shin-1

○「何がないか」より「何があるか」が大切

 昨日ある新聞社の記者からメールが入り、昨年11月に講演に出かけた地域の活性化について意見を求められました。私が訪ねたその地域は歴史や自然それに地理的に、私たちの地域からすればはるかに条件がいいと思われるのですが、特に観光は右肩下がりでこのままだと将来への不安を隠しきれないというのです。「そこで無から有を生んできた若松さんお知恵を」というのですが、「私如きの知恵で地域が起きるのだったら既に起きています」と前置きし、お話をさせてもらいました。

 地域づくりでいつも問題になるのは発想の原点を「何がないか」から始めることです。九州や東北では新幹線の延伸工事が進んでいるようですが、新幹線のルートは政治家が深く絡んでいるとの噂は聞いているものの、誰が決めるのか私たち凡人には知るよしもありません。幸運にもルートになった地域は「新幹線が通ったら必ずいいことがあるに違いない」と思うのは当然のことかも知れません。ところが外れた地域は「新幹線が通らないのは国の責任だ」と他力本願を嘆くのです。これは「何がないか」を如実に物語る現象なのでしょうが、四国などは新幹線の「新」の字も望めない地域ですから、「新幹線がないから」なんて考えず、別の事を考えるのです。

 これは瀬戸内海に3本の橋がかかったころの話によく似ています。橋がかかれば島も四国も良くなるとみんな信じていました。しかし橋のブームは一年も持たず、橋がかかった効果など庶民の暮らしには殆ど影響が出ませんでした。橋のかかった島でさえ、フェリーの減便でかえって不便になったようです。更に追い討ちはストロー現象で過疎化の波は一層激しくなっているのです。

 地域づくりにとって地域資源を生かすことは当然のことなのですが、その地域に暮らしていると自分の地域にある「お宝」には中々気付かないものなのです。外からそのまちを訪れた時感じる香りや風さえもそれは当たり前になっているのです。私は全国を歩いていますが、その地域には風土と呼ぶに相応しいそこにしかないものが必ずあって、そのまちに足を踏み入れた瞬間、違った文化を感じとれることができるのです。でもそれをいくら私が言っても地域の人々の心の扉が開かなかったら、それは潜在能力であっても健在能力に変化しないのです。つい最近はワークショップなどの技法が取り入れられて「まち歩き」による「地域資源発掘」が行われていますが、まさに地域を見つめ、地域に何があるか考え、それをどう生かすか考えれば幾らでも生かす資源は見えてくるのです。ただそこで終わると振り子時計の原理で「ああでもない、こうでもない」の議論で終ります。次に進むには実践と物語づくり、そして情報発信というステップアップを遂げなくてはなりません。私はこれを地域づくりステップアップの7段階と称して、関わる人たちに自分達のレベルを確認させました。そうすれば次のステップへと進めるのです。

 地域づくりは人の流れによる経済を高めなければ何の役にもたちません。1回のイベントを開いて糞と小便とゴミだけが落ちたのでは駄目なのです。でも最初は糞と小便とゴミだけでも落さなければ次には進めないことも肝に銘じなければなりません。

 夕やけぴラットホームコンサートから始まった夕日によるまちづくりが、ソフトからハードを産んだ仕掛けや行動はまさにその典型で、観光客ゼロが55万人になり、経済効果をもたらした夕日によるまちづくりは、やれば出来ることを証明しています。

 私の町にには何もない。だから何でも出来る。そんな開き直りな行動が自称日本一夕日が美しいオンリーワンの町をつくったのです。地域づくりは人生と同じで、できるだけ思いどおりにならない方がいいものです。思いどおりに行かないからこそ他に方法はないかと知恵を巡らすのです。工夫や抑制や難儀の結果思わぬ好機に巡りあい、一気に開花した事例は山ほどあるのです。

  「何がない いつも言うけど 何がある ただそれだけで まちは起きます」

  「幸運は 不運の中で 生まれくる 不運の次は 必ず幸運」

  「世の中は 思い通りに ならぬもの 汗知恵出せば 道は開ける」

  「いつまでも 議論ばかりじゃ 進まない 振り子時計は 行ったり来たり」

  


