shin-1さんの日記

○慮る

 この文字を見ていっぺんで読める人が何人いるでしょう。残念ながら私も中学校や高校で習っているはずなのに大学を出ていないため読むことが出来ませんでした。漢和辞典を引くのも面倒だからとパソコンで検索すると=おもんばかる=と読み方が出てきます。じゃあその意味はと尋ねられると、大体の推測は出来てもまたパソコンの手助けを得ねばならないのです。

 広辞苑によると慮る【おもんばかる】=よくよく考える。考えはかる。思いめぐらす=と以外に簡単表現されているのに内心驚きました。私は広辞苑を引くまで慮るとは「相手の立場になって」を先に考えていましたが、まあその意味を含めた広義な意味だと解釈しておきましょう。

 人間は自分本位であるとつくづく思います。私などは戦時中に生まれた古い時代の人間ですから様々な時に自分本位の行動がよく出ます。特に男女の相関関係については中々自分の殻を破ることができないのです。私たちの時代には男は外、女は内という教育がなされてきました。故に選択も掃除も料理も全て家内の仕事と当然視するのです。しかし今の時代は男女同権で家庭内の仕事は勿論のこと外での働きも同権的な働きをする人が多くなってきました。特に家庭内の料理や子育てまで全て夫婦が分担して時には子どもの養育のために夫が産休を取る人もあるとか、私たちから見ると信じられないほどの変り様なのです。

 そうは言いつつ私もまちづくりの世界で生きてきた人間ですから、男女同権は大いに結構と推進してきた立場上、変身しなければならないと自分に言い聞かせて行動してきました。妻が「お父さんは変った」と褒めてはくれるのですが、それでも食べた食器を流し台に持って行く程度なのです。

 昨日何を思ったのでしょう。何と私はわが家の男トイレ便器の掃除をしたのです。家内が外出していたのですが、男トイレの便器が少し汚れているのに気付き、素手で掃除を始めました。トイレの掃除については京都久御山の木下さんから散々話を聞いていたので、やってみたのです。小便垢は便器にこびりついて中々取れませんが、上蓋を取って便器に傷をつけない程度に擦りながら磨いて行くのです。これが案外きつい仕事で、結局1時間ほどかかってしまいました。外出から帰った妻が、「まあ珍しい、雨でも降らなきゃいいけど」、私にしてはほめ言葉ととれる皮肉を言われました。しかし今までわが家のトイレ掃除は全て妻の仕事として位置づけられ、私や子どもも何の疑いも持ちませんでした。トイレが少しでも汚れていると、「お母さん、トイレが汚れ取る」と文句を言えば綺麗になったものです。

 相手の立場に立たなければ慮ることは出来ません。夫婦だって第三者だって相手に対し何かを行う場合、その相手の身になり充分に考えて行動するという癖をつけたいと思っています。

  「この文字を おもんばかると 読める人 慮りが 出来る人だね」

  「ああ俺は 慮るの 出来ぬ人 時代のせいに しつつ逃げてる」

  「目に見えぬ 慮りの 心とは 相手を意識 するから始め」

  「人間は 自分本位に 出来ている も少し相手 慮れば」

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shin-1さんの日記

○8、合成酒売り

 漁村には時として不漁や災難などが舞い込み、貧乏が故に日々の暮しは決して楽しいものではありませんでした。それでも漁師たちは不漁を大漁に、災難を福にすべく神仏への信仰を欠かしませんでした。不漁は信心が足りないからと思い込み、お光やご神酒を神棚や船玉様に供え敬虔な祈りを捧げたのです。私の親父は酒が好きで若い頃は朝からでも酒を飲んでいました。私と一緒に漁に出た時の親父は船長兼漁労長でしたから、朝まじめと称する早朝一番の網入れに全精力を傾注してのぞみました。漁場に着くと網入れ準備の万全を確認しやがて朝が開けるのを見届けるように、一升瓶の口を開け海の上と網にお神酒を注ぎ、「おおだまー」と大きな声で叫び、ロープの端を縛った樽を海中に投入するのです。船上にはピリピリとした緊張が漂い、ロープをもつらせたりしないよう、慎重に作業が進むのです。何せ最初のこの網入れが上手くいくとその日は全てうまくことが運ぶと信じていましたので、みんな真剣でした。朝ぼらけの海にやがて朝日が差し込み鯛の銀鱗が眩く輝いて見えるこの感動は漁師にとって何よりの至福の時なのです。やがて漁が終り母港を目指す船には大漁を示す大漁旗が掲げられるのです。

