○合併記念式典に思う
新しい市の広報区長(旧町の区長)をしているので、先日新しい市の合併記念式典の案内をいただきました。あいにく父親の88歳米寿の祝いを計画していたものですから、欠席のおはがきを出しました。集会を計画する側からすれば、私のような欠席者は合併記念式典のような公的で重要な集会を欠席するとは何事かと、お叱りを受けそうですが早いうちから計画していたことであり、済まない気持ちでいっぱいでした。
先日その集会に行かれた人から当日の様子をお聞きしましたが、3つの意見を述べておられました。一つ目は普通こうした式典は飲み会がつき物ですがなかったそうです。お金が無いという理由は分かるが、せめて会費制にでもして、会食交流できたらよかったと酒飲みの言い分を言っていました。酒がないと会ではないというこれまでの考えは改めた方がよいのではという私の意見も述べました。
二つ目の意見は祝辞がやたらと多かったし、県知事も出席していないとぼやいていました。合併は県も強力に推進したのだから、日程調整して県知事さんにも出席して欲しかったとの事でした。知事さんも何かと忙しい人だから、何か重要な公務があったのでしょうと、知事さんの気さくな人柄を知っているだけに、余り勘ぐらずない方がよいと私の意見を言いました。
三つ目の意見は新しい市になって、新しい市が何を目的にどう進もうとしているのか見えてこなかったというのです。愛媛県内では20の市町に再編され、村は残念ながらなくなりました。その20市町がこのところ合併記念式典という行事をしていることは、新聞紙上でよく見かけます。しかし中身は一律で新鮮味が無く、もう少し新しいまちの主張があるべきだというのです。この件に関しては私も同感です。合併記念というのであれば、出席した人たちに式辞や祝辞で合併の意義は伝わるでしょうが、一般市民には中々伝わってきません。ある人が地域事務所を訪ねて「今日は合併記念式典があるそうですね」と話したら、「えっ、そうなんですか」とまったく知らなかったようでした。
合併後の新しいまちがどうなるのか、私たちも心配です。新しいまちを私たちはふるさととして語らなければなりません。その意味からも、あったことを広報で市民に伝えるだけでなく、あるべきことを市民に伝えたり、ともに考えるようなまちづくりを望みたいものです。
新しい市に私は人間牧場を開きます。そして新しい市に多くの人を呼び寄せたいと思っています。私に出来ることをコツコツと・・・・・・。
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10月26日にお話を聞いて以来、毎回楽しみに読ませていただいています。私自身もブログに興味を持ち、何とか挑戦したと考えているところです。
ところで、県下で最古の木造校舎。春か秋の天気の良い休日に「木造校舎の廊下や壁板を磨きたい人は雑巾持って寄っといで」なんて企画すると、参加者は雑巾がけをしながら昔を懐かしむ。学校は奇麗になる。こんな企画は如何でしょうか。思い付きの考えなんですが…。
お考えをお聞かせください。