shin-1さんの日記

○コーヒーが苦手な私

 私は何故かコーヒーが苦手です。苦味のあるコーヒーが苦手なんて、苦み走った男でもない私がいうのはちょっと変な感じもしますが、子どものころ生まれて初めてコーヒーを口にした時、「こんな苦いものが飲めるか」と思った瞬間からコーヒーが苦手になったのです。以来私はコーヒーを口にすることもなく63歳の今日を迎えているのです。

 ところが、こともあろうかわが長男はコーヒー専門の喫茶店を営む家の長女といい仲となり、あっという間に有無を言う暇もなく結婚してしまったのですから世の中は面白いものなのです。私の妻はコーヒーが大好きで息子嫁の実家が経営する珈人(本当は人の前に王偏がついて「かじん」と読む)というお店に立ち寄り、コーヒーを飲んだり、コーヒー豆を買って帰って楽しんでいますが、私は中々その店に足が向かないのです。それでも義理もあるので時々立ち寄りますが、私がお定まりのカウンターに座れば、嫁のお父さんはブラックならぬホワイト(ホットミルク)を出してくれるのです。コーヒーのお店でホットミルクを飲むのも何となく気が引けるもので、未だに居心地が悪く、お尻の方がこそばいい感じがするのです。

 昨晩は次男が誕生日を迎えた妻のために御馳走をしてくれるというので松山へ出かけて行きました。昨晩は雨のため松山市へ入る道がかなり混雑して少し遅れ気味でした。次男は看護士として日赤松山病院に勤めていますが、昨晩は仕事が終わるのが午後7時と聞いていたので、三越付近で待ち合わせしました。しかし次男は一向に姿を見せず、自転車で姿を見せたのは7時半を回っていました。お腹の空き加減も上々で、息子が予約していたお寿司屋さんに入りました。最近は回転寿司に行くことが多く、こんな立派な寿司屋さんは久しぶりとあって、妻も嬉しそうでした。次男は「今日は給料日なので大船に乗ったと思って、好きな物を注文して食べて」と太っ腹なところを見せました。

 注文した寿司は極上な味で、久しぶりに美味しいお寿司をいただきました。妻が「今度はお父さんの誕生日だね」とかまをかけて次男に話すと、「お父さんの誕生日も今日まとめてとうことで」とうまくかわされたようでした。親子水入らずの酒も飲まない寿司パーティに、お店の方も気を使って食後にデザートをプレゼントしてくれました。

 店を出て駐車場から車を出して帰る道すがら「お父さん、子供を育てて良かったね」としんみり語りました。

 私の感想ですが、今朝の愛媛新聞朝刊の文化面川柳欄に花山昇さん(松山)が、「父の日は母の日ほどに騒がれず」と相通じると感心して読んだ次第です。

 帰る途中、口直しにコーヒーでもとどちらからともなく誘いあい、息子嫁の実家のコーヒー店に立ち寄りました。妻はここのコーヒーは強すぎて寝れないと「コーヒーゼリーを注文しました。私はお腹がいっぱいだったものですから、ブドウ100パーセントのジュースを注文し、成長著しい孫希心の話に花を咲かせました。

 家へ帰って風呂に入り、妻は早めに床につき、私は12時過ぎまで明日から新潟へ行くための準備をしたりブログを書いたりして遅れて床につきました。2時ころ妻はコーヒーゼリーのせいなのか目が冴えて寝れないというのです。私は眠ったばかりなので妻を無視して寝ましたが、私が4時過ぎに目を覚ますと、さすがに疲れている妻は深い眠りについていました。

 コーヒーが飲めない私と、コーヒーを飲むと寝れない妻はどうやら同じ穴の狢のようでした。昨日の夜買ってきたコーヒーは、先日翠小学校の運動会に参加した時お土産を貰ったお返しに、無類のコーヒー通である和田由美子校長先生に差し上げるつもりで、これから出かけようと思っています。

