shin-1さんの日記

○煙会所界隈

 我が家の敷地は田舎なのでしょうか、とても広く都会では考えられない660坪もあります。日本家屋の母屋、隠居に加え、庭付き、畑付き、セカンドハウス(煙会所と名前の付いた茶室風の一戸建て)付き、資料館付き、東屋付きと一応は何でも揃っています。しかし広いのも良し悪しで、草萌える春から夏になると雑草が一面に生えて、親父はその対応に追われています。季節が巡ってやっと草の勢いが止まったので今はホッと一息ついたところです。

 親父はいじりが好きで、石や植木をあちらこちらに配置して楽しんでいますが、庭の手入れも全部自分がするほどので、近所の庭木屋さんが驚くような腕前の持ち主です。

 煙会所の前には立派な鯉を数匹飼っていますが、ヤマモモの庭木が少し弱ったので、取り除き池を広げることになりました。数日前から池の水を抜き、大きな水槽に鯉を移転させ、土木業者がはつって池を広げる作業をしていましたが、この程完成しました。池は今までの倍に広がり、立派な池専用に浄化槽ポンプが取り付けられましたが、88歳になるというのに衰えない親父の発想と行動力にはただただ驚かされます。妻は歳を重ねている父を気遣って池に落ちては大変と、今度の工事には大反対しましたが、ガンとして聞く耳を持ちませんでした。

 言ってはいけない話かもしれませんが、親父がかりに100歳まで生きるとして後12年です。時折「疲れた」とか「わしゃあ来年はもう庭木の手入れや刀の手入れ、草取りはようせん」と弱音を吐くようになり、体力・気力の衰えを感じるようになっていますが、果たして親父のやっている日常の作業を自分が全て受け継ぐことにはまったく自信がないのです。そのことが不安のひとつでもあります。しかし親父の好きなようにさせてやりたいと思う心根の優しさも私は持ち合わせているものですから、無理には反対しません。が、私から息子の代になるとこれまた大変です。

 煙会所界隈は進化しました。緑が消えた分少し殺風景になりましたが、それでもすっきりして見違えるようになりました。この煙会所も私が青年の船で建国200年のアメリカへ行ったあくる年の昭和51年に建てたものですから、もう30年の時を刻んでいます。全国から沢山の人を迎え入れて着ましたし、私の人生にとって様々な深い縁を結ばせてくれました。私の発想の原点は色々ありますが、人間牧場の構想も多分この煙会所から生まれたものと思われます。

 小さな囲炉裏を切った4畳半のちいさな庵の煙は「来る人拒まず去る人追わず」を庵是年、この煙会所の煙は、青森県から鹿児島まで分家の数何と17にまで広がっています。

 煙会所を造ったころ、窓辺の向こうに長い鉄橋が見えていました。その後周辺には家が立ち並びその風景は一変しましたが、銀河鉄道と命名した特急が鉄橋を走る姿は姿を消し、少し寂しくなりました。また窓からは港の赤い灯台や夕日も見えていたのですが、これも外へ出ないと見えません。でもそのロケーションは人間牧場に座を譲ったと思えばいいのですから・・・・・・・。

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○子育て講演会

 来年一年生になる子どもを持つ親を対象にした子育て講演会に招かれました。最近は修学前の説明会や身体検査をする日に、講演会をする学校が多くなりました。子どもが学校へ上がる前にどういう子どもの育てたいか夢を描くための予備知識なので余り難しいことは語らないつもりでしたが、熱心で素敵なお母さんの集まりとあって、余り関係はないと思うのですが理髪店で散髪までする熱の入れようで、たっぷり1時間30分しゃべりました。

 講演会が終わって子どもの手を引いて帰る何人かのお母さんたちに立ち話インタビューを試みましたところ、午後1時30分からの講演会にもかかわらず、面白かった。ためになった。眠くなかったそうです。私としては嬉しい回答でした。

 今日の学校は私たちの町の小学校から比べたら月とスッポンくらい違う千人弱の大規模校で、顔見知りの校長先生は子どもの名前を覚えられないと嘆いていました。私自身も学校の何処が正面玄関なのか裏口なのか校内で迷いましたので、子どもに職員室は何処か聞いたところ、わざわざ連れて行ってくれました。子どもは小さい頃こんなに優しいのに、教育を受けて大きくなったら何で悪くなるのか不思議でなりません。

