shin-1さんの日記

○草取り

 人間が植えたものは人間の思い通りには育たないのに、人間が植えず勝手に生えた雑草は何でああも力強く育つのでしょう。草取りをしながらいつもそう思うのです。

①畑に育つ雑草

 畑は野菜や果木を植えて収穫します。特に野菜を植える前は地ごしらえをして雑草を全て取り除き綺麗にしてから植え付けます。夏野菜のナスやピーマン、トマトなどはある程度大きくなった苗を買ってきて植えるため、植えた時点で雑草に打ち勝つ条件を付けているため、ペナルティを背負った雑草は余程のことがない限り夏野菜には勝てないようになっているのです。ところが地を這うような性質のスイカやカボチャなどは知らない間に雑草が覆ってしまうのです。そのため敷き草と称して麦藁や稲藁を敷いて雑草の成長をさえるのですが、それでもなかなか最後まで雑草打ち勝つことは難しいようです。畑の雑草は果木の場合草刈機で刈り取りますが、野菜類には草刈機も使えず、自分の手で草引きをする以外ありません。わが家ではこれまで除草剤というものを使ったことがありませんでした。除草剤といえばベトナム戦争当時の奇形を産んだ枯葉剤を思い出し、残留の怖さが頭をよぎるのです。農家の方は安全だからと言いつつ多少の不安を抱えながら忙しさと作業が追いつかないため苦渋の選択として除草剤を使っているようです。そのことについては口うるさかった親父が今年の夏初めて除草剤を使いました。多分自分の作業が追いつかないと悟ったからかもしれません。先日私が親父に頼まれて草刈りをした畑に通じる道には早くも雑草の柔らかい新芽が顔を出し生い茂りつつあったのです。その新芽に除草剤を撒いたとのこと、この炎天下なので3日後見る見るうちにその効果が現れ、道の草は黄色く枯れ始めました。親父の選んだことだから無碍に反対することも出来ず、じんわり話をしました。今頃の序素材は残留性が少ないといわれていますが、人間牧場さえも除草剤をやらないのに、人間の住むわが家の近くで・・・・・・・です。

 ②庭に生える雑草

 わが家の敷地は660坪と広大です。その中の200坪くらいが本家、隠居、倉庫、煙会所、海舟館、夕観所などの立ち並ぶ居住空間です。その施設群の周りには中庭、前庭、路地庭などがあります。殆どは細かく砕いた砂利を敷いて舗装をしていません。庭には庭石や庭木がこれまた沢山植えられていて親父の自慢であると同時に、その手入れで親父の頭を悩ませるものばかりです。そして最も悩ませるのは広いが故に生える雑草なのです。90歳になった親父の力だけではどうしようもありません。私が忙しい合間を縫って草引きの手伝いをします。裏山が森林や畑になっているので雑草の種が沢山飛んでくるものと思われますが、これも自然の摂理と考えて日々引き抜いています。夏のこの頃は親父が命名したハタカリという引き抜きぬくい草が一面覆います。威力を発揮する道具は打ち鉤のような「つ」という字に一本の針金が曲がって先がとがっただけのシンプルなものです。これが意外と威力を発揮するのです。

 数日前、夏の庭木の手入れがやっと全て終り、草引きも一応峠を越しました。「この家はほっておいたら一年で雑草の密林になる」とは親父の弁、そんなこともありませんが少しずつ雑草の草引きの軸足が親父から私に移りつつある雲行きを肌で感じながらせっせと草引きをしている自分なのです。

 ③屋根に生える雑草

 わが家は日本家屋です。土壁に日本瓦が乗った夏は涼しく冬は暖かいいい雰囲気の家です。最近は耐震などと盛んに報道され肩身の狭い思いをしていますが、この屋根に抜けども抜けども草が生えるのです。「生き場所がここにもあった屋根の草」などと風流を考えるのもこれまたいいかもしれませんが、抜く方は梯子を掛け登らねばならないので大変です。よくもまあこんな所にと思うほど瓦のすき間に草が生えます。不思議な事にこれほどの夏の暑さでも平気で生きているのです。屋根を見上げ気がつけば、「明日は取ろう」と思いつつ、ついつい伸び伸びになっています。今日こそはとこのブログを書きながら思っています。