 このように漁師と酒は切っても切れない縁があるのです。戦後は貧乏な時代だった故酒を買うこともままならな買ったのでしょうか、各家でドブロクを作っていたようですが、密造酒は税務署の取締りが厳しく、下灘という漁村では余り普及しませんでした。その代わり下灘出身のMさんという女性が郡中方面から汽車に乗って水枕に合成酒を入れ、風呂敷包みにして方に背負い売り歩いていました。一週間おきにやって来るMさんは村の出身者らしく話題も豊富で、「今日は何本置いとこうか」などと母親と話し、「10本ほど置いといてや」と言葉を交わすのです。Mさんはかつて知ったるように戸棚を開け、一升瓶を取り出してじょうごを使うでもなく、一滴も漏らさず水枕から一升瓶に酒を注ぎ分けて行くのです。「まけとくきんな」と別の瓶に少しだけ加え、母と精算の後帰って行くのです。

 酒が来た日の親父の機嫌は上々で、「これで明日も大漁じゃあ」などといいながら、コップ酒を呑んでいました。酒好きは何処も一緒でよくたむろして飲んでいました。わが家へも父の友人の漁師仲間が数人よく呑みに来ていました。飲み屋などそんなになかった漁村でしたので、それぞれの家でこうした小さな酒盛りが行われていたようです。火鉢や囲炉裏を囲んで漁業全般の話をしていましたが、私たち子どもにはチンプンカンプンの話でした。それでも「やがてこの瀬戸内海の魚も獲れなくなるのではないか」とか、「エンジンを大きくして将来は外海へ乗り出そう」とかいう不安や将来の夢を随分話し、時には私も加わり、「坊は長男だからやがて漁師にならにゃあいかんが、親父のような立派な漁師になれよ」と頭をなでられ、その気になったものでした。

 大漁が続くと景気がよく、知人友人を招いて大漁祝をやりました。また不漁が続くと「まん直し」といって、近所の神官にご祈祷ををしてもらったお札と御幣を神棚に飾って友人たちが酒を持ち寄りげん直しの酒盛りを開いてくれました。酒は漁村や漁民に元気を与えてくれる水だと子ども心に思ったものですが、酒代を工面する母親の難儀を思うと、酒などなかったらいいのにと何度か思ったものです。大漁といっては酒不漁といっては酒、漁村は酒が主役でした。

 合成酒売りのMさんもいつの間にか来なくなり、漁村では日本酒に混じってビールが飲まれるようになってきました。合成酒売りのMさんは元気で過ごしているのやら、親父が90歳、母親も亡くなったのですから、Mさんももしやと思いつつ、一升瓶を見るにつけ合成酒を背負ったMさんの後姿を思うのです。