  「コーヒーも 飲めない私 変人か? 息子の嫁に 何と思わる」

  「苦いお茶 苦み走って いないから 苦み分からず 口することなし」

  「コーヒーの 入ったゼリー 食べただけ 目がさえ寝れず 妻は弱って」

  「これからも おそらく口に するでなく 人生続く 不思議な男」

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shin-1さんの日記

○久しぶりに県公連を訪ねる

 かつて若い頃、双海町教育委員会に勤務して社会教育、とりわけ公民館活動に情熱を燃やしていた頃は、県公連(愛媛県公民館連合会の略称)なしに仕事ができないと思うほど夜も昼も県公連と深くかかわって生きていました。社会教育13年の勤務ん中で、6年間も県公連主事部会の会長としてその運営に当たっていたのです。その頃の県公連は最も華やいだ時期で、22郡市、条例設置公民館366館が加入するピラミッド型の強力な組織を持っていましたので、東の静岡、西の愛媛といわれるような活発な活動を展開していたのです。

 しかしその組織も平成の大合併で市町村の数が70から20に激減し様相は一変、時代を反映してか公民館への市町村行政の反応は鈍く、職員も移動サイクルが速くなり、残念ながら昔のような勢いが感じられなくなってしまいました。それでも私h県公連を自分を育ててくれた恩人だと今も思っていて、公民館を去った今もOBで作る公友会のメンバーとして、また県公連専門委員として深く関わっているのです。

 昨日は県公連の事務局がある生涯学習センターへ個展を見に行ったので、ついでに立ち寄りました。森局長さんは会議に出ていてあいにく留守でしたが、顔馴染みの下村女史がいて笑顔で対応してくれました。

 実は県公連へ立ち寄ったのはもうひとつ理由がありました全公連(全国公民館連合会)が毎月発行している「月刊公民館」の8月号に私の書いた原稿が巻頭言「とびら」に載っているのです。8月に入って全国の公民館に携わる方々や月刊公民館の愛読者から感想を綴ったメールやお便りや電話をいただいていましたが、どういう訳か書いた本人には掲載紙が未だに届かず、どんな原稿を書いたのかさえも忘れてしまっているのです。

 下村さんにそのことを話すと、有難いことに「県公連には毎月2冊づつ送られてくるので一冊差し上げましょう」といただきました。

(月刊公民館8月号)

 私が在職中のようなモノクロではなく表紙はカラーのイラストでした。8月号にふさわしく朝顔のイラストです。残念ながらもう時期は逸していますが、それでも夏の名残りを思い出すこの時期だけに嬉しい贈り物となりました。早速ページをめくると、見慣れた私のイラストと書いた覚えのある文章が出てきました。

(私が巻頭言とびらを書きました)

 文章の締めくくりは今年の11月13日から愛媛県宇和島市を主会場に開催される「地域づくり団体全国研修交流大会」で、公民館と地域との関係を追い直す絶好の機会ととらえたいと訴えていました。私はその大会の実行委員長なのです。私が配ったPR用の名刺をもらった方は是非愛媛へ、そして真珠のふるさと宇和島伊達の城下町へお越しください。

 下村さんはこのこの記事を読んで、同じフロアーで仕事をしている東野さんを誘いお二人で分科会に参加すべく申し込んでくれたというのです。せっかくだからと前夜祭や全体会への参加を熱心に働きかけ、二人をゲットすることに成功しました。私は早速大会事務局の谷本さんに電話を入れ申込みの変更を依頼しました。

(左が東野さん、右は下村さんです。こんな素敵なお二人が参加するのです。参加者の皆さん楽しみにして愛媛へお越しください)


 それにしても若い女性たちと話していると心が浮き浮きします。その分年齢格差を思うのですが、それでも楽しいおしゃべりをして充実したひと時を過ごしました。

  「雑誌載る 見たよ読んだよ いうけれど 手元届かず 何を書いたか」

  「念願の 雑誌一冊 貰い受け 雨に濡らさず 小走り車」

  「お二人の 若い女性と お喋りを 心浮き浮き 今日は男時(おどき)」

  「公民館 去りし今なお 気になって 恩人ゆえに 後押し誓う」 



 

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