shin-1さんの日記

○子どもたちの遊び

 今の子どもと私たちが子どもの頃の遊びとが大きく違うのは、無と有といった表現がぴったりするのかも知れません。無の世界は何にもない中で遊び道具や遊び方まで子どもが創作したり考えたりしていました。一方有の世界はあるものを使った与えられた遊びのような気がするのです。

 私たちが子どもの頃は野球がしたくてもボールもバットもグローブもありませんでした。ゆえにウエスと称する機械をいじる時に使うボロ布を丸めて凧糸でグルグル巻きにすると立派なボールが出来たのです。バットは竹薮に竹を切りに行き適当な大きさの真竹を見つけて適当に切ると、軽くて立派なバットが一本出来上がるのです。グローブはないから素手でした。放課後の学校の運動場は格好の遊び場でしたが、近くには漁村だったため砂浜が広場でした。砂浜は傾斜があって海に向って打ったり投げたりするとボールの回収が不可能となるため海を背にして野球をやりました。でも時折バックホームのボールが海に落ち、あえなくゲームセットだったことも覚えているのです。

 野球のルールは適当で、人数に合わせて3人だったりすると三塁ベースを作らず、また海にボールを落したらアウト、ボウルを走塁者に当てるとアウトなどの臨機応変でした。たまに女の子後入ると女の子はバットを使わず素手で拳または平手で打ったりして楽しみました。まさに道具も遊びも無の中で生み出していたのですから驚きです。

 子供用の自転車などは皆無で、大人の自転車を借りてきて、乗る練習を転んでも転んでもやりました。怪我も多く擦り傷や生傷は絶え間がなく、余程のことがない限り消毒したり包帯を巻いたりなどはせず、ヨモギを手の平でツバをはきかけて揉み、傷口に当てただけでいつの間にか治っていました。乗り物もないので一日中走ったり歩いたりして、夕方にはヘトヘトになって家に帰っていました。今の子どもは直ぐに疲れたと音を上げますし、学校の朝礼中でもバタバタと倒れるのですから、体力はないのだと思います。

 少子化で子どもの数が減り、子ども社会そのものが存在しなくなりました。ひょっとしたら私たちの世代以降は子どもの自治活動など知らないで育ったのではないかと思うのです。子ども自身が子どもとしてどう生きるか本能的に学んだ私たちが子どもの頃の社会はもう日本には戻って来ないでしょう。

 最近若いおじいちゃん、おばあちゃんが目立ち始めました。五十代でおじいちゃん・おばあちゃんになるのですから、前々期高齢者といっても過言ではない若いおじいちゃんやおばあちゃんが、暇も金もあって孫を甘やかせる時代は終わりにして、孫育てに一役買って欲しいと思うのです。例えば私は現在63歳ですが、妻が私のことを孫の相棒と言うほど孫は私になつき、私も孫と自然派的な遊びを通して様々なチャレンジをしています。幸い人間牧場というフィールドを持っているため、再三再四やって来て、楽しい遊びをしています。それは孫にとっても必要な情操教育だと思っています。残念ながら孫の親は働く事に熱中しなければならない年代です。そのカバーをこれからも後に続く孫二人にも深く関わってやりたいものです。

 明日の夕方孫は娘に連れられてやって来ます。さて今度はどんな創作的な遊びを教えてやろうか、今から楽しみです。相棒よ早く来いです。

  「創作の 遊びも知らぬ 孫達に 前々期高齢 手取り足取り」

  「子どもには 走る歩くが 常識だ 楽すりゃ今に 手足動かず」

  「虫の声 賑やか聞こえ 秋の夜 孫と一緒に 鳴き主探す」

  「孫植えた カボチャ収穫 嬉しげに 明日はカボチャの 煮物食べるか」


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shin-1さんの日記

○田舎で猪・鹿・猿は極悪動物

 猪・鹿・蝶といえば花札遊びのヤク札で三枚そろうと特別な加点がされますが、猪・鹿・猿といえば過疎の進んだ田舎では極悪人ならぬ極悪動物として厄介者扱いされ、お尋ね者なのです。一昨年20ヶ所の集落めぐりをした高知県四万十市西土佐では、この三種類動物の農作物被害に悩まされ、人間の存在さえも危ぶむ勢いだという山村の悩みを行く先々で聞きました。

