人間牧場

〇歩いて初詣

 普通の年だと長男と一緒に午前0時を期して、三島神社へ初詣に行くのですが、今年は大晦日に疲れてぐっすり寝込んだたため、長男だけが出かけたようです。雑煮を食べ、早めに配達された500枚を超える年賀状に目を通し、年賀にやって来る親類縁者とあいさつを交わしていると、あっという間にお昼になりました。今朝は朝の雑煮事が忙しかったため、一区切りついたところでいつものように少し眺めの散歩に出かけました。山道ゆえ少しだけ汗をかいて自宅へ帰ると、「お父さん、今日は風もそんなに強くないので、歩いて三島神社と天一稲荷神社へ初詣に行かない」と妻が言うのです。その言葉に誘われて、昼食後少し温かい服装をして出かけました。自宅から役場の前、4丁目を通ってシーサイド公園通りに出て、国道の歩道を歩きました。少し北寄りの海風が吹いていましたが、歩くほどに体が温まり、長い石段を一気に三島神社まで休むことなく上がりました。

 普通だと「フーフー」言うはずの妻も、毎日勤めている歯科医院まで朝・昼・夕と一日3回意識的に歩いて往復しているためか、まったく疲れを感じさせない健脚ぶりで、お互いがお互いを褒め合いました。この歳になると日常的に体を動かすことは何かと億劫で、特に寒い冬は着膨れして動きにくいものなのですが、去年の秋妻がぎっくり腰になって難儀をしたことを教訓に、歩いたり腰痛体操をしたりして体を動かしているのです。
 私も毎日自分の体力づくりの裏山フィールドを持っているため、誰に気付かれることもなく、年中思い切り散歩ができ、森林の頂上で毎日行なう自分流の体操のお陰か、去年一年間は整体医院のお世話になることもなく健康で過ごすことができました。

 さて私は無信心なため神社やお寺にお参りしても、余り念入りにお願いをしません。今日の初詣も二礼二拍手一拝をして、「家族みんなが健康でありますように」くらいで終るのですが、妻は相変わらず沢山の願い事をしているのか念入りで少し時間をかけていました。お賽銭は妻が用意してくれて、「15円で十分にご縁がありますように」でした。さすがに近所の氏神天一稲荷神社では50円を賽銭箱に入れましたが、これくらいのお賽銭で願いが叶うはずはないのです。
 妻はちゃっかり100円硬貨を入れて効果があるよう祈っていました。妻のもっぱらの気がかりは、やはり適齢期を過ぎつつある二人の息子の結婚のことのようで、正月休みで帰郷した息子たちに顔さえ見れば、結婚の話をしてるようですが、二人の息子は馬耳東風とばかりに聞き流していました。

 無信心という口の下、神様がいるとすれば妻の願いを叶えてやって欲しいと願うのも親心でしょうか。結婚が全てではありませんが、結婚もまた人生の全てだとも思うのです。もし私や長男が結婚していなかったら私の子どもも生まれていなかったし、息子の子どもも生まれていなかったことでしょう。子孫を残すことは人間が生きてゆく上で極めて大事なことなのです。わが家は祖父母が12人の子どもを産み育て、父母が5人の子どもを産み育てました。私たち夫婦が4人、息子夫婦が2人と数は次第に少なくなっていますが、まあ時代を背景にそれなりに社会貢献しているのです。
 氏神様への初詣で妻がお願いしたことが、吉となって欲しいと思う今年の初詣でした。今日は初詣のお陰でかなり歩いていい運動になりました。

  「氏神に 夫婦仲よく 初詣 妻は年入り 私ゃ簡単」

  「神が言う 願い聞くには 安過ぎる 賽銭ちびり 音がシンプル」

  「親は子が 幾つなろうと あれこれを 心配しつつ 年をとるもの」

  「願い事 神社梯子し 手を合わす 最後はやはり 神頼みです」

 

 

[ この記事をシェアする ]