校長室での雑談話題を二つ、ひとつは学校で何を学ぶかという話です。勉強といえば簡単な答えでしょうが、現代の子どもは知識だけを吸収し人間的感性は二の次のようです。子どもを茶碗に置き換えて考えてみましょう。もともと人間が人間たるゆえんは知識と感性が半々の双魚図で茶碗の半分は知識、もう半分は感性であるべきです。しかし学力テストによって外国と日本、県と県などの成績が公表されるとやれ学力が低いと騒ぎ立て、結果てきにはやっと定着し始めたゆとり教育など、忘れていたかのように消されてゆきます。教育は国家百年の体系で右往左往すると混乱するだけで終わってしまいます。要はだれも子どもの結果に責任を持とうとしないということです。

 もうひとつの話題は校長室にかかった掲額についてでした。何処の学校の校長室にも偉い人物の書いた掲額がありますが、広瀬淡窓の「鋭きも 鈍きもともに捨てがたし きりと槌とに使いわければ」は味わい深く、ついつい紙の端にメモして帰りました。教育の現場では使えそうです。

 

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○対立軸

 世の中には鏡に写る自分の姿のように、虚像と実像、左と右、上と下、天と地、好きと嫌い、損と得、善と悪、夢と現実などなど様々な対立する言葉があります。人間はいつも頭の中でそのことを判断し、選んだ方向に向かって進みます。自分の選んだものが正しかった場合は嬉しくなりますが、間違った判断だと時には失敗や大損をこうむることがありますから、判断力は人間がこの世に生きてゆくための大切な道具です。特に自分の判断が多くの人の生き方を左右する場合は、しっかりと熟慮しできるだけ正しく早い判断が求められます。

 しかし時には自分の判断のほうが正しいのに、その判断する人の判断が間違っているとえらい目にあっありします。例えば自分が無人と生活をしていた時、台風が来るから非難したほうがよいと上の人に言っても、その人が逆の判断をすると参加者は危険にさらされるのです。また国語のテストで「この絵を見てあなたはどう思うでしょう」と答えを求められても、答えは幾つもあるのですから、試験官の判断が正しいとは限らないのです。人生はそんな場面によく出くわします。自分流の判断や答えが受け入れられなかったら、運が悪いと思えばいいのですが、「私の判断が正しかった」とか「私の考えも正しい」などと人間は得てしてそんな時後で文句のひとつも言いたくなるのです。「俺は何て不幸に生まれたんだ。また貧乏くじを引いてしまった」と・・・・・・。

 人間は思い込みの動物ですから、思い込みを正さなければ一生貧乏くじをする引くことだってあります。しかし自分の判断ミスを人のせいにするような人間にはなりたくありません。その判断をしたのは自分だし、その判断によって人が判断したのも元はといえば自分なのです。

 昨日もささいなことから判断ミスを犯してしまいました。その時は相手の出過ぎたまねに憤慨しましたが、考えてみればそれは私のためを思ってしてくれた親切なのだと思うと随分楽になりました。

 夏目漱石の草枕の一節の如く「情に竿さしゃ流される。とかくこの世は住みにくい」ものなのです。言葉や行動の裏と表を読み取る技量が見に付くのはまだまだ先のようですね。

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○新しい息子夫婦

 慌しい結婚式や新婚旅行、それにたまった仕事を片付けるため帰ってこなかった息子夫婦が日曜日揃って帰って来ました。若嫁に「お父さん」と言われてもまだピンときませんが、それでも食事の準備や片付けに気を使う嫁の姿はもうすっかり我が家の一員としての風格です。妻もまたあれやこれやと声を掛け合い「お母さん」ぶりを発揮しています。願わくばこれからもずっと良き親子関係を築いて行きたいものです。

 息子は長い間家を空けていたので感慨深そうに我が家のあちこちを見回し歩いていましたが、嫁を人間牧場に案内したようです。私は自治会長として祭りの仕事があったものですから、夕食からの出会いとなりましたが、はじめて人間牧場に案内した時はまだ敷地造成中でしたので、人間牧場が立派になっていることに驚いていたようです。息子もまた私のやった突貫工事の瓦による周辺整備を見たかったようで、一応設計士としての合格点を貰いました。家にいた頃は何かと対話していた人間牧場について、親子別居のため当分は電話でのやり取りが続きそうです。

