shin-1さんの日記

○長い旅を終えました

 愛媛~東京~新潟~東京~愛媛と4日間の長い旅を終えました。目的の集会は打ち合わせ時間を入れても僅か5時間程度なのに移動にこれほどの時間を使うのですから、狭いといいながら日本も広いものです。それでも考えようによってはその移動の時間が至福の時で、今朝は東京浜松町のホテルを早めに発ってモノレールで羽田まで行きました。

 一昨日高村さんからお土産に頂いたオカキ類を大事に持っての旅です。松山行きの全日空h午前9時25分発でした。羽田のゲートでは何人もの知人に出会い、搭乗手続きが始まるまで様々な話に花が咲きました。特に間もなくあるかも知れない衆議院議員選挙談議は情報が入り乱れ、こちらでいい顔の人があちらでは意外とぼろくそに言われてみたりごひいき筋がよく分かるような話で面白く聞かせてもらいました。

 早いものでもう来年は私の街も市長選やs議会議員選挙があるのです。水面下では早くも火花が散っているようで、何かにつけて日頃は縁遠いそれらの人が突如として集会の挨拶に来ていたり、面白い珍現象が見られます。また最近は冠婚葬祭への電報発信や、市内の至る所に事前運動ともとれる選挙を意識したお尋ね者用に似た顔写真ポスターが貼られ、「選挙近し」を感じさせてくれるのです。

 飛行機は、台風13号以来の不安定な天気のため大阪上空辺りからかなり揺れが激しく、着陸のため下降を始める頃には、気分が悪くなるほど大揺れでした。特に機内放送で落雷にあったと放送された衝撃はやばいと思うほど体に堪えました。私はかつて船乗りだったため、たいがいな衝撃は平気なはずですが、海の上はたとえ船が沈んでも泳いで助かるという安心感があるのですが、空は落ちたら終わりという不安感のため恐怖が付きまとうものなのです。

 それでも飛行機は小雨が降る松山空港へ予定より少し遅れて午前11時に到着しました。空港には妻が迎えに来ていて、空港のはずれに待機していた車で再開です。たった4日間ぶりなのに、妻でありながらどこか懐かしく

感じました。車に乗ると妻は堰を切ったように4日間の空白を話してくれました。台風13号は被害がなかったものの一人で不安だったこと、誰と誰が亡くなって香典を包んで届けたこと、今朝はどしゃ降りの雨が降ったこと、今日は雨なのに市民体育大会が開かれると放送があったこと、今日はお地蔵様の縁日でお接待の赤飯を炊いたので朝から忙しく振舞ったこと、などなどを話してくれました。

 松山市内道後に住む娘の所へ立ち寄りましたが、娘と孫はレインボーハイランドへ出かけて留守、留守番の娘婿と孫もどこかへ出かけて留守でした。仕方なく入口に品々を置いて帰りました。帰る途中妻と一緒に温泉に出かけ、旅の汗とを流し無精ひげを剃り落としましたが、やはり地元愛媛へ帰るとホッとするものです。

 帰りの車で妻は私に、旅の思い出w聞きたがりました。新潟など行ったこともない妻にとって、私の思い出話が楽しいのでしょう。お酒を飲まなくなって、新潟では少し寂しかったことも、越後湯沢の温泉がとびきり気に入ったことも、この3日間素敵な女性と一緒だったことを話して聞かせてやりました。長い旅は終わりました。

  「ある人(女)と 一緒の旅の 思い出を 話すも妻は 驚きもせず」

  「留守守る 妻のお陰で 旅できる 感謝の気持ち 言葉じゃちょっと」

  「あの人も この人も亡く 留守中に 妻の説明 佳境に入りて」

  「ふるさとの 訛懐かし 空港で 選挙談議に 花を咲かせる」  

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shin-1さんの日記

○東京での一夜

 昨日は新潟県南魚沼市浦佐でのフォーラムが終わって、一便早い上越新幹線浦佐発ときに乗り込みました。フォーラムもそれなりに成果を収めたようで、ホッとした気分でした。ところが東京で人身事故があったらしく、新暗線ながら鈍行列車と同じで全ての駅でノロノロ運転とない、30分以上遅れて東京駅に着きました。東京から往復同行した清水女史と積もる話をしながらの旅だったので、とてもハッピーでした。清水女史は上司だった青木さんとともに秋田でのフォーラムで知り合い、5月15日にはお二人お揃いで人間牧場を訪問していただいたし、ほくとう総研の機関紙に寄稿したりして深いつながりとなっているのです。

(上越新幹線ときの車内で私が手を差し伸べてツーショットの写真を撮らせてもらいました。

 東京駅で清水女史と別れ、私はあくる日の飛行機便のこともあって浜松町に宿舎を予約いていたので、少し夜の街を歩き、東京タワーで待ち合わせていた政府のお役人と落ち合いました。久しぶりの出会いでしたが国のお役人も何かと忙しそうで、昔であれば中央の流れを聞き出そうと懸命にこちらが知恵を絞ったものですが、今はむしろ政府のお役人が、生き生きと輝いて生きている私たちのような地方人を見て羨ましいらしく聞き入り、地方の動きに関心があるようでした。

 昨夜は台風も海の彼方に去って、雨も上がり静かな夜でした。暗闇に東京の象徴である赤い東京タワーが浮かび上がり、ひと際美しく見えました。高層ビルが立ち並ぶ東京では次々と話題のビルディングが建ち、東京タワーは落ち目かと思いきや、昨晩はたくさんお若者や外国人が夜景お楽しもうと集まってかなり混雑していて、東京タワーに上り夜景を楽しむ目論見も、若者に交じって並ぶ勇気もなくもろくも崩れ、下から見上げる近所のガーデンに席を取って二人で話しこみました。彼はビールを大ジョッキで4杯も飲み干しましたが、呑むほどに饒舌となって、呑めない私は押され気味でした。彼とは九州博多の研修会で知り合い、これまでにも彼を通じて、東洋の人脈を広げてきました。

 彼以外にも「東京に来たら是非」とよく言われるのですが、「上客は来ず、中客は日帰り、下客は三日泊まり」といわれるように、嫌われてもと思い、私はその人脈に余り会うことをせず、東京は旅の通過点として上客に甘んじているのです。

 ホテルへ帰ると11時を過ぎていました。風呂で汗を流し木になるカバンからハガキを取り出し、この日のノルマである3枚のハガキをしたためました。20年余りもやっているハガキ3枚を毎日書く習慣は、私の凡事徹底なのです。相変わらずのまずい字も気にせず、その人のことを思って書きました。

 携帯電話に地域政策研究センターの清水研究員からメールが入っていました。彼には新幹線の車内で「明日が宮沢賢治の亡くなった日です」とメールを送っていたからです。清水女史から聞いた賢治の亡くなった日を清水研究員に伝えただけなのですが、奇遇とでもいうべき女性の清水さんと男性の清水さんの橋渡しをしました。

清水研究員は宮沢賢治に心酔している人なので、喜んでの返信でした。

 午前0時を回ったところで、「やばい」と思い東京での夢の世界へ入りました。

  「東京が 何故かだんだん 近くなる 月一程度 指折り数え」

  「タワーさえ レトロ感じる 歳になり 若者長蛇 列に入れず」

  「鉄塔を 下から見上げ 人間の 偉大な力 感心しきり」

  「東京は 部分かじりで アンチ感 奥の深さに ただ驚きて」

 

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