○日本全国が過疎地の時代
「過疎」といえば私たちの住んでるような田舎町の代名詞のような言葉だと誰もが思っています。「過疎」という言葉の反対語に「過密」という言葉がありますが、当然大都会のように沢山の人が住んでる地域を表します。しかしこれは昭和30年代後半から起こった高度成長時代の人口移動現象であって、20世紀最後の社会現象であることを忘れてはなりません。
最近新聞や雑誌で「人口減少時代」という言葉を耳にするようになりました。国の財政が破綻し少なく抑えようと努力しても毎年、30兆円もの国債を発行しなければ予算が組めない台所事情の中で、子どもの出生率が年々低下し、追い討ちをかけるように働かないニートと年金暮らしの高齢者が増えてくると、「高齢者を誰が支えるのか」といった当然の疑問が起こっても不思議ではないのです。
日本の人口は2004年、つまり一昨年をピークに減少に転じているのです。面白い過去のデータを目にしました。日本の人口は明治維新の頃(1868年)には約3400万人くらいだったそうです。100年前の1905年(日清戦争時)には4700万人、50年前の1955年には9000万人、そして現在は1億2700万人と常に右肩上がりの増加を辿ってきました。でもほぼ50年後の2050年には1億人の大台を割り込み約9000万人なると推計されているのです。そんな馬鹿なとお思いでしょうが、様々なデーターを基に偉い先生たちが推計するとこうなるのだそうです。
私たち夫婦は1+1で=4人の子どもを生み育てていますが、世の中には独身を貫く人や1組の夫婦が産む子どもの数は1.3人を割っている現実からするとなるほどとうなずけます。
私たちの町は昭和30年代後半から深刻な過疎化に悩まされてきました。日本全国の中山間地域は政府から「過疎地」として指定され、手厚い財政支援を受けて「過疎対策事業」を実施してきましたが、その効果は殆どなく、田舎の過疎地が過疎対策によって便利になればなるほど過疎が進行してゆくという悪循環が今も続いているのです。
私たちの町や村の代名詞だと思っていた「過疎」という冠は地方の「市部」にも及び、八幡浜市は過疎地に、そして愛媛県全体でも過疎が深刻な悩みになってきました。
さてどうするといわれれば妙案は「子どもを生もう」運動くらいしか思い当たりませんが、「人口の過疎」をよりもっと深刻なのは「心の過疎」だということを、肝に銘じなければまだまだ続く21世紀は乗り切れないようです。
「俺の家五十年前比較すりゃばあさん二減子ども四増」
「人口は定住交流足したものこんな町でも五十五万人」
「そういえば年寄り増えて子ども見ぬ俺も年寄り他人事じゃない」
「世の中にゃ過疎を逆手の人がいる人間牧場それら集めて」