shin-1さんの日記

○異動のハガキが届いています

 春は異動の季節です。会社や県庁、学校、市町村などでは3月の下旬に異動内示が出され、思いかなって異動した人、思いもよらず異動した人、定年退職した人、派遣切れの厳しい現実を突きつけられた人などなどの悲喜こもごもを感じさせて、慌ただしい季節が桜前線とともにやった終わった感じです。荷物を積んで異動したことのない私には理解できない「家族を巻き込んだ異動は大変でした」という異動ならぬ移動を余儀なくされた人からの便りも、「大過なく定年退職を迎えることができました」という便りも、その裏や周りに家族や職場の多くの人たちがいるだけに、これまた悲喜こもごもなのです。

 私の友人からは季節を反映して毎日のようにのはがきが届いています。定年退職した人からの便りに書かれた文章は虫眼鏡で見ないと読めないような文字がハガキいっぱいに印刷されていました。その中に「これからはボランティア活動をしながらのんびり社会に貢献したい」という決意が述べられていました。嬉しい決意です。殆どの人が「十分休養したい」、「好きなゴルフや旅行がしたい」とあるのに既に照準をボランティア活動に置いているのです。でもボランティア活動といっても福祉も教育も環境もあって幅が広いのですが、彼は一体何を求めているのでしょうか。

 ある友人は「のんびりと百姓をしながら晴耕雨読の人生を送りたい」と書いてありました。さしずめ今日は朝から雨のようなので本でも読むのでしょうが、のんびり百姓というけれど、農業はそんなに生易しいものではないと思うのです。水を差すつまりはありませんが、得てしてテレビで紹介している「人生の楽園」のような甘い収益を考えていたら足元をすくわれかねないのです。

 先日その友人から電話がかかってきて、「退職して半年、早くも濡れ落ち葉となった自分と妻の確執が始まった」と吐露されました。「月々の小遣いの金額を減らしてほしいと妻から言われましてね」と苦笑いです。確かにこれからは収入の見込みを年金だけに頼る生活だとこのような冷たい喧嘩が起るのです。


 暮らしの基本は経済です。年金が満額出る年齢は彼の場合まだまだ先のことですから、どこかで切り詰め質素倹約を心掛けないと池の水は干上がってしまうのです。私の自由奔放な生き方を見て「退職後は自由人になりたい」と思っていたようで、再任用の話をけって自由の身になりましたが、既にその夢は崩れ、連休明けには仕事を探そうかと言っていました。生きるためには夢も必要ですが「夢だけで暮らして行けるほど世の中は甘くはない」と話していました。「ああ人生また楽しからずや」「ああ人生悲しからずや」ですね。


  「一枚の 移動ハガキに 込められた 悲喜こもごもの 人生透けて」

  「夢ほどに 甘くはないぞ 人生は 百も承知で 未だ夢中」

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○いよいよ16連休がスタート

 今年の連休がいよいよ始まりました。新聞やテレビによると一番多い人は4月27日(月)と28日(火)、30日(木)、それに5月1日(金)、7(木)日と8日(金)を休めば、今日から16連休だそうで、この不景気な世の中だというのに何とも羨ましい限りです。まあこうしたリッチな人を恨んでみたところ、金も暇もない自分がみじめになるだけなので、「世の中にはそういう人もいるのか」くらいに軽く受け流さないとやってられないのです。

 私の今年の連休は県外講演でスタートします。今朝は早く起きて身支度を整え、今日から始まる愛媛大学農学部地域マネジメントスキル習得講座のオリエンテーションに参加します。社会人の学び直しに受験合格した35人相手の研修ですが、鶴見先生の指導で第一回の学習が農学部実習林で始まるのです。実習林は今治ルート水が峠近くにあってここからだと1時間30分は有にかかるので、早々と出発しなければならないのです。

 その授業を私は午前中で切り上げ、香川県へ向かいます。高松市三谷地区という所のコミュニティ推進協議会の総会で移動落伍をするのです。人間牧場の杉の切り株高座台は重くて移動できませんし、私の等身大人型パネルも積めないので今回は断念しましたが、後の小道具は山を降り既に車の後部座席に鎮座しているのです。