 最近は結婚するとすぐに子供が出来る出来ちゃった結婚や、挙式の前に同棲したり入籍するインスタント結婚が流行っているようですが、息子夫婦は晩生なのかその気配はなく、新婚旅行も終わってやっと入籍のようです。本当は息子夫婦と同居したいし、息子夫婦もそれを望んでいましたが、妻の気苦労を思うと当分の間は別居もよいのではという結論になりました。長男教育を受けて育った息子が社会の荒波の中で自立できるか不安な面もありますが、息子も葉や30歳、多分大丈夫だと送り出しました。

 帰る時洗剤や砂糖、じゃがいもなどこまごましたものを妻から貰いうけていたようなので、当分は安月給でも共働きで何とかジャガイモを食べてでも飢えはしないでしょう。しかし借りたマンションの家賃や電話代など、明日からは暮らしていくための厳しい現実が待っているようです。

 新婚旅行はヨーロッパでしたが、私が面の収集をしていることを知っていて、素敵な面をお土産にプレゼントしてくれました。妻が先日民生委員の研修旅行で北陸方面へ行った折にも面を買って帰ったので今年は夏に夫婦で行ったカナダ旅行で買ったのと合わせると三つも増えたことになります。余り高価なものではないのですが、面の収集ももう30個以上に増えました。面は主に魔除けとして使われますが、収集してみるとその土地、その国によって随分表情が違っていて、旅先で骨董屋の店先を覗くのも楽しいものです。

 少し暇が出来たら是非面を自分で彫ってみたいと思っています。不器用を自認する私にはそんな芸当は難しいと妻は言うのですが、挑戦してみないことには分かりません。アー、また夢が広がってきました。

 春先から夏秋にかけての長い間、忙しく過ごして来たので、ちょっと立ち止まりたい気分になっています。無理をせずと思いつつ少しハードな月末がやってきそうです。自治会長の仕事も一段落しそうなので、一休みしたいです。

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○秋祭り

 昨日と今日はわが町の地方祭、秋祭りです。自治会長をしている私は、この1ヶ月その準備に終われました。自治会長になって始めての祭りを準備するのですから、慣れていないこともあって大変気を揉みました。神輿の運行計画は総代会で作るのですが、担ぎ手の確保や警察への許可申請など、前任者に何度も聞くのですが、文章化されたものがないためチグハグなことが多く、失敗の連続でした。私の経験を踏まえマニュアル化しておきたいと思っています。

 昨日の神社祭典は、時ならぬ前線通過の突風や霰が降る悪天候に、幟が数本折れるなど散々でした。今日は昨日の天候も治まり、早朝6時に宮出しを行い町内を巡行しましたが、ワッショイの掛け声も勇ましく久々に活気のある風景が見れました。

 副区長2名と会計が中心になって子ども神輿を運行しましたが、子どもの数が段々少なくなっていることも気がかりです。しかし少ないながら子どもには子どもの祝儀わけという楽しみな算段があって神輿担ぎはことの外頑張ってくれます。これも大人への通過儀礼なので大人は安全運行という黒子に徹しました。

 その年に新築した家はお神輿を迎える風習があるようですが、私は役目柄私の家へも神輿を迎えました。新築して何年になるのか忘れるほどの時を経て、久しぶりに神輿が入ってきました。丁度孫と娘が里帰りしていたので、一緒に宮司のお払いを受けました。孫の神妙な姿が印象深かったです。

 神輿には鬼の面を被ったダイバンと称する厄年の人が扮する人が、魔よけに同行します。赤い襦袢を着たダイバンは子どもたちが恐れているもので、わが孫も、昨年のような大泣きはしませんでしたが、目にいっぱい涙をためて、悪いことはしませんと鬼に約束をしました。田舎の秋祭りで体験した鬼との出会いは孫の心にしっかりと刻み込まれたことでしょう。

 あちらこちらの秋祭りでは、事故や怪我が絶えないようです。担ぎぎ手には傷害保険をかけていますが、安全で宮入できたことを、自治会の役員として慶びたいと思います。夕方公民館に集まって祝儀の決算が行われ、一週間後に慰労会をするのが慣わしですが、コミュニティが廃れてゆく現代です。みんなで地域に住むことの意味を確かめ合いたいと思います