  「何につけ 酒が取り持つ 男たち どれ程呑んだか 分りはしない」

  「青年団 初めて呑んだ 酒の味 頭ふらふら 口からゲーゲー」

  「坊もなあ やがて漁師だ 頭撫で その人今は あの世にいます」

  「やりくりを してでも呑ます 母心 あの金あれば どんなに楽か」


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shin-1さんの日記

○とんだハプニング

 「お父さん大変」、昨夕いきなり妻が色めきたった声を発して玄関先から家へ入ってきました。「どうしたん」と聞くと、「車がメジャメジャ」というのです。「先ほど組費を持って組長さん宅まで歩いて行ったばかりなのに何で」と思って玄関先へ出てみました。妻のセリフは言葉になっていないため何のことだかさっぱり分らないのです。案内されて車庫へ行ってみました。何と天井に吊り下げていたインデアンカヌーが下に駐車している私の愛車の上にドスンと落ちて直撃しているのです。「お父さん大変」も「車がメジャメジャ」もさすがにこの現状を見ると納得です。私は自分の体から少し血の気が引くような気持ちになりました。数日前追突事故に会い、車の板金塗装が終り「綺麗になった」と喜び、二日前少し早目の車検に出して綺麗になって帰ったばかりの一段落なのに、「何で」と思わず叫びそうになりました。妻と二人でカヌーを持ち上げ少しずつ外に出しましたが、案の定車はあちらこちらがへこんで、「車がグシャグシャ」といった妻の表現は当たらないまでもまるで私の顔のようでした。

 数日前家内が「お父さん、車庫に吊り上げたカヌーが少し下に下がっているのでもう少し上へ上げて下さい」といわれていました。また3日前親父が「カヌーを吊り下げているロープが危ないから何とかした方がいい」との注意も受けていました。にもかかわらず妻の言葉も親父の忠告も「うるさい。またか」くらいな安易な気持ちで受け流していたのです。この時ばかりは「親の忠告と妻の意見と茄子の花は千にひとつのあだがない」と、古い諺をかみ締めながら片付けました。車を外に出し夕闇迫る暗がりの中で車のへこみを確認しつつ、少し我慢すれば何てことはないと思いつつ、傷にワックスをつけて塗り込みました。でも日没引き分けでその作業を止めたのです

 明くる日の朝、車を再び車庫から出しお天道様の光で傷の具合を観察しましたが、昨晩の見立てとそんなに違いがないことが分り少しホッとしているところです。親父には車が傷んだことは内緒にしていました。ところが朝の散歩で外に出てみるといつの間にかカヌーが天井から降ろされ外に出されているのを見て、「息子は俺の忠告を受け入れてカヌーを下ろした」とばかり勘違いして、この際カヌーを別の小屋にしまったらどうか、提案がありました。親父と小屋の下見をして親父の意見を受け入れる事にしました。それから1時間余り親父と二人で思いカヌーを動かしたり小屋に入れる作業をしましたが、やっとのことで収納しました。実はこのカヌー、まちづくりの草創期に子どもたちを沖合いに浮かぶ青島へ漕ぎ渡り、沖合いからふるさとを眺めさせるプログラムを実行するため、役場の早崎さんと二人で購入したものです。2隻なら安い特典を活かし当時のお金で15万円くらい出したように記憶しています。このカヌーはその後私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの恒例行事であった無人島に挑む少年の集いの必需品として無人島に運び、多くの少年たちに利用されてきたのです。無人島キャンプが終われば置く場所がないので苦肉の策として車庫に吊り下げられて保管していたのです。これはかなりのアイディアだと自慢していました。しかし今回のとんだハプニングでこのアイディアは結果的に失敗に終わることになりました。

 折角トラックを買ったのでいよいよカヌーを積んでアウトドアーでも楽しもうと思った矢先の出来事で、倉庫に収納してしまうとその計画も遠のいてしまいそうで残念です。

  「大変だ 車メジャメジャ 妻の声 昨日仏滅 情けないたら」

  「来る人に アイデア語り 見せていた 俺の頭も たかがしれてる」

  「ポンコツに ならずに済んだ 車だが 何かの予兆 気つけ生きよう」

  「妻親父 忠告意見 言ったでしょ 聞かずにバチが 当って難儀」


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shin-1さんの日記

○音の風景

 「今年の夏はいつまでも暑いねえ」と、交わす言葉に残暑を感じる今日この頃です。親父も、「わしも長い間生きているが今年のように暑いのは久しぶりだ」といいながら、せっせと秋の畑の準備をしています。いつの間にか来るハガキも暑中見舞いから残暑見舞いになり、出すハガキやメールにも少しだけ季節の変わり目を書いています。昨日友人へのハガキに「数日前まで子どもの声が賑やかに聞こえていたのに、子どもの声が聞こえなくなりました。夏休もの終りに近づき子どもたちは、夏休みの宿題に追われているのかも知れませんね」と感想を書きました。そういえば夏どころかいつの間にか一年の3分の2が間もなく終わろうとしているのです。