 私はこれまで、岡山県笠岡市、高知県馬路村、愛媛県上島町と3回移動落伍公演をやっていますが、県外は今回が3回目です。香川県三谷地区では昨年の総会で記念講演をやっていますが、昨年に次いで2回目のオファーがかかり少々面食らい、それだったらいっそのこと講演ならぬ落伍講演にしようと溝渕センター長とメールでやり取りしながら秘策を練っているのです。

 最近は何処へ行っても高速道路の割引の話題が出ます。既に土日祝日の割引が実施され、観光地などではその効果でかなりの人が出歩いて効果が出ているようですが、私はETCを取り付けているのに何故かその恩恵に預かるような高速道路利用機会がないのです。先日21世紀えひめニューフロンティアグループの仲間たちと

世界遺産を巡る旅を計画して、島根や広島とかなり広い範囲の旅をしましたが、残念ながらマイクロバスレンタカーだったので、割引制度の適用は受けませんでした。

 今日は実習林を出て今治まで走り、今治のインターチェンジから高速道路に乗ろうと思っていますので、果たしていくらで行けるか楽しみです。ただしETCなので直接お金を払わないで済むので、ETCのバーが上がる瞬間に料金表示板を見なければ、道路公団から送られてくる領収書明細しか確認のしようがないのです。

 まあとにもかくにも私の連休はこんな具合に忙しい一日でのスタートです。帰りは午後9時に終わって高速に乗っても深夜になるでしょうが、今日は昨夜からの雨も降っていて、安全運転を心がけたいと気を引き締めています。さあスタートです。


  「連休が 始まるけれど 私には 無縁とばかり 忙し日々が」

  「金もなく 暇などないと 諦めて せっせ働く 真面目人間」

  「さてどこへ 行こう迷わず 連休を 過ごす幸せ 自由が故に」

  「高速を 割引制度 活用し どこまで行けど 千円楽しみ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○松山教育事務所管内社会教育・社会体育担当者会に招かれて

 今日は管内の社会教育・社会体育担当者が集まるので、一席ぶってほしいと頼まれ、久しぶりに中予地方局へ行きました。県の出先機関は昨年の機構改革で5つの地方局が3つに統合されました。中予地方局と呼ばれるようになった施設には、かつては3日にあげず行っていましたが、この一年所用も全くないため覗いていませんでした。それでも教育事務所や普及センターなどがあるため、かつての知人友人たちもいて、久しぶりに懐かしい顔々に出会いました。

若松進一ブログ

 さて市町の担当者が30人ばかり集まっていましたが、驚いたことに教育事務所所長さんまで私の話に耳を傾けるというので、「社会教育担当者に期待する」というタイトルで用意していた話を急遽止め、私の経歴がらみの話をさせてもらいました。というのも社会教育の発展は担当者のやる気が何よりも優先すると思ったからです。

 私の経歴にまつわる話を次の20項目にわたって話しました。

 ①漁師としての7年間の漁業活動

 ②青年団での8年間の活動(仲間・ふるさと・主張・感動心)

 ③公民館主事として13年間の自治公民館を拠点とした活動

 ④結婚披露宴537組の司会をした活動

 ⑤町の広報ふたみを毎月2回10年で240号発行した文筆活動

 ⑥夕焼けコンサートを皮切りに20年の夕日をテーマにしたまちづくり活動

 ⑦20年間で100人を海外へ派遣した人づくり活動

 ⑧20年で200人を無人島等に運んだボランティア活動

 ⑨丸木舟瀬戸内海航海・竪穴式住居復元・大野ヶ原モゥーモゥー塾等の冒険活動

 ⑩双海町東越の廃屋を利用した10年間で40回のフロンティア塾活動

 

 ⑪えひめ地域づくり研究会議代表としての20年間のまちづくり活動

 ⑫高校PTA会長としての6年間のPTA活動

 ⑬役場に勤めた35年間の活動(最後は教育長)

 ⑭観光カリスマ100選に新ばれてからの講演活動

 ⑮退職後設置した人間牧場での活動

 ⑯1日3枚×1ヶ月×12ヶ月×24年間のハガキ活動

 ⑰毎朝5時から8時までの3時間、12年間の海岸清掃活動

 ⑱自著本6冊の出版(町に吹く風・昇る夕日でまちづくり・今やれる青春・夕日徒然草・ミレミアム2000年その日   

  私は)

