shin-1さんの日記

○善十郎の言葉(民俗学者宮本常一の父)

 大正12年4月18日、故郷の人々に見送られて島を離れるとき、善十郎は宮本に向かってこれだけは忘れないようにせよと、十ヶ条のメモを取らせた。それは次のようなものだった。(佐野眞一著「旅する巨人」より)

 ①汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているのか、育ちが良いか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か茅葺か、そういうところをよく見よ。

 駅に着いたら乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるのか貧しいか、よく働くところかそうでないかところがよくわかる。

 ②村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見下ろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。

 ③金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮しの高さがわかるものだ。

 ④時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろなことを教えられる。

 ⑤金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのは難しい。それだけは忘れぬように。

 ⑥私はお前を思うように勉強させることはできない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではお前を勘当したつもりでいる。しかし三十を過ぎたら親のあることを思い出せ。

 ⑦ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。

 ⑧これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

 ⑨自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。

 ⑩人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかりあるいていくことだ。

 高等教育を受けたわけでもない父が、どうしてこれだけの教訓を垂れることができたか、宮本には不思議だったが、旅の暮らしの中で身につけた父なりの人生訓らしいことは、子供心ににもぼんやりわかった。

 先日「旅する巨人」の著者である佐野眞一さんの話を周防大島で聞く機会を得ました。宮本常一生誕100年の記念行事でのことですが、善十郎の言葉である10ヶ条はおぼろげながらのメモだったため、人間牧場水平線の家の蔵書の中から彼の著書である「旅する巨人」を取り出し、背もたれ椅子に座ってしっかりと読みふけりました。そして24・25ページにわたって書いてある善十郎の言葉を抜き書きして見たのです。

 不思議な事に今年90歳になる私の父親も、私が宇和島水産高等学校へ遊学する時、また体調を崩し漁師から役場に転職する時、同じような意味の言葉を私に垂れているのです。文字にてメモこそしなかったのですが親父の言葉は大陸への戦争出征や、県外出漁で僅か5トンの船にて三宅島辺りまで漕ぎ出した、そして12人兄弟の長男として生まれ人生の辛酸をなめ尽した人間の言葉として私の心に深く刻み込まれ、後の私の生き方に多くの示唆を与えてくれたように思うのです。その内「善十郎の10ヶ条」ならぬ「進むの10か条」もまとめてみたいと思いました。

  「勉強も せぬにどうして このような 言葉残すか 昔の親父」

  「どの言葉 ひとつ取っても 味のある 転ばぬ先の 杖と心得」

  「わが親父 さえもわが子に このような 言葉伝えて 戒めおりし」

  「家訓など 要らぬわ俺の 生き様で 十分思い 息子育てし」? 

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shin-1さんの日記

○衣替えした書斎

 人間牧場に水平線の家が完成し、その部屋の中にとびきり広い書棚を作って、本の山に埋まって暮らしていた書斎からその本を引越しさせてからは、多少ゆとりの出来たように見えた書斎でしたが、色々な道具類がそのままで何とかしなければと思っていました。しかしそんな時間的なゆとりもなく日々を過ごしていましたが、パソコンの操作で何かと指導してくれる長男に相談したところ息子もそのことを思っていたようで、いきなり長男がメージャーで寸法を計り始め巾の広い机をインターネットで注文してくれました。数日前東京から帰ってみると注文した机は明くる日に届いていて、仕業の速さにただただ驚くばかりでした。一昨日居合わせた次男が手伝ってくれて組み立て古い机を倉庫に移動させて設置しました。巾70センチ長さ1メートル40センチの真新しい白い木目基調の机は狭い書斎に眩しく映えて存在感を誇示しているようです。早速パソコン類をつなぎ変え、父の日にプレゼントしてもらいながらまだ箱入りのままだったプリンターも取り出して脇机の上に設置しました。夕方長男夫婦が来たのでプリンターの初期操作をしてもらい、私の身の回りの情報化環境は充実の一途を辿っています。さてこれらの機器を使いこなせるようになるにはどのくらいの日数が必要なのか、側に置いた操作ガイドブックを眺めながら思案している所です。長男の話によるとこのプリンターは中々の優れもので、かなりの機能がついているそうですが、私にはまだ猫に小判の状態なのです。

(書斎風からオフィス風に変身した私の居部屋、机一つでこうも雰囲気が変るものなのでしょうか。巾70センチ、長さ140センチもある白くて広い机は中々お洒落な感覚です)

 さて真新しい白い机に向かって今朝から仕事といえるかどうか分らない仕事を始めました。まだ椅子を買う資金がないので、古い椅子を使っていますが、裏庭に面した書斎からは白い机越し、窓越しに庭の様子が一望できるのです。しかしこのところの忙しさで草が伸び放題になっており、野趣はあるのですが美観を損ねているので少し草取りでもしなければと思っています。

 机の上にはパソコン以外何も置かないよう努力するつもりですが、始末の悪い私ですから愛読書など何かにつけて置くものと思われます。でも机を入れた今日の誓いとして整理整頓に心がけたいものです。

 机が変ると人間の心理まで変るのか、不思議なもので考えまで何かすっきりしたような気分になります。今朝からは頼まれている雑誌の原稿書きに早速取りかかりました。締め切りが近いあせりもあって、中々書く気になれなかったのに、今朝はスラスラ書き上がってメールに添付して送ってしまいました。

 私は日々の暮らしの中で、外に出ていない限りは居間とこの書斎で殆どの時間を過ごします。私にとって書斎は発想の場であり憩いの場でもあるのです。これまで無頓着で住空間の持つ意味など考えたこともありませんでしたが、今回の書斎の衣替えはこれまでの発想と決別するいい機会になったことはいうまでもありません。この際古くて使わなくなった、この一年目を通さなかったペーパー資料も思い切って捨てようと思っています。側に置くだけで安心していた資料の数々も、あるが故にそこから抜け出せないものだっていっぱいあるのです。整理整頓の基本、発想の基本は捨てたり壊すことから始めないと何も変らないのです。

  「新しき 白い机を 前にして 締め切り迫る 原稿書き上げ」

  「何かしら 分らぬパワー みなぎって 仕事はかどる 書斎変身」

  「今日男時 朝からついて つきまくる 宝くじでも 買えばよかった」

  「机越し 見える風景 変化して やけに気になる 雑草の庭」

 

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