○親父が始めた池づくり
88歳の親父は何かにつけて革新的な生き方をしています。高齢ゆえに「体が弱った」と口癖のように体力の衰えを嘆くのですが、気力は衰えておらず様々なことに挑戦し続けていて、その姿勢には目を見張ると同時に私も見習わなければならないと常々思っています。数日前鯉を飼っているため鯉の業者さんが訪れ、行き掛かり上断りきれず鯉の稚魚を沢山貰ったようです。貰ってくれる相手もなく仕方がないので当面自分で買わなければならない羽目になってしまいました。家にある大きな水槽を出して水を溜め、その中で飼育しようと試みたのですが結局は夏場のことゆえ水槽の汚れがひどく、見た目に悪いと断念しました。そこで登場したのが生簀です。昔漁師をしていた経験からみかん採取のキャリーに網を被せて池の中に半分浮かせて沈めました。ところがそのキャリーには手持ちの部分に穴が空いていて、何匹かの稚魚が池の中へ入ってしまったのです。その稚魚が池の中でうろちょろするものですから、それがストレスとなって自慢の鯉が餌を食わなくなったようです。広くて深い池の中に泳ぐ場所を得た稚魚を掬い取ろうと必死にタモ網で追いかけるのですが、親父の力ではどうすることもできず、結局は私に応援を求めその殆どを回収したのです。
さてこの回収した鯉をどうするか、考えた末の親父の結論は庭の隅に小さな池を作るという計画に転化されました。最初は小さな計画だったようですが段々と本格的になって、やれセメント、やれブロックと近所の最近廃業した金物屋さんに在庫を分けてもらって池作りがスタートしました。折からの暑さなので予定地の上にビニールシートで日陰を作り、汗だくだくで急ピッチな作業が朝から晩まで進んでいるようです。私の書斎の横前辺りなのでパソコンを操作しながら私はただ傍観しているのです。しかし親父は器用です。土木作業、左官工事、造園業、配管工事何でもござれで、道具類も何でも揃っていてあっという間に仕上げてしまうのです。それでいてセンスがよいため仕上がりはとても素人がしたとは思えない立派な出来栄えにただただ驚くばかりです。
私は親父の長男ですからそんな器用さを能力的に受け継いでいるはずなのですが、私のDNAの殆どは死んだ母のものを受け継いでいるようで、一向に器用さは身につきません。コツコツと続けることはできても瞬発力がないのかも知れません。
親父は何かにつけて革新的だと述べましたが、動く距離が限られていて視野の狭くなった分だけ家の周りに目が行き届くようで、一木一草一石を見ても絶えずより以上なものを追求しているように見えるのです。例えば庭木や石は一度配置したらそれに満足しなければならないと普通は考えますが、石の配置や木の植え具合が気になると、平気で丸太を三脚に組んでチェンブロックで吊り上げ直してしまうのです。私のようにしょっちゅう家を空ける人間には、「あれ、ここの庭木がなくなっている」とか、「えっ、この石はこんな姿だっただろうか」なんて思うことはしょっちゅうなのです。
88歳の親父に教えられることはまだまだいっぱいあります。家の隅に設置している私設公民館煙会所も海の資料館海舟館もより質の高いものを求めて進化し続けれたのは、やはり親父のそんな革新的な行動力だったと陰なる力の偉大さに感心しています。25年後の私にそのパワーは存在するはずもないと今から諦めていますが、少しだけでも学び取りたいと日々精進している私なのです。
「鯉の稚魚 貰ろたどうする 池を掘る 直情的だが 親父実行」
「何にでも 没頭するから いいのです 歳を忘れて 新たな挑戦」
「器用さを 受け継ぐはずが 不器用な 人間なりて この歳迎え」
「暮らしぶり 僅かな年金 それでいて 俺よりリッチ 親父見てると」