○久しぶりの金毘羅さん初詣
私たちの町は漁村です。「縁起を担ぐ」という言葉がありますが、縁起を担ぐ漁民にとって金毘羅さんは大きな信仰対象の神様です。その昔交通が不便な頃は金毘羅さんに滅多に行くことも出来ないから、それぞれの地域に金毘羅さんの遥拝所が設置されていました。今はそのことを知っている人もお参りする人も少なく廃れようとしていますが、潮風ふれあい公園には立派な金毘羅さん遥拝所が残っています。
私たちが子どもの頃は、夏になると新造船が船降ろしをすると船に乗って金毘羅さんへお参りする風習がありました。滅多に県外へ出ない子どもの頃のことなので、胸をときめかせて乗りました。多度津か丸亀の港に着いたら琴参鉄道に乗り金毘羅さんで下車後長い石段を、お土産屋さんを眺めながら上がったものでした。
双海町を午後8時に出発し高速道路を使うと約2時間で金毘羅さんに着きます。息子夫婦と私たち夫婦、それに次男の5人が行きましたが、次男はあいにく車に弱く酔って車の中で休憩と相成りましたが、夜の金毘羅さんの石段を汗をかきかき登って行きました。妻はフーフーいいながら遅れ気味、私も朝から鍬を持っての農作業の後なので多少きつく感じましたがそれでも30分余りで本殿に到着しました。
さすが森の石松さんも代参に来ただけある天下の金毘羅さんだけあって、夜だというのに引きも切らずの参詣の人たちに出会いました。でも殆どのお店は初詣の喧騒が去った後で、早い店じまいをしていました。
何年ぶりかの参拝は新婚夫婦と一緒でしたので、少し歳をとった感じがしましたが、一年の始まりをこうして元気にお参り出来た幸せを感じています。
しかし宗教信仰は大したもので、参道の両側には御影石に一金壱百万円と深く刻まれた寄進標柱が山頂まで立っており、それを見ながら「ある所にはあるものよ」「私たち庶民には」などと話しながら登るのです。御影石の石灯篭寄進も数多く、「○○社長××」などと明らかにPR用の寄進と分かる物も数多くありました。「あの会社の隆盛はさぞかし」と思うやっかみも少しありました。
「石松も登った階段一つずつ数えてみたが数えきれずに」
「俺の名も先祖の名前も刻まれぬ標柱読みつため息吐息」
「手を組んで歩こう妻の大胆さ人が見てると振りほどき前」
「讃岐路はうどん看板これでもかブームはいつか去るというのに」