○対等合併なんて嘘っぱち
このところ市町村のまちづくり研修会に招かれることが多くなりました。それらのまちは既に合併したまち、これから合併しようとしているまち、単独で残ろうとしているまちなど様々ですが、特に合併したまちで大きなまちと合併せざるを得なかった小さなまちやむらの役場職員からは、ため息ともとれる諦めにも似た意見が飛び交っています。
その意見の中では「対等合併なんて嘘っぱち」という意見が圧倒的に多いようです。今回の合併は一部を除いてその殆どが対等合併というスタートを切っています。役所の位置や新しいまちの名前、議員の定数など、思惑の総意から合併話が壊れたりリコール運動に発展した事例を考え、せめて穏便にことを運びたいと願う法定協議会の方針もあって、旧市町村には総合支所を置いて、行政サービスは高い方に、負担は低い方に合わせると公約で合併したものの、結局は僅か一年足らずで大きなまちの行政事務に合わされ、権力も集中してしまっているのです。
「約束が違う」とか「こんなはずではなかった」とか小さなまちや村の職員は陰口をたたいていますが、結局は大きな声になることもなく今日を迎えているのです。
「若松さん、あなたのまちも同じですか」と相槌を打ってもらおうと話しかけてくるのですが、「どうしてそんな声を大きな声にしないのです」と切り込んでも、「私一人くらいが言ってもどうにもならないことですし」と口をつぐみ諦めてしまうのです。彼らがものが言えないのは職員数が増え役職は下がる人がいても給料は高い方に合わせてもらえるし、止めさされないで済むからかもしれません。しかし自分のことだけならそれも良いでしょう。しかし大切なことは行政サービスを受ける住民の立場は一体誰が守るのか、真剣に考えて欲しいと思うのです。
新しく撰ばれた首長だって議員だってそうです。殆どの市町村が昭和30年の昭和の大合併以来半世紀にわたって築き上げたまちやむらの特徴をいとも簡単に平準化という名の下になくしてしまおうとしているのです。
平成の合併は旧市町村の色を残して新しいまちを作って欲しいと口を酸っぱくして言ってきたけれど、どうやらその願いは届くことなく新しい年度の予算が組まれようとしているのです。
合併した役所の口癖は「金がないから何も出来ない」という言葉です。私の造語に「金がなければ知恵を出せ。知恵がなければ汗を出せ。汗もでなけりゃ辞表出せ」という言葉がありますが、まさにその言葉を関係の皆さんに贈りたいものです。「対等合併」とは一体何だったのでしょう。旧市町村の特長を生かしたパートナーシップ、行政と住民の協働、こんな言葉がむなしく聞こえる今日この頃です。
「対等と言ったはずの合併も終わってみれば大きい所に」
「あんたらは給料上がっていいけれど市民の暮らし役所遠のく」
「行政は借金あっても倒れない責任取るのは結局市民」
「お役所は二言目には金がない思いやられる俺らの未来」