shin-1さんの日記

○会社を辞めたい人の言い分

 私の知人奥さんからある相談があると電話がかかってきました。コーヒーを飲まない私ですが、指定されるままにある喫茶店へ出かけました。主人は役場に勤めて20年の中間管理職です。奥さんの話を要約すると、正月休みの昨晩、主人が役場を辞めたいと言い出した。唐突な話の中には「俺にはもっとやりたいことがある」「目標を見失ってしまった」「俺の言うことを課長は聞いてくれない」「このまま仕事をしていいのか不安である」「給料が上がらない」など、沢山の今を否定するような言葉があったのだそうで、眠れぬ夜を過ごしたらしく、目を真赤に腫らして泣いていました。

 奥さんは「子供が3人、今は教育にお金もかかるし、私も働くから辞めないで」と言ったのですが、ご主人の決意は固く、辞表まで書いて仕事始めに持っていくということでした。

 ただ事ではないし、辞表を出せば今の社会は止めもせず一巻の終わりだからと私に助けを求めてきたのでした。「話は分かった。出来るか出来ないかご主人に話をしてみましょう」と言わざるを得ない雰囲気で、「とにかくご主人に私の家へ来るように伝えてください」と言って分かれました。

 昨日昼過ぎその男性は私の家へやって来ました。論客の彼は難しい表現でおおよそ次の5つをまくし立てました。奥さんの話と一致していました。

 「自己実現」がしたい。公務員のような縛られた生活が窮屈である。成果を実感出来る自分で商売がした。

 「目標を喪失」した。町を良くしたいと思って役場へ入ったが、自分の目標とは程遠い逆々の職場へ配属。

 「上への不振」を持っている。課長と部下の板ばさみ。特に課長とは上手く行かない。 

 「将来への不安」がある。このままで自分の将来は終わらせたくない。

 「待遇」が悪く、妻からも給料が安いといつも文句を言われる。

 本人の口から出た言葉は、多分日本の中間管理職の誰もが、そして会社を辞めたいと思っている人のおおよその言い分だと思うのです。

 私は彼の話をじっくり聞き、妻が出したお茶請けの煎餅を机の上に並べて、町、職場、家庭の人間関係について話してやりました。自分という人間の重要性と自分を巡る人間関係について煎餅を動かしながら様々な角度から解き明かしました。彼の言い分には「自分という物差し」でした。彼には上司に部下という職場、奥さんと子供という家庭、役場職員と町民など様々な人間模様が隠されています。自分という物差しでしか自分の人生を見れない人間では大人とは言えないと厳しい口調で激論しました。多分彼の意志の固さを解きほぐすには時間がかかるでしょうが、「辞表はそれからでも遅くない」ととりあえず彼は帰って行きました。

 役に立ったか立たなかった、結論はまだ先送りされたままですが、一応奥さんに電話でことの成り行きを報告してたった今、受話器を置きました。悩み多い2006年の幕開けです。

  「辞めるとはただ事ならぬ出来事と思わず受話器涙の声に」

  「ぬくぬくと暖房効いた部屋中で仕事が出来る感謝をせねば」

  「物差しを沢山持てる人になれ私の教え今は聞こえず」

  「私など辞表を書いた記憶なし根明の私にゃ理解が出来ぬ」

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