 毎朝日課のように朝4時に起床していますが、暑いと言いつつ今朝は幾分かしのぎやすくなって、5時ころになると外が明るくなりましたが、白夜の如く4時過ぎには明るくなっていた夜明けも少し遅くなったような感じです。親父は相変わらず90歳になるのに朝5時から朝の散歩を欠かさずやっています。牛乳屋のガチャガチャという音、新聞屋のポストに新聞を入れる音などなど、何気なく机のパソコンに向かってブログを書きながら、今朝も目や耳や肌で朝の音を感じています。

 そういえば今朝はやたらと漁船のエンジンの音が聞こえました。多分陸風と海風雨の交代時期が秋に変りつつあるからでしょう。わが町には漁港が2つありますが、わが家に近い上灘漁港の魚市場では午前3時から朝市があって、その時間になると漁を終えた漁船が一斉に帰ってくるのです。ここら辺の漁船は土曜日が休漁日なので、日曜日の朝に出漁して20時間も経った今朝港へ帰って来るのです。大漁だった船、不漁だった船など悲喜こもごも様々ですが、最近は原油の高騰で漁民の暮しも大変だと聞きました。それでも漁船はエンジンを高速にしなければ漁ができないのです。

 私は18歳から7年間漁師をした経験があります。水産高校を卒業するころ親父がガンで体調を崩したため帰郷し、若吉丸の船長になりました。その頃の漁船は5トン30馬力のヤンマーエンジンでした。今の漁船と比べると木造船だったためそんなに船足は速い方ではありませんでしたが、それでも佐田岬半島沖の伊予灘を漁場としていたため、毎日午前1時頃から午後3時まで全開エンジンのあの賑やかな音の中で暮らしていました。漁師さんの声の大きさはエンジンの音のせいで難聴気味になるからだと思うのです。私もそんな暮しを7年もしていたのですから難聴になっていたはずですが、25歳で転職し役場に入ったため難聴は解消されました。60年間も海の上で漁師を続けてきた親父の難聴は漁師の暮しに加齢難聴が重複して回復どころか益々聞こえなくなっているようです。

 ただ今6時過ぎ、先程まで港から聞こえていた漁船のエンジンの音は完全に聞こえなくなってしまいました。変って妻がスイッチを入れたテレビのニュースを伝える音が隣の部屋から聞こえ始めました。セミも起きたのか早くもうるさい声で鳴いています。鉄橋を渡る一番列車のガタゴトという音も遠くで聞こえています。野バトがグーグーとまるで私のお腹のように低い音で鳴いています。全て自然が織りなす音のモーニングコールです。

 しかしいつも思うのですが、これらの音は日々の暮しに悩殺されて私の耳にはまったく届かないのです。「自然の声に耳を傾けなさい」とは、何処かで聞いたような話ですが、自然の音が少しでも耳に聞こえるような暮しができるよう努力したいものです。もう間もなく虫の声も楽しめます。今年は虫の声を聞いてみようと思っています。

  「目が覚めて 自然耳入る 音を聞く 少し心に ゆとり感じつ」

  「エンジンの 音の近くに 暮しあり 夜明け待ちつつ 人は動きぬ」

  「気がつけば 夏も終りに 近づいて 子どもの声も 少し少なく」

  「鉄橋を 渡る列車の 音さえも 今朝の私にゃ モーニングコール」

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