○暦は薮入り
読んで字の如く余り「迷信」は信じないようにしているのですが、妻や親父は暦を見て「今日は大安で日がいい」などとよく言います。長男の結婚式も妻の見立てで大安吉日を選びましたが、その支払いに式場へ出かけたところ、「多分今日は仏滅だから結婚式はないだろう」と予想して行ったのに、仏滅ながら何組も結婚式があってびっくりしました。式場の人に聞くと「今の若い人は暦なんか信じず、仏滅はかえって空いていたり格安なので逆にそこを撰ぶ人が多いようです」と言うのです。「世の中も変わったものですね」と驚いたのは妻でした。
しかし大安や仏滅は別として旧暦が少しずつ見直されようとしています。現代の暦は太陽暦ですが旧暦は陰暦といわれるように太陽の明るさに比べたら月の明るさは比較にならないほど暗い月の満ち引きによって暦が作られています。その旧暦は自然をなりわいとする農業や漁業にとって極めて大切な暦なのです。百姓さんが米を作る作業も漁師さんが網を入れるのも全て旧暦が使われているのです。
旧暦の仕組みは勉強すれば面白いことがいっぱいあるのでしょうが、そんな知恵も余裕もないので勉強はしていません。でも寒の入りや大寒はおおよそ寒さのピークを言い表せているのですから信じないわけには行きません。
今日1月16日は新暦の薮入りです。私が若いごろはといえばさも古い人間のようですが、結婚した頃は薮入りという風習があって、妻の実家へ里帰りに行きました。長閑な時代だったのでしょうか、この日は役場も気を使って昼からは最低限の人を残して半ドンにしていました。妻の実家は街の中で藪などないのに何故薮入りか不思議に思いつつ、今もその謎は解けていませんが、妻の両親が亡くなった今では薮入りもなく、また母の亡くなった我が家へも薮入りに来る兄弟はいなくなりました。
二日前、突然にわが家へ電話がかかってきました。「お父さん」と聞きなれない若い女性の声が電話口から聞こえてくるのです。聞きなれた長女娘の声でもなく一瞬たじろきましたが、その声の主は長男の嫁の声だったのです。いきなり言われた「お父さん」の声に正気を取り戻すのに少々時間がかかりましたが、お母さんに代わってくださいと言われ代わると、「明日は日曜日なので行ってもいいですか」だったようです。妻曰く「薮入りのつもりかねえ」。私はすっかり薮入りのことなど忘れていました。
「藪から棒言われて薮入り思い出すどちらの藪を目指すか息子」
「今朝の月まるで昼間の明るさで庭先照らす息子出てゆく」
「ジャガイモを植える準備の忙しさ暦めくりて種芋頼む」
「餅を焼く昔は七輪今レンジ膨れっ面は今も昔も」