人間牧場

○里山拡命がテーマの第30回記念逆手塾(その1)

 昨日と今日の2日間、広島市庄原市総領町のふるさとセンター田総で、「里山拡命」をテーマにした第30回記念逆手塾が開かれ、記念講演に招かれました。送られてきた案内状に「ねらい」と題して次のようなメッセージが載っていました。

 あの「3.11」を契機に、「金が一番」の物差しが変わろうとしている気配です。「金よりも大切なもの=いのち・いい人間関係・役立ち感」にこだわってきた私たちの里山暮らしが見直されようとしています。「過疎を逆手にとる会」を組織して30年、理念は理解されても、現実は「限界集落」だらけ、「傍流」の中であがき続けています。でも、その「あがき」が、「希望」を失ったニッポンを元気にする大切なものを届けることになると確信しています。
 すべてを人のせいや政治のせいにして、私が変わること、私が変えることを忘れて、「復興!」のスローガンだけが目立つ今、「ニッポン復興大反対!」をテーマの奥に秘め、「希望」を取り戻す記念の逆手塾を目指します。
 大木も枝葉が枯れたらお終いです。「持続可能な社会(生き方)を理想とする時、決め手は「里山暮らし」。エネルギーも食料も自給の可能性のある里山。人間が求める究極の「役立ち感」も手に入り可能性が高く、 ちょっと重いけれど「絆」もある里山暮らし。人と自然が響存し笑顔があふれる社会=里山を、日本再生のキーワードとして、「里山拡命」をあなたとやりたいのです。
 「里山拡命」の戦士は、「里山(さともり)です。「里人」とは、「里山暮らしの達人=里山を食い物にすることが出来る人間」です。そのことにより、限界集落化するふるさと(地方)を元気にし、自分も元気になり、倒壊寸前の日本を救うことにもなる人間です。ここに集われた「あなた」です。そして、「私」です。

 この過激とも思える「ねらい」を読めば、通称過疎逆という団体を知っている人はそれなりに理解できても、おおよその人は「この研修会は一体何を目指しているのだろう?」と、首をかしげるに違いないのです。しかし、そのくらい過疎逆が30年で培ってきた田舎からの主張は、ある意味理論的である意味深い意味を持っているのです。
  過疎を逆手にとる会が、山深い中国山地で産声を上げた30年前といえば、農山漁村から人が減るという過疎問題が私たちの田舎で真剣に議論され始めた時期でした。過疎を克服するため様々な議論が行なわれ、その手立てとなる計画に沿って様々な施策が実施されたのです。しかし皮肉にも過疎計画が目指した夢のような人口倍増計画は、やればやるほど過疎を助長するという皮肉な結果を生んで、その帳尻合わせとして平成の市町村合併が行なわれ、何の成果も得ぬまま、何の検証も行なわれぬまま、また誰一人説明責任を取らぬまま放置され、現在に至っているのです。

 私にとってもこの30年は、地域づくりに明け暮れた時代でもありました。ゆえに華々しくアドバルーンを揚げて活躍する過疎を逆手にとる会の運動や活動を、ある意味羨望の眼差しで見てきました。そして過疎を逆手にとる会に続けとばかりに、同じような運動や活動を起動してきたのです。私の活動や運動は過疎を逆手にとる会とは、多少方向を異にしながらも今日まで続けていますが、残念ながら同じ頃全国各地で起こった村おこしやまちづくりと称する活動は、矢折れ刀尽きて見る影もなく消滅していのです。
 「過疎を逆手にとる会」が「逆手塾」と名を変え今日まで続いていることや、それを検証しながら新たな出発をしようとしていることには多いに喜ばしいことなので、深い親交のある逆手塾会長の和田芳治さんから記念講演のお誘いを受けた時、一も二もなく引き受けました。そして逆手塾の戦士である和田さんはじめ、宮崎さん、田中さんたちの顔を思い浮かべ、再会を楽しみにして乗り込みました。

  「逆手塾 三十周年 来ないかと 親友誘われ 一人出かける」

  「激動の この三十年を 振り返る 私にとっても まさに激動」

  「あれほどに 過疎に危機感 持ちながら 何も糸口 見つけぬままに」

  「お互いに 歳をとったと 苦笑する あのころみんな 元気だったな」

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