○小学生とふるさとの山に登る
今日は穏やかな天気に恵まれて絶好の登山日和です。「地元由並小学校の4年生の児童15名がふるさとの山に登山するので指導をお願いしたい」と担任の中尾先生から連絡が入って、朝8時30分に学校に出かけました。健脚は衰えていないもののふるさとの山について語れるだけの知識があるかどうかも分らぬまま引き受けてしまいました。多分私より社会科専攻の中尾先生は歴史もチロも詳しいと思うのですが、子どもの教育はいつも教えている人より他人の方が、子どもの聞く耳においては教育効果が高いことを知っていての配慮だろうと勝手に創造しました。この学校の評議員をしているにもかかわらず滅多に来ないしいいアドバイスも出来ていない後ろめたさも後押ししたのかも知れません。
今日目指す山は双海町のシンボルともいうべき本尊山で低いながら標高187メートルの一山をなしています。由並小学校の校庭からは朝な夕な眺めている親しみ深い山なのです。
校庭に集合した4年生の児童は15人で、やはりこの学校にも少子化の波は押し寄せているようです。でもやはり地元だけあってどの顔も見慣れた顔で、特に秋祭りの神輿守りの行事で知り合っている子供は盛んに声を掛けてくれました。やがてあいさつや注意事項の確認をして1列に並んで校門を出発し、登山口である天一稲荷神社の鳥居まで行きました。ここからはJR線の路をまたいだり、昨日からの雨でぬかるんでいたり、またいのししののたうち後があるなど、気を引き締めて歩かないと危険なため、みんなに注意を促しながら進みました。最近は付近の畑も荒れるに任せて山道は矢竹に覆われてまるでジャングルの中を行軍しているようでした。
この山はその昔中世の城郭があった場所です。幾つもの郭があって小早川軍や長曾我部軍による城攻めにも鉄壁の守りを誇っていましたが、下から火を放たれ落城した歴史を秘めていて、今もその郭跡がたくさん残って当時を伺うことができ、ロマンを秘めた山なのです。2の郭辺りなるとさすがに岩肌むき出しの難所が続き、木陰から見える下の景色はまるで飛行機の上からでも見るような険しさでした。またこの山は魚つき保安林として指定を受けており、昭和時代まではその名残で魚見やぐらがあって、目利きの魚見さんが魚群を発見し大きなザイといううちわのようなもので魚群の位置を漁船に知らせていました。今は魚群探知機が普及してその役割を終え、伝える人も少なくなりました。
一の郭辺りに登るとさすがに視界が開け、伊予灘の海が一望でき、小学校やシーサイド公園、役場や保育園、漁港といった要所が手に取るように見えてきました。山口県や広島県の島々も遠望できました。
やがて一番の難関である山頂を目指して急な道を進みました。側には水仙の花が今を盛りと咲いていました。この水仙はもう十年も前に米袋に2つ水仙の種芋を入れて私が背負子で背負って登り、そこら辺に撒き散らしたものが根付いたものです。こんな土さえも殆どない劣悪な環境にもかかわらず、立派な花をつけていて感動しました。
やがて頂上に着くと三角点の直ぐ側に山岳会の人たちがつけたであろう「本尊山 187メートル」と書かれたプレートがありました。子どもたちは山頂の狭い石の上に上がって、眼下に見える海や県都松山の遠望を見ながら色々な感想を話してくれました。
海が広いことも、双海町の町が綺麗なことも発見だったようです。驚いたことに子どもたち15人のうち14人までが初登山だそうでした。
山頂での学習や一の郭での記念写真の終えて一路もと来た道を引き返し、2時間半の学習を終えて学校に無事帰って来まし。学校の校庭には早咲きの桜が満開となって、私たちを温かく出迎えてくれました。
子どもたちにとっては忘れられない登山になったようでした。
「ふるさとを 学ぶつもりの 山登り 心に染みる あちこち眺め」
「この子らが 大きくなりて 山眺め 今日の思い出 思い出すかも」
「眺めると 綺麗な山も 登るほど ゴツゴツ岩肌 汗が噴出し」
「角笛と 大声山彦 こだまする 風の音さえ 耳に聞こえて」