○海事都市今治のまちづくり
70市町村が20の市町になった平成の大合併が一応の終息を見たこの頃は、合併問題でなお揺れ動いている松野町を除いて、どの市町も合併騒動が終り新しいまちづくりに向けてノロノロ運転ながらやっと動き出し始めました。勿論「金がない」、「小さな中央集権」の二文字の言葉は相変わらずですが、目ざとい首長は知恵の競争よりも自分の次なる選挙を勝ち抜くための処方箋としてまちづくりを位置づけているようです。本来なら今年は統一地方選挙の年で、県知事や県議会議員の選挙が賑やかなはずですが、合併によって選挙の分布も様変わりし、既に終えた県知事選挙は加戸さんがさしたる対抗馬もなく三選を果たし、今は水面下で合併後初となる県議会議員選挙が中盤戦となっているようです。
県議会議員から市長選に出て当選した越智今治市長さんは「海事都市今治」をスローガンに新しいまちづくり構想を発表し、しまなみ海道の玄関口としての位置づけをより強固なものにしようとしていますが、その今治で昨日まちづくりふフォーラムが地場産業センターでありました。今治市出身の世界的建築家故丹下健三さんが設計したという立派な円形の会議場は250人を超すひとが集まり、周囲には今治で既に行われている草の根のまちづくりがパネルで展示され、島嶼部や陸地部にあった旧越智郡の町村の様子がかなり詳しく紹介されていました。先日内子町で開かれたえひめ地域づくり研究会議の20周年記念シンポで招いた法政大学の田村明名誉教授の論によると、合併は自治体の合併で、地域コミュニティの合併ではないのですから合併によって埋没しそうになっている旧市町村の地域住民はそのことをしっかりとわきまえて旧市町村ごとのまちづくりを色として残しながらコミュニティ活動を進めるべきでしょうが、そのボタンの掛け違いが今の行政と住民の苦悩のようです。
昨日は産業と観光、生活と福祉、身近なまちづくり(防災)などをテーマに私を含めた3人がパネラーとして壇上に立ち、今治市以外の動きを紹介しました。午後からは3つの分科会に別れそれぞれの分科会では3人のパネラーをコーディネーターとして、今治市内の3人の事例発表を基に白熱した討議が繰り広げられました。私は第一分科会のコーディネーターを担当しましたが、「自然や歴史がおりなす人・まちづくり」について、大成経凡さん「能島の里を発展させる会」、渡邊秀典さん「今治市青年農業者協議会」、野間征子さん「しまなみツーリズム推進協議会」の発表はそれぞれに地道な日ごろの活動が紹介され、ためになる話でした。発表の跡は0分間の休憩時間に発表者への質問事項を書いてもらい、その質問にショートコメントを組み込むといった手法をとったため長いと思われた2時間30分の持ち時間もあっという間に終わってしまいました。
私はコーディネーターとして産業や観光にとって景観が大切になることを少し時間を取って議論しました。景観を守るには一定のルールがあることや、景観という無形ながら価値のあるものに気付きそれを磨き上げてゆかなければ産業や観光はなり立たないことを話しました。幸い海運業に従事しながら能島周辺で30年間活動している大成さんらの方向も、しっかりとそのことを意識しているようでしたし、野間さんや渡邊さんたちのツーリズムもいい方向に向かっているようでした。
問題はこれからです。まちづくりは住民・団体・行政が縦糸・横糸で織り成す共同作業ですが、その誘導や後押しをする行政が景観という意識を持たないで行政を行う危険性が多分にあるのです。景観行政に目覚めていない自治体は無秩序なまちをつくります。そのことを自覚させるには自治体職員をこうした研修に積極的に参加させるべきなのでしょうが、残念ながらその数は余り多くありませんでした。でもかつて越智郡といわれた旧町村でまちづくりを志した方々は会場の隅に陣取りしっかりと耳を傾けていたようで安心して旧交を温めました。
まちづくりはエンドレステープのようなものです。一つの山を越えたらまた次なる山が待ち受けています。歩を止めずしっかりとした足取りで参画と協働のまちづくりを進めた欲しいと願っています。
「フォーラムで ちらほら見える 懐かしき 旧町村の 顔が笑顔で」
「海事都市 行き交う船も 潮騒も 全て絵になる 景観ですよ」
「ツーリズム 日本語で言え の質問に 慌てふためく 浅知恵悲し」
「菊間から 出稼ぎ娘 今治で 頑張る姿 何と逞し」