 正直なところ何はともあれ「ほっ」の心境です。明日は神輿や幟の片付け、新しいしめ縄作りをして、長かった祭礼にピリオドが打たれます。 

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○可愛いハクビシン登場

 我が家の庭には田舎らしくたくさんの動物がやってきます。犬・猫・かえる・蛇・イモリ・トンボ・昆虫、野鳥は勿論のこと、イノシシさえも畑の食べ物ををあさりに夜な夜な出没します。イノシシの大好物であるサツマイモなどは収穫間近になると決まって荒らされます。畑の番人である親父は近所の漁師さんから魚網を貰ってきて辺りに張り巡らせるのですが、イノシシの知恵は相当なもので、高さ3メートル以上もある石垣を平気で登ってきて食べるのです。そこで登場したのが有刺鉄線、まるで戦場さながらですが、これにはイノシシもお手上げといったところですが、今度はこの有刺鉄線が草刈の邪魔になってこちらがお手上げ、畑の番人とイノシシの知恵比べは当分続くことでしょう。

 最近見えなくなったのですが、私の書斎の掃きだし窓は季節の移ろいを感じたいと透明ガラスにしていますが、毎朝4時ごろになるとハクビシンが覗きにやって来てました。外に置いていた私のスリッパが毎夜片方ずつなくなったのはハクビシンの仕業だったようですが、こちらをじっと見つめるハクビシンの愛くるしさに怒る気にもならず、毎朝無言の対話を約1ヶ月間しました。スリッパは殆ど何処かへ持っていかれたので、毎日みかんを一個スリッパを置く場所に置いてやるとみかんを持ってゆきました。

 その後来なくなりすっかり忘れていましたら、今朝ひょっこり見えたのです。「おい元気だったか」とお互いが言わんばかりに今朝も約5分、無言の対話をしました。外に置いていた知人から貰ったみかんの篭の周りに食い荒らされた跡があったので、あるいはと期待をしていたので安心しました。

 山から里へ野生の動物が下りてくる話題は最近何処の町でも聞かれるようになりました。環境の変化か動物の事情かよく分かりませんが、それでも野生の動物とこうして触れ合えることが出来るのは、やはり田舎に住むことの特権でしょうが、被害にあう農家の人にとっては死活問題で、昨年一年間で双海町で仕留められたイノシシだけでも300等だといいますから相当なものです。

 ハクビシンは鼻に白粉をつけたような愛くるしい顔をしています。私の部屋の窓ガラスの前では二本足で立ってくれます。もし私がハクビシン語が話せたらと思ったりもします。ハクビシンも早朝4時私を観察しながら「このおじさんは朝早くから起きて何をしよるの」と言わんばかりです。今晩はスリッパ置きの石の上にまたみかんを置いてやるつもりです。

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○食べれる草

 えっ、草が食べれるの?。都会の人はそう思うでしょう。ところが人間牧場の周りには意外と食べれる草が多いのです。じゃあそこで問題です。どんな草が食べれるかご存知ですか。と唐突に言われたら誰もが困ってしまうでしょう。じゃあヒントを出しましょう。草もちを食べたことがありますか。うんあるある。じゃあその草もちに入っている草は何でしょう。えっ草もちに草が入っているの。そうです草もちには雑草の種類であるヨモギという草が入っているのです。

 まあこんな具合に考えてみると草は私たちの身の回りにたくさんあることに気づきます。

 ヨモギで作る草もちの話をしましょう。春先野山は燃えるような草が一面に生えてきます。その中にヨモギがあります。新芽の先端5センチくらいを摘み取ります。その場合気をつけなければならないのは、草には持ち主がいること、草だからと手当たり次第取ってはいけません。必ず土地所有者の了解を取りましょう。また同じヨモギでも農薬で消毒していたり、散歩コースで犬がウンコやオシッコをかけたようなものは健康上よくありません。摘み取ったヨモギは水洗いしてさっと茹で、流し水でさらします。茹で過ぎると溶けますので注意してください。茹でるとき少量の重曹を入れると鮮やかな草色になるそうですが、折角の自然ですから何も加えないほうがよいかも知れません。

