○夕日が気になる
夕日が日本一美しいと自認する双海町に住んでいながら、講演行脚を続けている私にとっては、その夕日を見ることが叶わないジレンマに悩まされています。今の時期だと日没の時間も1月1分、2月2分といわれるように毎日日没の時間が遅くなって、もう夕方7時頃でも天気のよい日は西明かりが見えるほど日が長くなってきました。多分今頃だと夕方5時半を有に過ぎる頃に夕日が沈むのです。でもその時間帯は殆どが車の中で、二日前も松山から帰り伊予市付近の車の中で真赤な太陽が海辺に沈むのを見ました。その度に「もう少し早く帰ればよかった」と残念がったり、「今頃双海町のシーサイド公園では若いカップルがこの夕日を楽しんでいるんだろうな」などと空想したりするのです。最近はデジタルカメラを車に積んでいるので旅先でもいいアングルの夕日にお目にかかるとシャッターを切るよう心がけていますが、車で移動中にはそれさえも叶わないのです。
先日香川県高瀬町の商工会女性部に招かれて研修会に行きました。田んぼの中の立派な料理屋さんで開かれた新年会とセットの研修会には、県議会議員さんや地元三豊市議会議長さん、商工会長さんなどお歴々も集まり華やいだ雰囲気で、新年会の前の講演はまるで継ぎ足しのような感じがしましたが、それでも女性部の皆さんが沢山集まり熱心に耳を傾けてくれました。三豊市という合併によって誕生した新しい街では今春商工会も合併をするとかで、その話がもちきりのようでした。まあそんな話より私の目先は着飾りお化粧した綺麗な女性群の顔々にうっとりしながら「心豊かに生きる」と題し1時間以上も話したのです。
カーナビで料理屋さんの場所を探し夕方6時からの会合だったので、冬のことゆえ少し早く到着して料理屋さんの駐車場あたりをうろうろしていると、庭の向こうに綺麗な夕日が落ちるのが見えました。このあたりの海も燧灘というのでしょうが、三豊市高瀬平野のその向こうに沈む夕日はやはり海に沈む双海町の夕日には適いませんが、それでも思わずパチリと写しました。
少し高台の冬枯れの木立がその美しさを一層引き立たせているようでした。
一方先日友人岡田さんの紹介で大阪の東尾メックという会社にお邪魔して講演をしました。岡田さんとはそんなに数は会っていないのに深いご縁をいただき、偶然大阪梅田駅近くの食堂でばったり会い、その折東尾メックへの講演依頼を受けたのです。岡田さんは東尾メックという会社のアドバイザーをしておられますが、この日は私のためにわざわざ同行してホテルまで迎えに来ていただいたり、近所の有名なお不動さんにお参りに連れて行ってもらったり、随分気配りの出来る方です。その旅の帰り、淡路島を走るバスの中から一宮辺りで綺麗な夕日を見ました。東尾メックの東尾社長や岡田さんとの出会いの余韻を感じながら見る夕日も味のある夕景でした。
この夕日が沈む町はかつて交遊した所で、今は亡き島津三郎先生や、役場に勤める一貫田達也さんと議論したことも頭をよぎりました。夕日は時として悲しく過ぎし日や逝きし人、懐かしい人を思い出させることもあります。それでも私は燃え尽きて海の彼方に沈む夕日に明日への期待を込めて見送るのです。
「訪れし 高瀬の町の 料理屋で 夕日眺めつ ふるさと思う」
「この夕日 地球上では 俺一人 見てるだけかも 心ときめき」
「淡路路を 走る車窓に 夕日落ち 亡き人思い 家路急ぎぬ」
「また今日も 潜在夕日 コマが増え 人に聞かせる 話あれこれ」