 元々人間と他の動物はそれぞれの住処を持ち、住み分けて長年生きてきました。時折お互いがお互いの領域に侵入すれば人間は動物を威嚇したり殺したりしましたし、動物も人間に必死になって襲いかかったのでしたが、それは余程のことがない限りなくて、山里には平和な暮らしがありました。ところが人間の暮らし方の様子と自動的に餌を生み出していた自然の様子が変わり始めて、人間と動物の関係に微妙な変化が見られるようになったようです。

 動物の言い分は言葉が通じないので聞いたことはありませんが、人間の言い分とはかなりの開きがあることは事実です。人間も動物も生きることと種の保存をしなければならないので、そのせめぎ合いが今の田舎の動物出没騒動だと思うのです。

 猪も鹿も猿も道具を使うことが出来ません。唯一の道具は手と口と足と体です。しかし人間が太陽の出ている昼に活動しているのに比べ、動物たちは人間が寝ている夜の活動が得意なため、滅多に顔を合わせることもなく、猪・鹿・猿はどちらかというと目に見えない敵なのです。

 動物の被害を恐れる人間は、自分の農作物を守ろうと必死に威嚇します。山里に空しく響く爆音はまるで人間の嘆き節のような感じさえするのです。また網や波型トタンで垣根を作り、動物が入らないようにしますが、知恵のある猿にはこんなもの一飛びで越えるのです。最近は国・県・市町村の助成もあって電気柵張り巡らしている地域を見かけますが、敵も猿(笑い)もので入る時と出る時の電気ショックを覚悟で柵内に入り安全地帯になった場所で悠然と収穫物を食べる有様で、これ以上は柵(策)(笑い)がないとぼやいていますが、後はゲリラ戦に強い自衛隊に出動してもらう以外生き延びる道はないのではないかと思われるのです。

 三日ほど前の日曜日、人間牧場の近くに住む人から一本の電話がかかってきました。人間牧場の中を通っている道を通ってお墓参りに行ったそうです。その折何やら黒い物体が目の前の草むらをガサゴソして通り過ぎたらしく、気になって牧場の芋畑へ行って見ると、網囲いを破って猪が侵入して面積の半分も食べているようだというのです。私は出張の予定が立て込んでいて現地へ赴くことが出来ないため、日曜日で連絡が取れなくイライラしながら、共催している教育委員会の職員に電話連絡して、やっとの思いで柵の修復をしてもらいました。少し残念な気もしますが、またも私たち人間は猪との知恵比べに負けてしまったのです。

 猪にインタビューしてみました。(笑い)、開口一番「獲ったどー」と誇らしげに雄たけびを上げました。インタビュアー「猪さん、あなたは何で人の嫌がることをするのですか。これは人間の子どもたちが命のプロジェクトリレーと称して、種芋から芽を出させ、大切に育てているものなんですよ」。猪「私も本当はこんなことしたくはないのです。でも8匹も生まれた瓜坊たち子どもは育ち盛りで、食欲が旺盛なため、自然の食べ物では足りないのです。生きて行くためには止むに止まれることですので、どうかお許し下さい」。インタビュアー「・・・・・・・・」。

  「人間と 猪鹿猿の 知恵比べ 軍配どちら 誰が決めるか」

  「山里に 空しく響く ガス空砲 慣れりゃ怖くも 何ともないよ」

  「入りと出で 都合二回を 我慢すりゃ 中は天国 食べ放題だ」

  「さて次は 毒殺以外 ないかもと ひそひそ話 シシも側耳」

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