 ⑲気になるカバンを提げた全国行脚

 ⑳愛媛大学非常勤講師として6年間地域活性化論講義

 さて私の経験から生まれた理論でない論理にどれほどの意味があるのか、それはこれから社会教育を目指す人たちに少なからず参考にしてほしいと願ったものであり、90分の当たられた時間いっぱいお話をさせてもらいました。


若松進一ブログ

  「演壇の 前で瞬間 内容を 差し替え話す 俺も中々」

  「この話 ところどころに 隠し味 学んでほしい 想いちりばめ」

  「この話 詳しくやれば 四~五時間 必要だけど 早口喋る」

  「お茶でもと 偉くなりたる 人の部屋 無冠の俺を 優しく招く」 


  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○虫の目になって見ることも大事

 昨日外出先から帰ってみると沢山の郵便物に交じって一枚の絵ハガキが届いていました。私の友人でえひめ地域づくり研究会議事務局長の岡崎直司さんからでした。岡崎さんとは彼が八幡浜市にある建設会社で、「あけぼの」という失礼な話ですが建設会社らしからぬ広報を担当していた頃知り合いました。私もかつては町の広報を担当していたこともあって、彼の視点の鋭さに驚いたものでした。その後私が代表運営委員、彼が事務局長という名コンビでつかず離れず色々な出会いを重ねてきたのです。

 彼は通称路上ウォッチャーで、足元の下水蓋であろうと屋根の鬼瓦であろうと目につく珍しものはどんどん写真に収めてスライドにして、勉強会などで参加した皆さんに紹介するのです。その域はプロで、確か「歩きメデスは見た」という彼の本は愛媛出版文化賞を受賞しているのです。まあとにかく彼の目から見れば何でもお宝に見えるようで、やかんの古くなったやかんを植木鉢にして何気なく置いているユーモラスな一品をスライドで見せてもらったとき、思わず吹き出してしまいました。

 彼は父親の転勤でまるでジプシーのように20数回移転移動した珍しい経験を持っています。ゆえに好奇心旺盛な目と心が育ったのだろうと思うのですが、彼の作品と思える自分の目で見た珍しい写真は、古い文化の消えゆく現代にあって、貴重な資料として記録に残ることでしょう。

 昨年愛媛県西予市を主会場に開かれた町並みゼミも彼は実行委員長を務めた若い大氣さんたちと一緒になって孤軍奮闘して見事に成功させました。私が実行委員長をしていた地域づくり全国大会が官の力であったのに対し、彼がやった全国大会は民の力でした。大会はいずれも成功し甲乙つけがたい成果を収めましたが、民の力は後に続くものだと、その後の活動を見て思うのです。

若松進一ブログ

 岡崎さんの許しを得ぬまま、手元のカメラで転写しましたが、絵ハガキの表に「写真は上灘川上流大カーブ、安山岩のハネ出し石(源田石と同質)」とペンで走り書きの注釈が付けられていました。

 このように私の町の石垣であるのにわたしはこれまでその存在さえも分からなかったのです。遠くを見ることも鳥瞰として大切ですが、虫瞰として足元を見ることもまた大事で、複眼の視点こそ大事だと改めて教えていただいた感じがしました。

 このハガキは先日宇和町で開かれた集会に招かれた折、出席していた彼が私の話を聞いての感想とお礼状でした。末尾に「返信のお気づかいは無きよう」と書かれていたので、あえて返信はせず、返信に代えてブログに感想をしたためました。


  「エッこんな 珍しいもの あったのか? ウォッチャーハガキ 見ても気づかず」

  「そういえば 記憶辿りつ あそこらか 一度訪ねて 価値を認識」

  「わが町も その気になって 見てみれば 結構楽しい 所いっぱい」

  「虫の目と 鳥の目二つ 持ち合わせ 生きて行けよと 教えるハガキ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○岡山県講演日帰りの旅

 「今日は一日岡山県へ出張します。帰りは夜です」とブログに書き込んで6時過ぎにわが家を出ました。急ぐこともないのに何故か今朝は携帯電話を充電器の上に差し込んだまま、持たずに家を出てしまいました。伊予市付近を走っていて気付いたのですが、「まあいいか」と諦めました。近頃は財布と携帯電話だけは忘れまいと思って確認をして出かける癖がついていたのですが、私もいよいよ認知症の前触れかも知れないと、ズボンのポケットの軽さが気になって仕方がありませんでした。

