○発想の転換
若者のよく利用するお店にコンビニがあります。私たちの町のような田舎にはコンビにも1軒しかありませんが、松山周辺に行くとこれでもかといわんばかりにコンビニがあり、視界の中に3つも見えることだってあるのです。先日田舎出身の若者に会ったら、「俺の村も田舎だと思っていたらコンビニが出来ちゃって」とうれしそうに自慢話を話すのです。若者の暮らしは最早コンビニなしでは立ち行かないのかも知れません。
しかし、コンビニ社会を支えるエコノミック発想もこれからはひょっとしたら変化するかも知れません。
エコノミック発想の基本は、①もっと使わせろ、②もっと捨てさせろ、③無駄遣いさせろ、④季節を忘れさせろ、⑤贈り物にさせろ、⑥きっかけを投じろ、⑦流行に遅れさせろ、⑧気安く使わせろ、⑨混乱を作り出せだそうです。これらの条件のどれもが人間を無視し自然を無視した状況であることに、日本人の殆どは正直まだ気がついていません。気がついていても「私一人でこの大河の様な時代の流れを止めることはできない」と諦めるでしょう。しかし、「俺がやらなきゃ誰がやる」の気概を持った人が出なければ今の日本は変わらないのです。
私の父は88歳になりますが、発想の豊かな人間です。今日もこんなことがありました。私の家には私設公民館「煙会所」と海の資料館「海舟館」という二つの私設があります。その真ん中に通路があるのですが、冬になるとその通路を北西の季節風が容赦なく通り抜けます。父は何を思ったのかこの通路に廃材のサッシで防風んための戸を私の知らない間に入れました。私は格好が悪いから止めろと言ったのですが、聞く耳持たない親父はそのまま作業を続行しています。親父の発想は「風が吹きぬけて寒いから風を止める」から始まります。そして金をかけず風を止めるには集めた廃材サッシを使い自分で作業することを選んだのです。私だったらまず「格好」と周囲を気にしますが、父はあくまでも自然の風と向かい合っているのです。結局は親子の意見の食い違いの溝は埋まらず、春になったら取り外す約束で認めざるを得なくなりました。風は強風から微風に変わりましたが、今年の寒さが尋常でないだけに助かりました。やらないことをやれないといってる私よりよっぽど発想も実践もしっかりしています。この分だと90を超えて生きることでしょう。
発想はやはり自然体、疑問を知恵の原点にする。その知恵を実行に移す。いい見本が側にあります。親父の3分の1も年齢が若いのに、発想は父の足元にも及びません脱帽です。
風が吹く。この風で風車を回したら電気が起せる。風車を作りたい。金が要るから止めとこう。まあ現代人の私たちの発想はこんなものです。
「芋食うて出るガス生かせばガスボンベ買わずにすむと思った昔」
「この知恵は金になるかも知れないと思う瞬間アイデア枯渇」
「偉そうな口は叩くが手や足は動かず終いのアイデア倒れ」
「散る葉っぱ商品にして大もうけ誰でもできそう誰にもできぬ」