 餅と団子では材料が違いますが、餅の場合茹でたヨモギをもち米と一緒にふかして少量の塩を加えつきこむと草もちの出来上がりです。

 田舎ではこんなものを子どもの頃から食べて育ちました。だから野に生えている草を見ると食べれる草かそうでないかははっきりと見分けることが出来るのです。余談ですが茅はかみそりのような鋭い葉っぱを持ってます。茅で手を切ると子どもたちはみんな、ヨモギに唾を吐きかけて手で揉み、傷口に押し当てました。ヨモギには止血作用があるのです。出来物が出来るとオオバコの葉を火であぶって傷口につけると吸出しすることも知っていて、少々では病院など行かなかったものです

 野外でパーティをするとき、井阿木と慶ばれるのが食べられる草のてんぷらです。ポータブルのガスコンロと鍋と油と小麦の粉があれば、草は上等な食べ物に変身します。今は秋になって野草も冬篭りする季節になりましたが、今から食べられる草を調べておいて、春先人間牧場で草のてんぷらを食べてみてはいかがでしょう。shin-1さんの人間牧場3分クッキングレシピの紹介でした。

 

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○セミ・リタイア

 若いころは、安定はしているものの組織に働く何か分からぬ幻影に脅え、55歳くらいでリタイアして余力のあるうちに次の生き方を考えようとしている人は意外と多いようです。しかしその歳になると子どもの教育などに翻弄され、また管理職という居心地のよい職責にどっぷりつかって、知らず知らずのうちに定年を迎えてしまうものです。

 定年がなければ誰だってリタイアなんて考えなないでしょうが、世の中の現実は厳しく、先日まで部下だった人の元で再就職を余儀なくされて安月給で働いている人もまた多いようです。

 セミ・リタイヤという言葉があります。半分リタイアして仕事は手段、目的は後半生と割り切って人生を謳歌する生き方が最近注目を集めています。

 外国人の夢のリタイアの三条件は、①自分たち名義の住宅(できれば住宅と別荘)、②財政的な蓄財、③長期的な投資だそうだが、①まず健康、②ともに歩く良きパートナー、③やりたいことがある、④明確な財政計画という四条件を上げる日本人もいる。私はどちらかというと後者の日本人的な考えのほうに近いが、別荘とまではいかなくても今まさに、人間牧場に水平線の家を手に入れようとしているから、前者の生き方も理解できます。

 私は飯が食えたらそれでいいと財政的な明確な裏づけもないままリタイアしてしまいましたが、その後様々な仕事が舞い込んで少しだけセミ・リタイア的な生き方に近づきつつあるように思います。

 先日良きパートナーの条件はと聞かれて、私はまったく正反対な自分に気がつきました。厨房はやらない、洗濯掃除はしない、土日はいない、買い物には付き合わない、典型的な昔人間なのです。大きな声ではいえませんが、もし妻に何かあったら私は餓死するかもしれません。

 先日急な雨で洗濯物を取り込んでいたら、親父に「明日雨でも降るのでは」と散々からかわれました。

 海外派遣を引率してニュージーランドへ行ったとき、食事の後片付けをする現地の人を見て感心したものですが、自分の食べた茶碗や皿を流し台に運ぶことしか実行していません。情けない限りです。

 もっと妻とのパートナーシップのあり方について学ぶと同時に、要は実行することでしょう。

 「お父さん風呂貯めてください」「あらあら風呂が溢れてますよ」なんてことはしょっちゅうです。反省だけならサルでも出来るのですから、もう少し成長したいものです。

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○論理を話す

 この4月まで双海町の教育長をしていましたので、公務が忙しく講演依頼があっても中々思うに任せませんでしたが、4月から自由人になったことがあちらこちらに知れわるようになり、県内外から講演依頼がたくさんあるようになりました。私の話は理論ではなく論理です。理論と論理は漢字が逆さまだけですがその意味は随分違うと私流に解釈しています。大学の先生がお話しするのは正しい学びの中で習得した理論です。しかし私たち下野の人間はそんな学問はありませんから、汗した実践が言葉として出るのです。理論は机上の学問、論理は現場実践の集大成とでも申せましょう。

 ところが不思議なもので私たちの喜びや悲しみ込めた悲喜こもごもの話には、居眠りするでもなく何故か生き生きとして聞いてくれますし、時にはその場所を訪ねたくて双海町のような田舎町へも視察にやってきます。

