○風呂敷がブームの兆し
私は大の風呂敷愛用者でした。「でした」というのは過去形ですが、かつては何処へ行くのにも風呂敷包みを小脇に抱えていました。ところがある日、いえある日というよりは15年前のやはりある日、鳥取市で行われた中国四国キーパーソンの集いにコメンテーターとして参加しました。いわゆる村おこし仕掛け人の集まりです。集まった人は一言居士の変わり者ばかりでしたが、そこへコメンテーターとして呼ばれたのですから私も相当変わり者だと思うのです。
その時鳥取の一青年から「風呂敷を持ったら田舎者に見える」と言われました。また酒席で「風呂敷包みを持つと東京ぼん太に似ている」と言うのです。(この話を理解できる人・東京本他を知ってる人・あなたはもう古いし賞味期限の切れ掛かった人です)。
私は風呂敷の効用について薀蓄を傾けました。風呂敷は大は大、小は小として包めること、風呂敷は日本の伝統が生んだ最高の持ち物であること、買い物袋万能、使い捨て美徳は結果的に環境を破壊していること、風呂敷は頬かむりにもなるしスカーフにもなるし、時には包帯にもなることなどの効用を挙げながら話をしましたが、彼は聞く耳を持たずカバンを持つことを私に勧め、結果的には今の愛用している木になるカバンへと話は続くのですが、風呂敷の効果は想像にお任せいたします。
「風呂敷がブームの兆し」と表題に書きましたが、最近小池百合子環境大臣が風呂敷愛用運動を提唱したものですから、一気に日本全体に広がりました。さすが顔のいい人や肩書きのいい人は違いますね。私が風呂敷愛用運動を提唱したのはもう30年も前のことです。田舎の若造の言うこことなど一笑に付されました。でも元祖や本家があるのなら私はれっきとした元祖で本家なのですから、小池大臣様そのことをくれぐれもお忘れなきよう願います。
私たちは殆ど毎日毎日来る日も来る日もお店へ買い物に出かけます。その度に化石燃料で作られたビニール製の福利に入れて我が家へ帰るのです。あの薄っぺらいビニール袋は何気なく使っていますが居ちまい2円か3円します。大きいのになると5円を越えるものだってあります。これはお店のサービス品ですがこのビニール袋も枚数がかさむと大きな費用となります。結果的には商品にこの値段が必要経費として上乗せられて商品が高くなるのです。そればかりか家へ持ち込まれたビニール袋はやがてゴミとなり清掃センターまで収集車で運ばれ焼却処分されるのです。
環境大臣の目の付け所は正しいのですが、これが大臣の任期中の人気中だから困るのです。大臣の任期は長くて2年です。どんないい考えでも次の人が出ればあっさり衣替えです。ゆとりや生きる力がいいと文部科学大臣が言うと次の大臣はそれを否定するように学力といいます。結局は国や県に踊らされた国民は「あの話は一体なんだったのだろう」と思わんばかりに終息してしまうのです。
「文部科学省と農林水産省の言うことの反対をしたら上手くいく」と極論されるように、お上の威光は案外上手く行くものではありません。せめて大臣が大臣でなくなっても風呂敷の効用は是非広めて欲しいと思います」。そうしないと折角風呂敷ブームにあやかろうとした人たちが泣くことになるのです。これは決して大風呂敷な話ではありません。
「風呂敷の 二枚や三枚 家にある 何故に使わぬ 古くはないのに」
「大きいね あなたの話は 大風呂敷 包みかねます も少し小さく」
「風呂敷が 良いと大臣 言ったから 流行り病が 日本全土へ」
「風呂敷は 田舎者の 代名詞 それじゃあ俺は 都会人だな」