○辛さと幸せ
この2字を見てよく似ているなあと何時も思います。鍋蓋と土蓋だけでこうも意味合いが違うものなのでしょうか。鍋蓋は辛いと読みます。鍋の中のお湯がグラグラ煮立てば熱くてたまらなく、本当に辛いのです。一方土蓋は幸せと読みます。人の名前にも幸子という名前が付いているくらい人々は幸せを求めています。多分土の持つ温かさや包容力、植物を育てる土の力が幸せをもたらすのだと思います。
私たちは仕事をする場合、人に命令されたりその仕事に身が入らないと辛さを感じます。一方自分の意思で使命感に燃え進んで仕事をすると幸せ感を味わうことができます。辛さと幸せのどちらを与えれば仕事の効率が上がるかは誰が考えても一目瞭然ですが、実は世の中幸せに暮らしたいと幾ら思っても以外と辛いことが多いのです。
私の経験でも辛い仕事は随分ありました。町を二分するような町名変更騒動を担当した時は、側で見かねた妻が「そんな辛い仕事なら辞めたら。私も働くから」と助け舟を出してくれました。今考えても辛い仕事だったと思います。まt夕日をまちづくりのテーマにすえ、シーサイド公園を建設する時も「何処にでもある夕日が何故双海町の地域資源なのか。巨額の投資をして人が来なかったり赤字になったらどうするのか」と沢山の反対に会い、孤軍奮闘辛い日々を過ごしました。
でも私には希望があって辛い仕事を辛いと思わず、辛い仕事の後には必ず幸せがやって来ると信じて、決して逃げることなく、辞めることなく幸せの青い鳥を追い求め続けました。結果は鍋蓋の蓋が取れ、土蓋に変わったのです。
こんな公式を思い出しました。①与える幸せ-与える辛さ>0 ②与える幸せ-与える辛さ<0の2種類です。①派辛さを与えるより幸せを与える方が大きい働き甲斐のあるやり方です。②は辛さの方が大きい働き甲斐のないやり方です。私の場合は世間の風は冷たかったのですが、家庭やトップの温かい励ましが①の方式を生んで行きました。いい家族、いいトップに巡り会うのもまた幸せの第一歩なのです。
「振りかえりゃ何でもないと思うこと何であんなに辛かったのか」
「幸せと辛さ文字まで良く似てる表幸せ裏なら辛い」
「幸せは皆身にあると人は言う心持ちよで辛く感じる」
「一生は辛さ幸せ交互来る足して二で割りゃ皆同じなの」