅か8キロ、10分足らずの短い距離ですが、信号を左折してシーサイド公園辺りから綺麗な夕日が遮るものも泣く見えました。親類は漁師で度々新鮮な魚をくれるのです。今日は立派なチヌを2匹と甲イカを6パイいただきました。夕日のことが気になっていたものですから帰りに思いきって旧道を走って下灘駅へ立ち寄ってみました。最近はフイルムコミッションなどの紹介もあって下灘駅の人気はうなぎ上りで、最近ではNTTの宣伝にも登場している人気スポットなのです。この日も高校生らしき女性がキャーキャー言いながら携帯電話のカメラで写しながら騒いでいました。若者たちの邪魔をしないようにデジカメで夕日を2~3枚狙ってみました。
(これが下灘駅の駅舎です。駅の改札口からはプラットホームと海しか見えないシンプルな駅です。今は無人駅になって、備え付けの落書き帳のみです。かつては日本一海に近い駅として、フーテンの寅さんもやって来ました)
(プラットホームの屋根やベンチも夕日を際立たせる立派な道具です)
(これが私の一押しの夕日が沈む風景です。このショットに憧れてこのプラットホームを使ったコンサートを思いつきました。もう20数年前の若き日の出来事です。でも忘れられない光景です。
この日の夕日も綺麗な夕日で、一人で見るのは勿体ないと思いつつ、「そうだ、この頃だとわが家の裏山からこの夕日が見えるかも知れない」と急に思い立ち、急いで車を走らせました。夕日は天気と時間との勝負です、天気は心配ないとして時間を気にしながらわが家へ帰り裏山に走りました。「運、間に合った」と自分で納得しながら沈み行く夕日を観察しました。
わが家から見ると夕日の沈む海はV字型の谷の向こうにあり、春から夏にかけてしか夕日が見えませんが、こんな立派な夕日がわがyの裏漢も見えるのです。ちなみにその場所からわが家を見るとまるで箱庭のように庭や長い塀が見えます。夕暮れ時なのであるいは写らないかも知れないと思いつつ撮りましたが何とか写ったようです。
(夕日に映えるわが家と前庭、柿の若葉が美しい季節となりました。煉り塀が長く延びています)
(わが家のお粗末な庭です。妻の愛車おんぼろアルトが写っています。)
こんな位置から美しい夕日が見えるのですから幸せです。
(丁度夕日が沈んでいる辺りに長い長い鉄橋があって、ここを列車が通る姿はまたおつなもので、夕日と列車のコラボレーションはお気に入りだし、夕日が沈んだ後に通る列車の走る姿は銀河鉄道と呼んでもいいくらいロマンチックです)
夕日の町でありながら毎日夕日が見える訳でもありませんが、天気がよい日などは時たま思い出したように夕日に出会いたい心境になります。夕日を見た後私の心には何故か温かい風が吹き、何故か元気が出てくるのです。夕日は私のパワーの源だと思うのです。夕日でまちおこしをした私にしてみれば、夕日は地域資源だしお宝なのです。合併によって最近はその色も薄れ何処かに置いていかれたような感じがしないでもありませんが、私はこれからもこの夕日をしっかりと売り歩きたいと思っています。
「この夕日 沈む右端 3丁目 まるで映画の 題名みたい」
「下灘の 駅に沈みし 夕日見て 同じ夕日を わが家の裏で」
「両の手を 合せて祈る 夕日かな 明日は朝日と なりて昇りぬ」
「風誘う 皐月の夕日 ほのぼのと 余韻残して海の彼方へ」