shin-1さんの日記

○親父の手術

 昨日入院した親父の手術が午前9時からというので、私は午前7時に家を出て県立中央病院へ向かいました。今朝は梅雨空で朝から雨が降り始めていましたが、少し早く家を出たため比較的空いていて7時30分には病院に到着しました。県病院はただ今老朽化のための建て替え中で、駐車場が少ないため早く行かないと駐車ができないのです。

 親父の病棟は本館5階東病棟211号室です。既に気の早い患者さんが受け付け付近には沢山来られていて、エレベーターも混雑していたので、体力づくりのつもりで階段を一気に駆け上がりました。

 気の早い親父はもう手術モードで、手術着に着替えて待っていました。腕にはコードナンバーの腕輪や点滴の管が差し込まれ、比較的元気な朝を無勝てていて少しホッとしました。

 半身麻酔の同意書が見つからず作り直したどたばたもありましたが、車椅子に乗ることもなく親父は二人の看護婦さんに連れられ、姉夫婦、妹、弟、それに私を引き連れて2階の手術室へ歩いて行き、手術室の中へ消えて行きました。半身麻酔で手術すること、時間は約2時間かかること、病気の様子などを前日親父と二人で、石から図を描いて聞いていたこともあって、手術中の2時間は病室のロビーで兄弟5人が雑談しながら待ちました。ロビーには親父のベッドが運び出され、看護師二人が慌しくベッドメーキングしたり酸素を取り付けたりしていました。

 「もうそろそろ手術が終わる時間かな?」と時間を気にしていると、看護師さん二人がベッドをエレベーターに乗せて手術室へ迎えに行き、親父を寝かせて帰ってきました。

 半身麻酔のせいか親父の意識もしっかりしていて、手術は無事終わったようでした。おっつけ後を追うように上がってきた医師の先生から、「手術は無事終わりました。経過も順調です」と立ち話で概略を聞きました。親父も私も、勿論心配して駆けつけてくれた兄弟たちも安堵の胸を撫で下ろしました。

 親父は若い頃顔面にできたガンで大手術をし死の淵をさまよいながら九死に一生を得ました。大陸に戦争で従軍した折傷痍軍人になったことを含めるとよくぞ命がと思うのです。その後も脱腸手術、動脈りゅう手術、白内障の手術など、まあ病院とは縁の切れない人生のようですが、それでも91歳の今日まで元気で長生きし、ボケることもなく今も元気ですから、有難いことなのです。その後先生から諸々の説明を受けましたが、この上は一日も早く良くなって、また元のように元気で暮らして欲しいと願っています。

 手術の疲れでウトウトしていた親父も兄弟が帰って私と二人だけになると、目を覚まして色々な話をしました。今晩は傷がうずくかも知れないと、泊まることを覚悟でいましたが、麻酔が元に戻ってもそれほど痛みがないのか、昨日今日と私に随分迷惑をかけたことを感謝しながら、疲れているので家に帰ってぐっすり休むよう勧めてくれました。看護師さんにその旨を話し、親父の洗濯物を持って夜我が家に帰ってきました。和歌山に住んでいる私の弟も親父のことを心配しているようだったので電話で手術の様子を知らせてやりました。

 今日は一日中雨でした。親父のいない隠居はガランとしていました。4~5日の入院と聞いていたので、来週後半には親父が帰ってきて、また隠居に暖かい灯が灯ることでしょう。


  「手術終え ベッド寝かされ 戻り来る 親父も安堵 兄弟安堵」

  「半身に 麻酔効いてる 親父だが 早く帰れと 私を案じ」

  「横たわる 親父の手握り 話し込む いつの間にやら か細くなりて」

  「山坂を どれだけ越えた 数知れず 今日も大きな 峠を越えて」      


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