shin-1さんの日記

○携帯電話のバッテリー充電を忘れて

 「追っかけられるようだから嫌」と最初はかたくなに拒んでいた携帯電話も、いつの間にか自分の分身のようになって、今では外出時他の物を忘れても携帯電話だけは忘れないようになり、いよいよ現代人の仲間入りと思いきや、今日人間牧場へ出かけ、草刈の前に10月6日のフィールドワーク授業を、10月5日に変更すべくその予定を学生たちに知らすべく電話をかけ始めました。こうしたハプニングのために4班の班長さんの電話番号をメモしていて、順番に4人に電話をかけたのですが、夜更し・朝寝坊型の学生たちは誰も電話に出ず、結局つながりませんでした。お昼にもう一度と思って電話を諦め草を刈り始めました。するとポケットで電話のバイブレーター体を伝い、高速エンジン音で聞き取れないのでエンジンを停止させ受電しました。それも終わりエンジンをかけて草を刈り始めるとまた電話です。ところが三番目にかかってきた電話の途中でバッテリーの電源切れの表示が出て、結局は使えなんくなってしまいました。仕方がないと諦めて草刈りに専念し、大体の目鼻がついたので4時前に今日の作業を切り上げました。

 そういえばこのところ充電器に差し込むのを忘れていたようだと深く反省しました。私の携帯電話は他の人のようなカメラつきでもなく、いわゆるおじいちゃんやおばあちゃんが持っている、いわゆるシンプル・ザ・ベストの携帯電話です。先日老人クラブの研修会に招かれて講演をした際、参加した殆どの高齢者が私の携帯電話と同じ機種であることに驚き、お年寄りには大変喜ばれましたが、仲間からは「えっ、若松さんの携帯電話、お年寄り用ですよね。やーだ」と詰られました。「くそっ」と思いましたが反論も出来ないので、「私は前々期高齢者です」とおどけて見せましたが、この携帯電話の何処が「やーだ」なのでしょう。これこそお年寄りや私を侮辱していると思いましたが、口に出して反論はしませんでした。

 私にとって携帯電話は今はなくてはならない道具になりました。私に絶えず同行し、時には「ご主人様、お電話でございます」と音やバイブで知らせ、電話に出れないときは電話の相手の電話番号をメモをして見えるようにしているのです。また最近はメールも受信して妻以上に私の仕事の一番のパートナーとなっているのです。

 パートナーとして使用料というお給料を親会社に毎月一回私の貯金通帳から、有無を言わさず持って行くのです。ところがパートナーの相棒である私は絶大な信頼関係にあるにも関わらず、電源であるバッテリーに食べ物を与えることなく携帯電話の心臓を止めてしまったのです。

 しかし携帯の命は人間と違って一度エネルギーが切れても、また充電すれば元通りに回復するのですから不思議です。人間は一度死ねば生き返らないのにです・・・・・。

 夕方充電器に差込充電しましたが、見事に復旧し夕方から使えるようになりました。

  「電源が 不足と知らず 通話する 俺は間抜けだ それも知らずに」

  「相棒に なって何年 経ったかな 今じゃ私の 秘書のようです」

  「携帯に かかる電話の 忙しさ 草刈り途中 電話に出んわ」

  「便利だね まるで事務所を 持ち歩き 出かけた場所で 仕事テキパキ」 

 

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shin-1さんの日記

○限界集落に住む人の話

 2ヶ月に1回のペースで開いている限界集落の勉強会が昨晩唐川コミュニティセンターでありました。私の町からも都合で行けなくなった3名を除いて5名が参加しました。唐川といえば昔からビワの産地として知られていますが、国道56号線から枝分かれした県道も国道と見紛うほど2車線の道として立派に整備されていて、わが家からでも20分そこそこで到着しました。私はこの場所で開かれた高齢者の研修会に参加したことがあって、場所は知っていましたが、久しぶりの山里の景色を同乗させていただいた木曽さんと楽しみました。伊予市の中心市街地から少し離れているこちらでも、かつてはこの場所に小学校があったのですが、今は統合廃校になっていて、跡地をコミセンや老人福祉施設などに利用しているのです。