 松山駅前キスケ駐車場に車を止め、8時11分松山発の特急しおかぜに乗りました。2~3日前までは車で行く予定でしたが、岡山駅から徒歩で10分くらいのピュアリティまきびが会場なので、公共交通機関を使う方が楽だと急に思いついたのです。久しぶりに予讃線、瀬戸大橋線を走って岡山へ行きましたが、岡山駅に着いたのは10時55分でした。

若松進一ブログ

(瀬戸大橋の上から見下ろすフィッシャーマンズワーフもかつての賑わいはなく散閑としていました)

 今日は岡山県の農業士認定式が行われ20数人の方が選ばれて赤いリボンを付けて列席していました。認定式の後の研修会の講演を頼まれたのです。県の農林水産部長さんなどそうそうたる人が集まっていました。勿論農業士の人も100人を超えて集まっていました。

若松進一ブログ
(会場には農業士に新しく認定された人や農業士が多く集まっていました)

 今日の講演依頼は岡山県経営構造対策協議会の高田事務局長さんの推薦によるものです。高田さんは昨年8月20日テクノサポート岡山で講演して旧知の間柄になっていて、今日もわざわざ訪ねて来てくれました。

 高田さんは昨年の講演の内容をテープ起こしして「まちづくり 人づくり 拠点づくり」というタイトルで、ポケットサイズの私の講演集作ってくれたのです。この本は岡山県下各地へ配られたようで、私のもとへもかなりたくさん送っていただきました。

若松進一ブログ

(ポケットサイズで発行された私の講演集)

 先日ブログで紹介した日赤が作ってくれた千少年関係の本と合わせると2冊もタダで私の本が作られたのですから嬉しい限りです。

 今日は携帯電話を忘れたこと以外は男時です。列車の到着や出発が全て上手くいき、講演が終わって列車に乗りましたが5時半にはもう松山へ帰ることができたのです。お陰で列車の中ではキヨスクで買い求めた文庫本を一冊乱読することができ、ウトウトしながら長閑な旅を楽しみました。


 車窓に広がる瀬戸内の海も、遠方にかすむ石鎚の山並みも、また瀬戸大橋や番の州の工業地帯も初夏の穏やかな日差しに映えて、のんびり長閑に見えました。サンデー毎日の私には「今日はて何曜日だったかな?」と思い、木曜日であることすら忘れているのです。自由とはいいもんだと4年間続いた自由人人生を喜びました。

 忙しかったえひめ地域づくり研究会議の役員や自治会の会長などの役職も一通り手を引き、大学を除けば講演も自分のペースで選べるし、ひょっとしたら今が一番自由な人生かも知れないのです。これまでの4年間は自由人になったといいながら、現職時代以上に忙しく日々を過ごしていました。少しオーバーワーク気味と妻がブレーキをかけてくれるのですが、痛んだブレーキは効くどころかスピードを上げ過ぎていました。これからは少しスピードをゆるめて生きて行きたいと思っています。


  「窓越しに 流れて消える 風景を 見つつしんみり 四年総括」

  「岡山は 通過する街 はずなのに 今日は講演 街を歩いて」

  「後楽園 看板表示も 懐かしく 妻と来た日は 遠い昔に」

  「ステージに 人間牧場 主と書き 大きな垂れ幕 嬉し恥ずかし」

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○わが家の庭のツツジが満開です

 先日えひめ地域政策研究センターからイベントBOXという一冊の雑誌が送られてきました。毎年1回発行されている雑誌ですが、今回は「えひめ花街道」という特集を組み、県内の花に関する情報が満載でした。私も編集を担当した松本研究員さんから寄稿を頼まれ、「ふたみ花街道~まちを綺麗にすることから~」という原稿を送っていたため、イベントBOXが送られてくるのを楽しみにしていましたが、いい本ができたとわがことのように喜んでいます。

 私が双海町役場に勤めてまちづくりの一環として花に取り組んでからもう20数年が経ちました。最初は周りの人に「花を植えよう」といっても、「花より団子」を決め込んでなかなか動きませんでした。それがどうでしょう。今は県内でも指折りの花の町に変身しているのですから驚きです。特に早春の水仙、春の菜の花は有名で、海沿いの急峻な地形が故に大した広さではないものの、すっかり風物詩となって県内外に情報発信しています。

