○二次元情報は人を感動させない
えひめ地域政策研究センターのことを私たちは昔の略称名前で「マチセン」と親しみを込めて呼んでいます。この財団へは県庁や市町村、団体から出向して仕事をするのですが、普通は2年、長い人は4~5年いて仕事をして元の職場へ帰って行くのです。まちセンへの出向はまちづくりの勉強という意味合いが強いのですが、研究員になった人は優秀な人材が多く、様々な学習と仕掛けをしてそれなりの足跡を残しているようです。
主任研究員といわれる要の人は県庁の係長さんレベルの人がやってきますが、今期の主任研究員を務めた井石さんはセンターまちづくり部門の要として胃の痛むような仕事を随分こなしてこられました。今回の異動内示で宇和島地方局への転勤が決まり忙しい日々を過ごしておられることと思いますが、先日開催したえひめ地域づくり研究会議の運営委員会で、センターで過ごした思い出を振り返りながら話されたことが味わい深い話として耳の底に残っています。
その一つは「二次元情報は人を感動させない」という言葉です。実践化を自認する私にとってそれは戒めのような言葉でした。私は人の前で話をする機会が多いのですが、私の話はどちらかというと体験談です。ですから本を読んだり人から聞いた話は殆どしませんし、講演に行く前にあらかじめレジメを用意して話すことは殆どなく、その場の雰囲気を取り入れてアドリブで話すようにしています。また言葉も標準語ではなく日ごろ使っている地元の方言口調で話します。本で読んだり人の話した話を私がすれば、それは井石さんが言うように二次元情報になってしまって感動させないのです。私の話には必ず私と聴衆、私とパネラーなどの対立軸がありますが、特に何人かのパネラーがいると、その人を意識し過ぎて少しでもいい事を言ってやろうと背伸びをして、ついついいい言葉や他の人の受け売りをしがちになるのです。でも所詮は受け売りで感動の域には達しないのです。
二つ目は、人の話を聞き本を読んでその時気付かなかったことに気付くようになる」という話です。私たちは人の話を聞いても、本を読んでも自分のレベルというスライドを通して様々な事を学ぶのですが、自分のレベルが低い時に聞いたり読んだりして気付かなかったのに、何年かして同じ話や本でも随分違った感じ方をするものです。多分自分のレベルが少なからずアップした結果だと思うのですが、この自己変革こそ世にいう生涯学習の成果なのです。一度読んだ本は本棚や書籍の隅に追いやられていますが、もう一度その気になって読めば必ず新しい発見があるものです。新しい本を買って読むのも意味がありますが、古い本をもう一度読み返してみることや、同じ人の話でもその気になって聞けば心の扉を開いてくれることでしょう。
最近、山梨県甲府で知り合った龍前宏さんという方からカセットテープが届くようになりました。デジタル時代といってもカセットテープなど時代遅れな感じもしますが、これがどうして私の耳には不思議とフィットして、移動中車の中で聞くと中々面白くただ今はまっています。カセットテープは私にとって時代遅れではなく想像を巡らす最先端な情報なのです。智のレベルを上げることは容易なことではありません。私のように一応社会の役目を終わってリタイアした人間への情報など限られてくるし、覚えが悪く覚えても直ぐに忘れる年齢的ハンディもありますが、何時までも学ぶ心を忘れないでいようと、井石さんのの話を聞いて思いました。
この他にも、「民意を高めるモチベーションの補給」や「経済と現場」「センスを磨く」など幾つも心に響く言葉をみんなに向けて話しました。私はあいにくメモ用紙を持っていなかったのですが、先日妻が私の背広をクリーニングに出す時、ポケットの隅から「宇和海」と書かれた箸袋を見つけました。「お父さん、ポケットから出てきた箸袋に何やらメモをしていたので、机の上に置いておきましたよ」というのです。見覚えのあるその箸袋は懇親会の会場となった「宇和海」という料理屋さんのものでした。箸袋を見ながら忘れかけていた井石さんの話を思い出しました。メモは大事ですね。でもメモをしたことすら忘れるのですから、いい加減な男です。あっ、頼まれていた原稿を忘れた。今思い出しました。今日は書こう。
「ポケットの 底よりい出し 箸袋 赤ペンメモる 話のネタが」
「聞いたよな 話に終始 するようじゃ 人は感動 することはなし」
「改めて 同じ雑誌を 読み返す 気付かなかった ことに気付いて」
「ワンランク アップするよな 生き方を これから先も しっかりやろう」