 

 

 

 

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shin-1さんの日記

○お飾りはやし

 日本の各地から新年を祝う行事の話題が消え、平静を取り戻してきましたが、わが家では1月15日、正月を締めくくる行事として「お飾りはやし」という行事をやりました。行事といっても仕事で外出している妻を除き、親父と二人だけでする簡単なもので、年末に私が作って家の神仏に供えてあった全ての正月飾りを集めて畑の隅で焼くのです。他地域ではどんど焼きなどと呼ばれているようです。漁村に育った私が子どもの頃は海岸の砂浜、しかも波打ち際にお飾りを持ち寄りその行事をしたものですが、焚き火禁止令?などもあって近頃はそんな風習も何処かへ消えてなくなってしまったようです。それでも90歳の親父のいる家庭では必ずこうした行事を長男がやらないといけない風習となって遺されています。

 神様棚に飾った海老型のお飾りだけは一年中飾っておくためその一つだけ残し、全てをうず高く積んで火をつけました。風もなく穏やかな天気だったため藁と裏白、それに竹ばかりなので火の回りが速く、あっという間に燃えてしまいました。親父は玄関に飾っていた青竹を割って鏡餅を挟み、火で焙っていました。この煙や火の粉を被り鏡餅を食べると無病息災になると信じている親父は程よく焼けた餅を私と分け合って食べました。これで親父も私も健康に暮らせると自分に言い聞かせながら食べました。

 残り火を見ながら親父から面白い話を聞きました。しめ飾りの縄綯いの時7本、5本、3本と奇数で綯いこみますが、数が多過ぎるので1本、5本、3本とするのは7・5・3のことで「しめ」と呼ぶのだそうです。7・5・3で綯ったしめ飾りは火の中で焼かれて燃え尽きてたとえ灰になっても縄のままで残るというのです。そういえば全てが燃えた燃え殻は縄のままでした。これを夫婦になぞらえ、「たとえ死んでも夫婦二人は一緒」だと教えてくれました。母が逝って既に8年が経過しましたが、親父の言葉には何処となく、先に逝った母への思慕があるようで少ししんみりした話になりました。それでも昔の人の有り難い言葉として長男に伝えたいと思っています。

 神棚に供えていたカブスや小みかん、干し柿などは「お下がり」と称して少しずつ分け合って食べます。鏡餅の大きい方は勿体ないと思い、既に5日前に鏡割りを済ませ他の餅とともに寒の水に漬けられ、朝な夕な焼き餅や雑煮、水炊きなどにして美味しく食べています。

 わが家の伝統行事は親父が長寿のため、親父の意見を尊重しかろうじて長男である私に受け継がれています。しかし聞くところによるとそんな一見煩わしい伝統行事は若い人には受け入れられ難く、他の家庭では次第に姿を消しているようです。わが家でさえも「昔はこんなことをしていた」と懐かしくなるような行事がいっぱいあるのですが、記録にさえも留めていないのです。こうした「田舎らしい民俗学の掘り起こし」をしようと、心に決めた2年半前の自分への約束も、まだまだ意思半ばで先へ進んでいません。僅かにこうしてブログに書くことや写真に残すことくらいしか今のところ余裕がないのが実情です。でも少し軸足をそうしたことに移して今年は書いてみようと思っています。

 今年の正月は長男夫婦家族が長逗留したお陰で、少しだけ長男へわが家のしきたりを伝授することができました。これからも少しずつ伝え遺してゆきたいものです。

  「年老いた 親父と二人 お飾りを はやして食べる 餅の固さよ」

  「しめ飾り 灰になっても 壊れずに 二本仲良く 夫婦かくあれ」

  「年寄りが いるから伝統 守られる 年寄りになり 何を遺せる」

  「長閑なり 田舎の朝の 畑にて お飾り火付け 煙まといて」 

 

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