 振り返れば、「そこは植えてはならない」というJRに歯向かってポケットから種を落としたり、桜の苗木を勝手に植えたりと、様々な武勇伝が生まれたことをつい昨日のことのように思い出すのです。

若松進一ブログ

 私は何年か前、人づくり10年計画の一環として、世界一の花の町といわれるニュージーランドクライストチャーチを訪ねたことがあります。その町で沢山のことを学びましたが、私たちが花づくりといえば観光や金もうけのことを連想するのですが、この町では「花を暮らしの中で楽しむ」といったガーデニング思想が市民の間に浸透していました。しかしそのガーデニング思想も日本のように自宅の庭の門を閉ざすのではなく、外に向かってオープンにしていることでした。この考えは私に大きな影響を与えたように思います。

 以来自分自身も自宅で忙しい合間を縫って花づくりをするようになったり、花を愛でる心が育ったように思うのです。そこで今日は皆さんにとっておきの今が盛りと咲き誇る、わが家のツツジをご紹介しておきますので、暇な方、花を愛でる方ははどうぞわが家へお越しください。お茶を飲みながら花談義をしたいものです。ついでに私設公民館「煙会所」や海の資料館「海舟館」を覗いて見るのも一興です。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 この花の帯は約100メートルの長さで、今は90歳を超えた親父が剪定や除草など一年かけて世話をしているのです。元々は私がトロ箱に挿し木をして育てたものを杉垣を切って植えたものです。20数年も経つとこんなに立派に育つのです。例年だと5月の連休辺りに咲くのですが、温暖化の影響でしょうか年々早くなって、今が見ごろとなっているのです。

 近所のおばさんたちが「大洲の冨士山に負けんくらい綺麗で、わざわざ花見に行かなくてもここで十分」と持ち上げて褒めるものですから、親父は悦に入って世話をするのです。最近は親類の人もこの時期になると花を愛でに集まってくるのです。植えた頃は彩りなんか気にせずに植えたため、配色は今一ですが、花に変わりはないので、必見のツツジを見にお越しください。

  「丹精を 込めて育てた ツツジ咲く 愛でる言葉を 信じて悦に」

  「今でしか 見れないツツジ 見納めと 毎年言って 今年も元気」

  「花守の お陰で花見 洒落込むが 下戸ゆえお茶と 団子楽しむ」

  「花づくり 花見る人は 別の人 褒めてもらうが 一番肥料」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○いい情報を発信しなければいい情報は受信できない

 最近私が参加している年輪塾ネット上でホットな話題がミツバチと教育論です。教育論にせよミツバチにせよ、興味のある人は読んだり自分の考えや思いを書き込みますが、興味のない人にとってはくだらない議論と思うのでしょうか、反応もなくまるで無視しているような感じがしないでもないのです。

 一昨日ネットを管理している仲間から、年輪塾生たちの書き込みが少ない件に関していかがなものかと電話がかかってきました。私も気になっていたことなのであれやこれや話をしましたが、いつの時代も、どんな組織も幽霊会員はいるもので、年度当初で仕事が忙しいのかも知れないので、もう少し様子を見ようとお話ししました。そういいつつ年輪塾ネット上での自分の情報発信もそんなに出来ていなかったと少し反省しました。最近いつも思うのですが、いい情報に巡り合うにはまずいい情報を発信しなければなりません。情報とは一方通行ではなく相方向であることを肝に銘じなければならないのです。

 昨日山奥組の井上さんからミツバチについて年輪塾ネットに書き込みがあったので、今朝人間牧場へ行ってみました。一昨夜から低気圧と前線の影響で体地を揺るがすような南西の風が吹き荒れたため、人間牧場に設置しているミツバチの巣箱が風で吹き飛んでいないか心配だったのです。井上さんは私が忙しいことを百も承知で、わざわざ野村町から人間牧場へお輿入れしているミツバチの様子を、私が留守にもかかわらず見に来てくれたのです。そしてミツバチの巣箱を掃除し、分封が近づいているため他の2つの巣箱に蜜蝋を塗り直し、入口にはミツバチを誘うようにランの花をペットボトルし差し込み網をかぶせてくれていました。またもう一つ持参した箱をヤマモモの木の根元に設置して万全を期していました。これで人間牧場には4つも巣箱が誕生したことになるのですが、井上さんの言うようにミツバチは気まぐれな小動物だけに果たして上手くいくかどうか気がかりなのです。

