○平成7年1月17日その日私は
早いもので阪神淡路大震災から今日で11年目を迎えました。平成7年といえば今ではすっかりお馴染みとなった「ふたみシーサイド公園」のオープン年ですから、私にとっては記憶も一入です。平成17年1月17日の震災が起こった時間、私はオープンを目指すシーサイド公園イベントホールの、何と水槽の中にいたのです。水槽は一週間おきに中に入って汚れを落とす汚くてきつい作業があるのですが、私はその日も早朝5時からその作業を行っていました。西の空も白んで水槽の掃除も一段落しようとしたした時、5本ある水槽の一つに飼っている多きな西洋ナマズが外に飛び出しました。私は急いで水槽の外へ出たそのナマズを元の水槽へ戻したのですが、再び水槽の中のバケツを出そうと中に入った瞬間グラグラときたのです。「地震かな?」くらいでさほどの体感はなかったのですが、家へ帰って風呂を浴び出勤準備をしながらテレビを見ていると、長田町の惨事が大きく映し出され事の重大さに気付いたのです。
あれから11年が矢のように過ぎ去り、人々の記憶も薄れ阪神淡路地域は見た目は立派な復興を遂げました。しかし今なお水面下では大きな後遺症に悩んでいるようで心が痛みます。その後起こった新潟地震や今冬の大雪災害を見るにつけ、非常時の備えの大事さやボランティアの大切さ、それに地域コミュニティの意義を感じます。
それにしても、あの地震がもう少し近くで起こっていたら、私は水槽の中で人生を終わっていたかもしれないと思うとゾッとします。水槽の掃除はあれから退職するまでの10年間ずっと続けてきましたが、水槽に入る度に阪神淡路大震災のことを思い出したものです。
それにしても地震の度にいわれる「ナマズと地震の因果関係」は私の見た限りでは当っているのではないかと思います。地震の直前に西洋ナマズが水槽から飛び出したのをこの目ではっきりと見たのですから。
震災の日にふしだらな発想も慎むべきとは思うのですが、もしナマズに地震予知能力があるのであれば、あちらこちらにナマズを飼って予知させるのも一考かと・・・・・・。
「水槽のナマズ地震を予知してか外に飛び出すわが目で見たり」
「天災は忘れた頃にいうけれど忘れちゃ困る阪神淡路」
「復旧の阪神淡路バスで行く時の流れの何と速いか」
「南海は何回来るか分からない難解地震予知のすべなし」