 先日一枚のファックスが舞い込んできました。何と遠く離れた北海道からの講演依頼です。来年の春4月というまだまだ先のことなのですが、私のようなサンデー毎日の人間でも北の大地で必要とされるのですから俄然嬉しくなります。北海道は昔青年を連れて何度も交流しており知人友人も多いのですが、向寒今頃は冬支度に追われていることでしょう。

 私の場合講演は熱を帯びてくると標準語ではなく方言でしゃべります。後で送られてくるテープおこしの講演録など読むと汗顔の気持ちになります。でも方言を語れば一人前と思いつつ話しています。

 浪花節の有名な語り手から意外な話を聞いたことがあります。浪花節はご存知のように人情ものが多いのですが、聞いた人を感動させるには一に声、二に節、三に啖呵だと言うのです。この三つは講演にも当てはまるもので、私も心にとどめて論理を話しています。

 良くしたもので行く先々で私の論理話が話題となって、先日東京丸の内の国際フォーラムで開かれた全国監査委員研修会で千五百人を前に話したところ、これまた全国から大きな反響があり公園依頼など驚いています。

 体のこともあるし、やりたいこともあるし、一ヶ月に1週間は続けて休もうと心に決めておりますので、そのことがかえって日程を詰まらせているようです。吉本新喜劇のような私の話を一度聞いては如何でしょう。白色レグホンか白い猫請け合いです。えっ白色レグホンも知らないの。白い鶏も白い猫も尾っぽが白いから尾も白い(面白い)です。あっ、また駄洒落を。いえいえこれはウイットに富んだ論理です。

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○童謡を歌う

 私は只今ハーモニカに凝ってます。それというのも3年前にNHKラジオ深夜便「心の時代」に、それぞれ1時間ずつ2夜連続出演したとき、NHKのディレクターが「夕日を三つの音にしてください」と言われました。さてあなただったらどうするでしょう。変わり者の私はその時、夕日のミュージアムに設置している500万円のオルゴールで「夕焼け小焼け」を奏でました。2つ目はその日の日没が6時30分くらいでしたから、「双海町の夕日は沈むときジューンと音がします。その音をお聞かせします」と言って、妬け火箸を三本真赤に焼いてブリキのバケツに水を張った中に入れました。もうひとつは息子から貰った僅か15穴のハーモニカで赤とんぼを吹きました。

 するとどうでしょう。朝4時から5時の早朝放送にもかかわらず聞いた人がたくさんいて、全国からたくさんのお頼りやらお電話をいただきました。その数は半端な数ではなく、役場の電話がパンクするほどでした。その中に東京の目の不自由な方がいらっしゃって、お電話で「私は生まれた時から目が不自由で雄飛の美しさは分かりません。でもあなたのハーモニカで「赤とんぼ」を聞いた時、私の体感音楽というのでしょうか、死んだ母を思い出し、涙が止まりませんでした。是非あなたの案内で夕日を見たいので羽田発松山着の飛行機に目の不自由な仲間4人が乗りますので、飛行場へ迎えに来てください」と言うのです。一瞬「えっ、目が不自由なのに何で」と思いました。

 でも4人は飛行機でやって来ました。私は飛行場まで迎えに行き、シーサイド辺りを案内しながらハーモニカを吹きました。4人とも涙を流して聞いてくれました。このときの感動は今も忘れられません。余談ですが4人の目の不自由な方は私が独身だと思って、お嫁さんを探してあげるなんて気の早い一幕もありました。でもその時シーサイド公園に同様の小路を作りたいという夢が現実になって、6基の童謡歌碑が出来たのです。まさに夢はドリームではなくターゲットなのだと思いました。

 時代は変わったもので、赤とんぼなどの童謡をハーモニカで吹いて小学生に聞かせたら「それ何」でした。

 私は時々我が家に遊びにやってくるわが孫に童謡を教えています。赤とんぼも夕焼け小焼けも、海、どんぐりころころ、かえるの歌などなどレパートリーも広くなり、私が歌うと拍手をしてくれます。同様が孫の成長にとって如何ほどの値打ちがあるのか分かりませんが、孫と私の節もげなハーモニーも捨てがたいジジバカぶりでしょう。笑わないでください。

 笑売啖呵(短歌)

  ハーモニカ やっと吹けたと 思ったら その童謡(うた)なにで ずっこけました

 一度ふたみシーサイド公園の童謡の小路へ遊びに来てくださーい。ハーモニカ持参で案内します。

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