○帽子の行方
私は帽子が大好きです。ですから外へ出るときは帽子を被る習慣があります。しかし帽子は家の中へ入ると脱がなければなりませんので時々忘れておいとますることがあります。昨日親類へ新彼岸の線香を手向けに行って家を出てから気がついて、再びその家へ立ち寄ってしまいました。ものを忘れるのは今始まったことではないのですが、これも歳のせいだと諦めています。
私の帽子好きは妻も承知しており、家を出る時「お父さん帽子は」、家に帰った時「お父さん帽子は」といつも注意をしてくれるのですが、「あっ、忘れた」が何度もあるのです。その都度「帽子くらいはまあいいか」なんて諦めるものですから随分と紛失し、その都度新しい帽子を買ってもらいます。昨日数えてみましたら何と私の帽子は10個を上回り、農作業用の麦藁帽子などを入れると数え切れないほどあるのに驚きました。その殆どは無造作にあちらこちらへ置かれていますが、それでも愛用と呼ばれるよく被る帽子は帽子掛けに掛けていつでも間に合うようになっています。
今気に入って被っている帽子は昨年カナダ旅行に行った時妻が買ってくれた野球帽です。濃紺の生地に前はCDのデザイン文字、後ろには英語でCANADAと刺繍されています。お気に入りといってもいい被り具合です。
私にはもう一つ被らない帽子があります。帽子を整理する度に妻から「こんな古臭い帽子は捨てたら」と言われている帽子です。それは北極まで歩いていった冒険家河野兵市さんが双海に来た時に貰った見るからにみすぼらしい帽子です。何処にでも売っているような安い帽子ですが、彼のサインが入っているのでどうしても捨て切れません。旅の途中で死んでしまった彼のことを思うと胸が痛くなるのです。彼とはそんなに長い付き合いではなかったのですが晩年、シーカヤックの大会が双海町である度に出会い、夢を語った間柄だけに何故か思い出の一品として大切にしまっておきたいのです。
酒を飲む度に忘れた帽子、船から強風にあおられて海の藻屑と消えた帽子、破けて捨ててしまった帽子、
未だに使いもしないのに箪笥の中で眠っている帽子、あなた名前を書いている帽子を下さいと言われて譲った帽子、勿体無いと捨ててた帽子を拾って洗濯して今も愛用している帽子などなど、帽子にはそれぞれの思い出がいっぱい詰まっています。私の体を直射日光から守ったり、かっこよく見せたりした帽子の数々は
今も私のよき思い出です。
「禿白髪 隠すつもりも ない帽子 被って鏡に どうだ格好」
「被らない 思い出帽子 家の隅 しまって六年 いつかは処分」
「麦帽子 恋し季節に なりました 親父早くも 帽子変えてる」
「いい帽子 褒められカナダ 持ち出して 得意満面 相手渋顔」