若松進一ブログ

(ヤマモモに木の下に井上さんが設置したミツバチの第4の巣箱)

 4つの巣箱は井上さんの配慮でしっかりと固定されているため、大風の難を逃れてしっかりと座っていました。来月23日には子ども教室が人間牧場で開かれる予定で、その折ミツバチの話を子どもたちに話してほしいと、井上さんに頼んでいますが、ミツバチの定住を心から祈っています。

 井上さんのお陰でミツバチのネット情報、8チャンネルの存在も知りました。井上さんは8チャンネルを通じて知り合った人と情報交換しながらミツバチ飼育の腕をあげようと努力していると聞き、人知れず努力している姿に頭の下がる思いがしました。

 「そのうちミツバチでも飼おうか」などと完げている人も多いようですが、他のことと同じようにミツバチの世界も奥が深いようです。


  「大風が 大地揺るがす ほどに吹き 心配したが どうにかもって」

  「幽霊の ような人あり 音沙汰も ないと心配 わが子と同じ」

  「情報は 発信せずば 受信量 期待できない 肝に銘じて」

  「箱の中 どんな営み してるのか 見えない世界 詮索しつつ」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○限界集落勉強会で平岡地区を訪ねる

 昨晩、「過疎と高齢化がすすむ集落を考える」通称「限界集落勉強会」が伊予市平岡地区で開かれ、メンバー10人とともに出かけました。限界集落という言葉が差別用語のようにも聞こえると、限界集落という言葉以外の呼び名を探していますがいまだ見つからずお茶を濁しています。

 私にとっては先日犬寄地区の高市さん宅や松浦さんのゴリラハウスで行われた吊るし雛まつりの折、訳も分からず赤海(あかさこ)から平岡を通って大平へ下りた経緯があるので、大体の土地勘は分かっていましたが、緑風館で待ち合わせ車2台に分乗して急峻なつづら折りの山坂を登りながら、限界集落になる理由などを考えていました。集落の中心と思しき平岡地区は標高300メートル近い場所にあって、眼下には離山越しに瀬戸内海が一望できる素晴らしい眺望が開けていました。

 16戸ながら集会所に集まっていただいた方は18人で、いずれも私たちの年齢を超えた人たちでしたが、聞けば全員車の免許を持っていて、今のところ暮らしの不便はないそうです。しかし2キロ余り遠くからパイプを引いて確保している飲料水の当番見回りや、佐礼谷の診療所へ通うこと、買い物に行くことなど、車に乗れなくなるであろう5年、10年先のことを考えれば不安が募ると心情を吐露する意見が相次ぎました。


若松進一ブログ
若松進一ブログ

 「この地区が好き」「この地区に死ぬまで住みたい」というふるさとを愛する気持ちは他の限界集落と同じで、「何とかしなければこのままでは自然消滅をする」という焦る心もありました。私たちは限界集落勉強会といってこうして限界集落へ入り意見を聞いていますが、この日は少し方向を転換を試みてみました。

 限界集落に住む人たちの願いは「道さえ良くなれば」と、道の改修をいの一番に言うのですが、道が良くなれば限界集落が解消するという保証はどこにもないのです。平岡地区までは県道が通っています。財政的に厳しくなったと言いながら県道ゆえに草刈りなどの道路維持は県がしてくれていたようですし、一部狭い道があってもかなり広い道のようでした。起点となる大平から2キロ余りですからそんなに遠い距離でもないのです。要は「あきらめ」の気風が蔓延しているようにも思える気の持ちようが問題なのです。一歩前へ踏み出す勇気を持たねば、他力本願で集落を守ることは絶対できないのです。

若松進一ブログ

 ふと見上げた集会所の壁に面白い「ほんに平岡来てみんきんよ」という歌が張り紙的に貼られていました。

 1、朝日輝き城主山に 燃える百姓の心意気

   そよぐ山々蜜柑の香り ともにほほえむ顔と顔

 2、瀬戸の海風そよそよ吹いて そっと寄りそう木々の影

   今日は草刈り明日は摘果 ともに励まん夫婦愛

 3、今日もさえずる千人がくれ 木々の梢に百舌の声

   みかん畑は黄金に光り うたう歌声楽しげに

 4、うなるエンジンはさみの音も 休む間もない小春日に

   いとし若妻かわいい手甲 手甲がすりの紺におう

   (ほんに平岡来てみんきんよ)