 結局私と親父の人生のかなりの時間はこれら雑草との闘いに明け暮れなければならないようです。まあ仕方がないか。マンションに住む人にはない自然の恵みをいただいている裏返しだと思ってあきらめます。

  「雑草は 植えずも元気 枯れもせず 病気もせずに あやかりたいね」

  「屋根にさえ 行き場所求め 生える草 ド根性俺に 見習え言いつ」

  「草引きに どれ程時間 かけたのか これから先も 俺が死ぬまで」

  「引いたのに また芽を出して こんにちは 踏んづけやるが 向こうは平気」

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shin-1さんの日記

○名刺の処分

 毎日毎日色々な人に会って名刺を交換するのが日課になっていた現職時代に比べ、その比ではないにしても名刺の交換は大切な交流儀礼の一つです。私の名刺をアウトとするなら人に出会った分だけ減って行くのですが、その分だけはいただいた名刺がインとなって手元に増えてゆくのです。もらった時は顔と名前と名刺が一致するのですが、日にちとともにその記憶も薄れてくると、名刺を捲って記憶を辿る余裕もなく机の隅や空の名刺箱に入れられうず高く積まれて埃を被るのです。名刺には取っておきたような名刺もあったり、思い出の名刺はいつか役に立つと思いつつ中々捨てきれないものなのです。

 書斎のリニュアールを思いつきました。パソコン用のプリンターを父の日に子どもたちからプレゼントしてもらったものの、その置き場所に困って未だに使わずにいるのですが、長男が「せっかくのプリンターなのにどうして使わないのか」とクレームがつきました。「今使っているプリンターのインクがまだ沢山残っているので勿体ないから」とお茶を濁しているのですが、そうそう長く今のプリンターを使うことも出来ず、まず書斎の音源を人間牧場に運びました。すっきりした人間牧場に広くて長い机を入れるつもりなのですが、書棚の都合で70センチ×160センチくらいしか余裕がないので、最初考えていた一枚板を入れる計画は断念し、その広さの机を購入する事にしました。長男が善は急げとばかりにカタログを持ってきて早速注文したようです。今日から東京へ行きますが、帰った頃には届くらしいので、昨日はそこら辺を片付けました。

 2年前段ボール箱に入った名刺を10箱も焼却処分しすっきりと第2の人生をスタートしたはずなのに、この2年間で沢山の名刺が溜っているのです。本当は日々の暮らしの中で必要や重要名刺と不必要名刺を分類していればいいのですが、今はセールスの名刺などの不必要名刺は殆どないので、全て必要や重要名刺なのです。それでも処分しないと置き場がないので名刺一枚一枚を見る余裕もなく、片っ端からゴミ袋に入れて未練のないようゴミとして処分してしまいました。いただいた方々にはブログでの処分報告とさせていただきます。残っているのは今年の4月からいただいた名刺ですが、それでも沢山の名刺が書棚の隅に残っているようです。

 2年前名刺とおさらばしたはずの私ですが、どうやら名刺とは縁が切れない世界にいるようなのです。今回の処分でなくした人のご縁はまた新しい人のご縁として生まれ変わるだろうと信じていますが、「どこかすっきり、どこか寂しい」というのが偽らざる心境でしょう。現在の私には後を振り返る余裕も勇気も少なくなりました。目下のところ過去や現在よりも未来を見据えてあること決意して日々を過ごしています。ゼロに戻る訓練をしていない自分ですが、名刺の処分で幾分かゼロに近づいたようにも思えます。

 そういいつつ今日も名詞を1箱カバンに入れて高知県と東京都へ出かけようとしている私なのです。

  「ゴミ袋 ひとつ二つに 名刺入れ 捨てる作業に どこか未練が」

  「この名刺 あの名刺にも 思い出が 手渡し日々を 懐かし思う」

  「ああこれで すっきりしたと 言い聞かせ 袋を提げて ゴミ出し歩く」

  「あの名刺 今頃何処へ 向かうやら スイカの皮と 一緒旅する」



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