shin-1さんの日記

○クモの巣の幾何学模様は面白い

 今朝起きて書斎の窓を開けると抜けるよううな空の青さの中に、何やらクモの巣が夜露を浴びて光っていました。クモの巣は暮らしでは厄介者ですから、普通は箒などで取り払うのですが、その幾何学模様の余りの見事さに時の経つのも忘れて見とれてしまいました。

 これは面白いとデジカメを取り出して写真に撮ろうと試みましたが、カメラは人間の目のように鮮やかな姿をとらえることができずついには断念してしまいました。というのも今のデジカメは全てオートピントのため、カメラから発射されたピント制御の光はクモの巣を通り越して背景に反応してしまうのです。でも人間の力では不可能と思えるクモの巣の幾何学模様は見れば見る程美しく、しかもクモの種類によってクモの巣の造り方が違うようなので、クモの不思議に挑戦してみる価値はあるかもしれないと思いました。

若松進一ブログ

 私たちが子どもの頃は戦後間もないこともあって、遊び道具など殆どない時代でした。ゆえにカブトムシやクモさえも遊び道具の一つでした。クモには大臣クモというクモがいて、それを木の枝で捕まえてきてクモ同士の喧嘩をさせるのです。喧嘩の強い腹や背中に金縞の入った太い大臣クモを持っていると、子ども世界では優越感が得られるとあって、野山に探しに行きました。どういう訳か喧嘩の強いわんぱくな子どもが持っているクモは強くて、私などが持っているクモは喧嘩でいつも負け、「頑張れ頑張れ」という応援など聞こえないのかすごすごと逃げまどう有様でした。手に汗握ってクモやカブトムシの喧嘩を応援した懐かしい少年時代は思い出の彼方に消えてしまいましたが、もう一度あんなワクワク・ドキドキするような遊びをしてみたいものだと思いました。

 部屋に入ってテレビのニュースを見ていると、偶然にもクモの巣の話題が出ていました。途中からだったのでどこの誰かも分らず終いでしたが、クモの巣を収集している人がいるそうなのです。何でもクモの巣を青い色の紙のようなものでそのまますくい取り、その上に固定させるスプレーのようなものを吹きかけていました。そうして作ったパネルをかなりたくさん集めていて、各地で展示会をしているそうなのです。一つとして同じもののないクモが造る幾何学模様の巣の造形美は、とても魅力があると語られていました。世の中には暇で面白い人がいるものだと笑ってしまいましたが、密かに自分もやってみたいと思ったりしたのです。

 わが家は海沿いの町ながら山沿いにあります。ゆえに家の周りはクモの巣城ではないかと思うほどクモの巣が、除けても除けても造られるのです。クモの巣が張ったままだとどこかみすぼらしい手入れの行き届いていない家に見られるので、気がつけば出来る限り片づけるようにしていますが間に合わないのが実態です。でもこれが収集となるとこれまた面白い話に発展するかも知れませんね。

  「何見てる 妻が横から 不思議がる クモを見ている ?首をかしげる」

  「クモの巣は 見れば見るほど 美しい あれを造れと いわれ造れず」

  「ひょっとして クモの巣集め ひと儲け 暇があるのか そんな考え」

  「クモ喧嘩 手に汗握り したっけな 今の子供に 伝わるはずなし」

 

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shin-1さんの日記

○今年もいい夕焼けプラットホームコンサートでした

 昨日も忙しい一日でした。本当は午前中鱧祭りに参加したかったのですが、以前から決まっていた大阪からの取材と広島のお客さん対応に追われ、午後は香川県高松市三谷地区の皆さんと人間牧場での研修、それに恒例の夕焼けコンサート鑑賞と、まあ目が回りました。それでも息子が家族でやってきて、人間牧場で水平線の家の掃除をしてくれたり、三谷の皆さんたちに足湯のサービスをしてくれたりしてサポートしてくれました。三谷の皆さんは一週間前にも水仙の球根堀にやってきた折、人間牧場へ来ているのですが、溝渕さんや三好さん以外は人間牧場は初めてらしく、感動の面持ちでした。私の話や足湯サービスの後はお定まりの場所でお定まりのポーズの記念写真を撮りました。このアングルでもうどれ程の人が写真に収まったことでしょう。

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 一行を見送り、水平線の家の簡単な掃除とロケ風呂の湯抜きを行い急いで下灘駅へ引き返しました。下灘駅は既に夕焼けコンサートの準備も整い、観客が集まり始めていました。やがて午後5時になると小林真三さんの司会でコンサートが始まりました。天気予報では晴れ時々曇りでしたが、西の空に雲がかかり、夕日の行方が心配されました。会う人たちは私が夕焼けコンサートに長くかかわってきたことを知っているのか、「若松さん、今日の夕日は出ますかねえ」などと、聞いてくるのです。「多分大丈夫でしょう」といい加減な返事を繰り返していましたが、時間が経つにつれて雲が取れ、綺麗な夕日が見え始めました。音楽もさることながら、じゃこ天やビールを片手にほろ酔い機嫌の観客の顔を、真っ赤な夕日が照らして雰囲気は最高になりました。

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 この日は私と交流のある香川県高松市三谷地区のバス一台のお客さんも加わり、また遠路はるばる毎回のようにやって来る、広島県大竹市の元青年会議所理事長の森本さん夫婦など、沢山の顔見知りの顔も見えました。24年前、誰にも相手にされず私一人で始めたコンサートが、4半世紀近くの24回も続くとは私自身も思っていませんでした。これまで陰で支えてくれた多くの人々に感謝しなければなりません。今では私の人脈で観客を集めるくらいしか役割はありませんが、もう少し続いてほしいと願っています。

 少しだけ夕日やコンサートの雰囲気をお楽しみください。

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 最後に夕焼けトロッコ列車がホームに滑り込んできました。空はサーモンピンクの夕焼けです。フーテンの寅さんもやってきた日本で一番海に近かった下灘駅は、ひなびた無人の駅舎やプラットホームの屋根とベンチだけの質素なたたずまいが、夕日を余計引き立たせる道具立てとなって、郷愁をかきたててくれるのです。頬を撫でる爽やかな初秋の風も、鳴き始めた虫の声も、舞台で歌う人の音楽や歌声も全てが絵になる光景で、少しだけ感傷にふけり涙が出そうになりました。このコンサートでやっと今年も暑い夏が終わったという感じがしました。


  「金もなく 何にもないのに この場所で 始めたことが 24年も」

  「若かった あの頃私 無鉄砲 今ならやらぬ 多分やらない」

  「イベントは 続けることの 意味ありて 多くの人の 想い集める」

  「今年また 遠来の友 やって来た 感謝をしつつ 夕日見つめて」

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