 もう色あせて張り紙の存在すら忘れているこの張り紙は繁栄の往時をしのぶ十分な資料ですが、こんな気概が集落づくりには必要だと痛感しました。「是非また会いましょう」と口約束して充実した勉強会を終えました。夜の帳が下りた眼下には伊予市市街の明かりが印象的に見えました。


  「限界と いう集落をへ 行く度に 他力本願 どこか諦め」

  「壁貼りし 歌に往時の 姿あり 気概はこれだ 遅くはないと」

  「いいとこと 誰もが口々 言いつつも 人減り進む 寂し集落」

  「十年後 ここは果たして 残るのか 不安払拭 はじめの一歩」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○早堀りのジャガイモは美味しい

 昨日はJA女性部から子縁の講演の手土産にと農協らしいジャガイモをお土産に貰いました。また宇和島遊子でジャガイモを栽培している本家本元の藤田光弘さんからも貰いました。家に帰るなり妻は、「まあ珍しいものをいただき嬉しい」と、主婦らしい喜びようで、「早速今晩はジャガイモを食べたい」と注文を付けました。しかし私が帰った夕方5時には既に夕食の献立は決まっていて、料理も終わっていたのです。それでも何としても食べたかったものですから、大きめのジャガイモを2個塩茹でにしてもらいました。

 茹でたばかりのジャガイモは、皮がプリンと剥けて湯気が出てほのかな香りを漂わせていました。真っ二つに割ってそこへバターをひとかけら落すともうたまらないほど美味しいのです。熱々のジャガイモを妻と二人で2個ぺろりと平らげました。お陰さまで昨日は食べ過ぎるほどの夕食でした。

若松進一ブログ

 宇和島の水ヶ浦は段々畑がご存じ自然景観として文化庁の登録を受けていますが、同じ愛媛県なのにもうジャガイモが採れるのです。察するに宇和海に面したこの地方は黒潮の恵とでもいうのでしょうか、無霜地帯で冬の気温が温かいのです。加えて段々畑には3つの太陽があるといわれています。お日さまの直接の光、段々畑の石垣の温もり、それに宇和海の反射光なのですが、やはりこれも自然の恵みというのでしょう。

 ジャガイモを植えている段々畑は猫の額ほどの細長い畑が続いています。昔は食糧増産のためにサツマイモが主流でしたが、今はジャガイモも主幹作物として植えられています。ジャガイモは連作に弱い作物だと言われています。石灰などをまいて中和させながら耕作をしても病気にかかる危険性があるのです。藤田さんから聞いた立ち話でもその辺の苦労話を聞きました。

 それでも段々畑の目玉として早堀のジャガイモはアピールに欠かせないものであり、ジャガイモの屑芋を使った男爵という焼酎も売り出されてみんな頑張っているようです。

 北海道から送られてくるジャガイモも美味しいし、南の宇和島から送られてくる早掘りのジャガイモも飛びきり美味しく、わが家のジャガイモは見劣りしますが、それでももう1ヶ月もすればわが家のジャガイモも玉ねぎとともに収穫を迎えます。今年はジャガイモも玉ねぎも今のところ順調に育っていますが、昨晩の飛びきり強い南西の風で少々傷んだようです。

 季節を食べ、旬なものを食べる、これは何よりのご馳走です。私のように肉をあまり食べない人間にとって菜園でできる野菜は飛びきりご馳走なのです。本当は料理もしたいのですが、男子厨房に入るべからずという時代を生きてきた私にとっては、中々手を出す勇気が湧かないのです。「お父さん、私が死んだらどうするの」と妻は二言目には私の厨房進出を促すのですが、さだまさしの「関白宣言」のように、私は妻より早く死ぬことはないと自信を持って生きているのです。

 今日は買い求めた新玉ねぎと早掘りジャガイモのコラボレーションで肉じゃがのようで夕食が楽しみです。


  「いただいた 早掘りジャガイモ 塩茹でし バター転がし うまいうまいと」

  「県内と いうのにこうも 違うとは 一足先に ジャガイモ掘って」

  「この芋は 三つの太陽 恵み受け 育った故に 味は抜群」

  「おすそ分け 二~三個づつを 小袋に 入れて近所に 貰いものだと」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○いい一日でした

