○今日も160キロ走りました
車とは便利なもので、私の手足となって西や東、北から南へ自由に走ってくれます。奥の細道を歩いた松尾芭蕉や日本全国を測量して歩いた伊能忠敬は自分の足で歩いて目的を成就したのですから偉いという他はありませんが、私が公共交通機関や車を使って移動する距離は、松尾芭蕉や伊能忠敬なんて比べようもないほどの距離になるのです。そういう意味での優位性はあっても、さて松尾芭蕉や伊能忠敬のように後々の世の中が評価する仕事となると、私の存在などまるで天と地ほどの差なのです。でも諦めずコツコツと潜在能力を膨らませて行きたいものです。
今日は貯蓄広報委員会の推進員研修会と社会保険事務所の研修会がダブってしまい、結果的には双海-松山-宇和島-双海と160キロの道程を走りました。中予から南予に至る国道沿線には菜の花や杏、梅などの花が咲き、街路樹のベニカナメモチは真赤な新芽を覗かせていました。しかし宇和盆地では小雪がちらついて、遠望の山々はうっすらと雪化粧するほどの戻り寒波に、道行く人は寒そうに足早に通り過ぎていました。それでも黒潮の恵みか、法華津峠を越えると春風のような爽やかな風が吹いて、ああ春が近いなあと感じました。
今日の集会で懐かしい人に会いました。私は余り覚えていませんが、私の友人の友人で「若松さん、あなたの話は直接聞かなくても、友人がいつもあなたの話をしていますので、もうタコが出来るぐらい聞いています」と言うのです。私の仲間は私のことをこんなにも話してくれているのかと思うとついつい嬉しくなりました。その人の話によるとその仲間も今年の春、つまりあと一ヶ月で退職だと伺いました。彼も私と同じでご多分に漏れず大酒飲みの部類でしたが、数年前に体調を崩し酒が飲めない体になっているそうです。人それぞれの人生があるのでしょうが、あと一ヶ月を大過なく過ごされ円満な退職をと願っています。
あと30キロの所で長浜町に出て海を見ました。落ち着くというのでしょうか、血が騒ぐというのでしょうか、私はやっぱり土の人ではなく、風の人のDNAが体内に埋め込まれているのではと思うほど、海を見ると心が安らぎます。特に子どもの頃から見慣れた瀬戸内の海はやはり私の母なる海なのでしょう。 かつて私がデザインして立てた「双海へようこそ」の看板も、長年の風雨や潮風に晒され随分くたびれているように見えました。多分こんな看板なんかに心を動かす市役所職員もいないだろうと思いながら時速60キロで菜の花畑あたりを通過しました。太陽は西に傾き、強まった北西の季節風の白波が容赦なく防波堤を越えていました。希望に燃えてまちづくりをしていた10年前とまったく変わらない風景であるはずなのに、何故か心がときめかないのは歳のせいか、それとも想いのせいか・・・・・。とにかく無事160キロを走行して妻の待つわが家へ帰って来ました。
「宇和島も近くなったよ半日で往復仕事できるのですから」
「われ語る友あり人の口伝えご無沙汰詫びて電話するなり」
「町示す看板風雨に晒されて時の流れを知るは我のみ」
「半日で百六十キロを走っても汗もかかずに文句も言わず」