 限界集落の勉強会は得てして限界集落の人を棚に上げた話が多いのですが、今回は唐川の更に山奥の鵜崎という集落に住む日野さんという若い女性が問題提起の発表をしてくれました。日野さんは市場の郵便局に勤めているそうですが、この話があるまで自分が限界集落に住んでいることすら感じていない元気はつらつな女性でした。彼女は一枚のメモを用意して理路整然と話しをしてくれました。

 1、鵜崎(うのさき)という地域 

 伊予市と砥部町との境で標高885メートルの障子山の麓に位置していて夏は涼しく冬は時に雪景色も楽しめる、伊予市の森川の源流域にある地域です。行政区域境に位置していて砥部町にも鵜崎という同じ地名の地域があって、昔は一緒だったようですが町村合併などによって三つの鵜崎が分断されたようです。背後に谷上山をのある伊予市街地の中ではさらに奥まった場所なのです。現在戸数は4戸だそうです。地域には空き家が何軒もありますが、使わなくなってかなりの年月が経っているため、再利用は不可能なようです。一度訪ねてみようと思っています。

 2、交通手段、3買い物

 バス停までは2キロありますが便数も少ないようです。たまに福祉バスを利用している人もいますが、殆どは家族の自家用車に頼って暮らしています。地域に商店はなく市内や隣の砥部町へ出かけた時にまとめ買いをしているため、多少の不便はあってもそんなに不自由はないようです。市内に家族や兄弟が住んでいてその人たちを頼って暮らしています。

 4、高齢化、5、道路管理、6、農地管理

 住民の殆どが80歳以上です。夫婦の世帯が2軒、女性と子どもの世帯が2軒で力仕事などは思うように出来ず、農道、林道等の補強や草刈りなど共同作業、村普請などが難しく、かつては梨の産地として栄えた姿は完全に消えて、農地も荒れるに任せてススキやカズラが覆いつくされているようです。家の周りの畑の管理くらいしか出来ず、少し離れた田畑は放棄され、家族が休みの時に草刈りをしているようです。

 7、集会所

 集会所がありますが雨漏りして6年前くらいから使えない状態で、集会所としての機能が発揮できないようです。集落の集会は全然なく各々の家がかなり離れているため、集落機能は皆無といった状態です。まさかの時の避難場所は4キロ下になっているため、避難場所へ避難することすら出来ないようです。

 8、病気

 今日病人が出た時は日中は車の運転が出来る人がいないため、命を落す可能性も心配されています。市内へは20分かかるので、救急車も間に合わないかも知れません。農作業中倒れても多分誰も気付かないそうです。

 日野さんの発表の後座談会が持たれました。限界集落の問題は①自分たちの力ではどうにもならないことと、行政や政治に救いを求めて解決する、②自分たちの内なる力に加え、外なる力を加えて現状維持するか再生を

図るという二つの方法があるようです。残念ながら鵜崎集落の再生は不可能に近い状態ゆえに、①の政治への救いを述べる人が多かったようですが、今の政治にそれだけの力はなく、政治や行政に求めて傍観するだけでは何の解決にもならないのです。

 限界集落の問題は②以外に解決できないと私は思っています。昨晩の話の救いは日野さんが明るくこの土地でこれからも生きてゆくと宣言したことでした。嬉しいことです。4回目にしてやっと新しい希望が見えてきました。

私たちはまだ勉強会ですが、勉強しながらもうそろそろ支援の力を出さなければなりません。まさに行動なのです。せっかく始まった勉強会の出番が少し近づいたような感じでした。

  「限界と いう集落に 住む意識 せずに明るく 生きてる立派」

  「責任を 論ずるだけで 終るなら いとも簡単 だから悩んで」

  「暇見つけ 鵜崎集落 訪ねたい 見ずして語る 愚かなるかも」

  「私には 縁も縁も ないけれど このまま朽ちる 見過ごす出来ぬ」 

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