 昨日は宇和島南農協のJA女性部総会に招かれ、すっかり初夏の陽気の378号線、県道長浜~大洲線、56号線を往復しました。沿道には赤芽カシの新芽が色鮮やかに伸び、大洲富士山はまだ花が咲いていないものの、道端のツツジも陽気に誘われて満開の状態でした。少し早く家を出たので途中国立大洲青少年交流の家に立ち寄りました。先日人間牧場へ研修に来ていただいたお礼を兼ねての挨拶です。仕事が始まって間もなくだったため殆どの職員が事務所にお揃いでした。急な訪問にも関わらず所長室に通され、お茶をいただきながら所長さん、次長さんとお話ししましたが、交流の家はいつ訪問しても気持ちのいい送迎をしていただき恐縮です。雑談で佐藤さんと久保さんに赤トンボのプレゼントをしていないことに気が付きました。早速送らねばならないようです。

 宇和島に入る高光辺りでは高速道路の橋梁工事がかなり進んでいて、南予の発展への期待が膨らんでいるようですが、早く開通してほしいものです。宇和島道路のトンネルを2つ抜けたインターを下りて、宇和島市役所へ向かいました。えひめ地域政策研究センターに2年間出向していた谷本さんが商工観光課に復帰して20日余り経っているので、顔を見たいと思ったからです。谷本さんにはこの2年間宇和島を主会場に開かれた全国大会で随分お世話になりながら、心のお返しかしていないのです。エレベーターで7階に上がり商工観光課へ行くと小林さんと山田さんがデスクワークをしていました。手を休めて対応していただきましたが、谷本さんはあいにく会議中とのことでした。

 前日は宇和島の遊子水ヶ浦段々畑でジャガイモ祭りがあったようで、私も三浦の是沢さんにご案内を受けていましたが、宇和町での集会があって、覗くことができませんでした。昨日の朝偶然にも水ヶ浦でジャガイモを栽培している藤田光弘さんから電話があって、早堀りのジャガイモを収穫したから届けようかと嬉しい申し出がありました。「宇和島の南農協へ行くから」と伝え、近くで電話を入れて待ち合わせをしました。藤田さんは昔建の漁業後継者の会長をしていた頃からの知り合いで、藤田さんの娘さんは愛媛新聞の記者をしているなど、公私にわたって交流の深い方です。愛媛銀行の駐車場で段ボールに入ったジャガイモを受け取り立ち話をしました。藤田さんの話によると宇和島地方も第一次産業を中心に経済的にはかなり不況の風が強いようでした。

若松進一ブログ

(宇和島市の中心地旧ロータリー交差点)
若松進一ブログ
(宇和島城)

 講演会場は目と鼻の先にありました。昨年の11月に全国大会を開いた折、前社市のレセプションを開いた場所なので直ぐに見つけることができました。講演会場となった5階の窓越しに懐かしい丸の内のロータリー付近が見えました。今ではすっかり整備された南予で一番広いと思われる交差点に生まれ変わっていますが、私が水産高校に在籍中はロータリーがありました。窓越しに見える宇和島城も鬼ヶ城山をバックに威風堂々とそびえていました。

 約1時間余りの講演は和気あいあい、楽しい笑いの中で進みました。中には顔見知りの人もいて「女性が輝くときまちが輝く」という演題で話しましたが、婦人会や農協女性部といった団体も組織率が年々悪くなってどこも厳しいようでした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

若松進一ブログ

 前日宇和町へ行った折は忙しくて見れませんでしたが、この日双海町富貴の国道沿いの花壇を見せてもらいました。尾崎善幸さんが中心になって育てているフジの花が見ごろを迎えていました。あいにく尾崎さんには出会いませんでしたが、沖井さんが草刈り清掃をしていました。いつもながら皆さんのボランティア精神には頭が下がります。紫色の下がりフジ、白色の上りフジが見事でした。

若松進一ブログ

  「わが町の 花の名所は 数あれど 富貴のフジも 見事お見事」

  「花守は 人の知らない 苦労あり せめて愛でねば 申し訳ない」

  「この街に 三年間も 住んだとは 信じられない 昔懐かし」

  「赤トンボ お世話になった 人ゆえに 忘れちゃならぬ 肝に銘じて」

[ この記事をシェアする ]