人間牧場

○徳島県鳴門市へ講演旅行

 「四国は一つ」という合言葉がありますが、同じ四国でも西の端佐田岬や南の端高知県足摺岬から、東の玄関口徳島県鳴門とでは、気候や風土も随分違って、一つどころか別世界といった感じがするのです。その象徴的高知県足摺岬へは来7月ジョン万次郎塾で出かけることになっていて、また徳島県鳴門へは幸運にも一昨日講演に招かれて出かけました。徳島県鳴門市へは高松経由と池田~徳島経由の高速道路2路線がありますが、地図上の直線距離を目測で見た限りでは、池田~徳島経由の方が近いようなので、往復そのルートを走りました。わが家を起点に車のメーターをゼロにして走り始めましたが、自宅へ帰ってメーターを見ると500キロ近くになっていました。つまり片道250キロを往復6時間かけて一日で突っ走ったことになるのです。67歳の高齢者には高速道路といいながら、片側1車線のポールが林立する狭い道はかなり神経を使ったようで、帰った日はさすがに疲れを感じさせました。最近は四国内移動でも高松等へは事故に遭わないようにと、妻に特急列車を進められるので、車での移動は久しぶりなのです。

展望台から見える鳴門海峡に架かる大鳴門橋

 今回の徳島鳴門行きが決まってから、いつものような「プラスワン」の好奇心が頭を持ち上げ、「渦潮逆巻く鳴門大橋を見たい」と思い、自宅を1時間ばかり早く出ました。途中板野のサービスエリアでトイレ休憩をしました。偶然にも愛媛県庁出身の方に声をかけられ大いに話が弾み、世の中狭いものだと思ったり、ここまで来て私を知っている人がいたことの奇遇を噛みしめました。
 高速道路を降り、市役所前を通り過ぎカーナビの案内で小鳴門大橋を渡り、鳴門公園へ行きました。家を出る時は小雨が降っていましたが、徳島池田へ入る頃には雨も止んで、幸運にも鳴門公園では暑い夏の太陽が顔を覗かせていました。駐車場で410円の駐車料金を払い、高速道路を走る車や鳴門大橋を見ながら、展望台までの急な坂道を徒歩で一気に登りましたが、日ごろ裏山散歩で慣れているだけあって大した息も上がらず到着しました。

ミュージアム入口の人工渦

 展望台からの360度の眺めはまさに絶景で、本州と四国を結ぶ鳴門大橋や兵庫県淡路島、徳島県鳴門の周辺が手に取るように見えました。名古屋から来たという観光客の人たちと親しく会話し、愛媛県や松山市の宣伝に一役買いました。勿論持っていた名刺を渡して双海町の夕日も大いに自慢しました。幸いポケットに忍ばせていた携帯電光掲示板をネクタイに着けて、これまた臆目もなく大いに胸を張りました。その後、本当は大橋展望台から通じる渦の道を見学したかったのですが、時間がなく周辺を散策しただけで引き返しました。
 鳴門市役所で部長さんや友枝さんたちと出会い、部長さんと課長さんに連れられ近くの大衆食堂へ行き、名物の鳴門チュルという細麺うどんをご馳走になりました。金時豆の入った珍しいばら寿司も美味しく満腹の手合いでした。自治連合会の総会が1時から始まり、講演までの時間を部長さんとお話して、控室でのんびり過ごしましたが、やがて始まった講演には泉市長さんも見えられ、私の話を最初から最後まで聞いていただきました。

 聞くところによると議会で私の話が出たようで、加えて前日のNHKテレビ「西日本の旅」が全国放送されていて、その番組を沢山の参加者が視聴していたようで、会場は満席でした。参加者の反応も良くて大いに盛り上がりました。この日は難聴者のために手話解説の人が私の横で手話サービスをしてくれたり、地元のケーブルテレビが陣取って、私の話の一部始終を映像に納めていました。
 自治連合会からワカメのお土産をいただき会場を後にして、徳島インターまで走り、そこから一気に伊予インターまで帰り、夕暮れ間近なわが家へやっと辿り着きました。日ごろの行いが良かったのか、好天という幸運にも恵まれました。また参加した何人かの人から名刺をいただき、また早速メールが届く等、新しい出会いの予感が始まって、いい小旅行となりました。

  「渦潮や ワカメ・大橋 あれやこれ 知名度抜群 鳴門いいとこ」

  「私には 鳴門といえば 賀川さん ノーベル賞の 候補なった人」

  「年末に なると鳴門を 必ずや 第九発祥 思い浮かべる」

  「いいまちへ 乗り込み私 話する 臆目もなしに 見上げた度胸」

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