shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年9月10日

○通夜でのお坊さんの教え

 田舎に住んでいると、私のようによく家を空ける人間にとっては、近所で起こった出来事する知らないことがいっぱいあるのです。「海岸国道のあそこで自動車の衝突事故があった」とか、「あの人が怪我をして救急車で運ばれた」とか、はたまた「あの人は入院しているがどうやら病状が思わしくない」などなど、好ましくない話題も結構多く、今ではすっかり蚊帳の外になっている自分を腹立たしく思ったりすることがあるのです。幸いわが家は妻が近所の歯医者さんに勤めていて、この手のうわさは散髪屋や風呂屋、医院が火元と言われるように、あることないことの話題を知ることができるのです。

 田舎は遠縁だったり縁もゆかりもなかったりしても、葬儀には参列する風習のようなものがあって、そば耳を立て網の目を張っていなければ、ついうっかり葬儀に行くこ時期を逸することだってあるので、特に新聞のお悔やみ欄には目を通すようにしているのです。しかしお悔やみ欄で通夜や葬儀の情報が分っても、予定が立っている私には参列も叶わず、香典を知人に託すこともあるのです。

 先日友人のおばあちゃんが亡くなりました。その情報は新聞のお悔やみ欄で知ったのです。しかし葬儀のある時間はどうしても外せない予定があって、どうしようか悩みましたが、通夜に参列することだったらできるかも知れないと、夕方出かけて行きました。自宅で通夜をするという話を聞いていたものですから、近所に車を止めて歩いてゆきました。初秋のこの季節は午後7時はもう暗くなっていて、通夜の寂しさがそうするのか何処か沈んだ気持ちで受付を済ませて中へ入りました。

 通夜は隣組の人も大勢駆けつけ足の踏み場もないほど室内はいっぱいでした。順次亡くなったおばあちゃんの前に進んで穏やかな顔を拝ませてもらいました。やがてお坊さんが枕教のためにやってきました。お坊さんは念入りなお経をあげた後、おばあちゃんの枕元で説教をしました。故人へのねんごろな言葉と縁者知人への戒めの話はとても参考になるお話でした。

 お坊さんは「人は二度死ぬ」と「欲しがるものと与えるもの」について話されました。「人は二度死ぬ」という話は最初「えっ」と思いました。一度は本当の死です。もう一度は人に記憶から消えるときだそうです。特に人の記憶から消えないようできるだけ故人のことを思って欲しいということでした。確かにわが母がなくなって10年が経ちましたが、死んだ直後から比べると母の記憶も薄れています。今一度そのことを思いながら過ごそうと心に念じました。もう一つの教え「欲しがるものと与えるもの」の話も納得しました。人間はえてして欲しがるものです。金品や地位、名誉など数得ればきりがないほど欲張りです。特に最近は自分のことしか考えない人も多いようです。もう少し人や社会や自然に与えることを考えればどんなにか社会は明るくなることでしょう。

 通夜の説教で、何気なく見過ごされている私たち人間の日々の暮らしのあり方を、随分分り易く教えていただきました。これも故人の人徳と受け止めて、おばあちゃんの在りし日の姿を思い出しながら自宅へ帰りました。妻は玄関先にお皿に塩を入れて待ってくれていました。これも妻が私に与える気配りとして、有り難く体と心を清めその話を妻にしてやりました。


  「お通夜でも 坊さん説教 身に染みて 二つのことを 教わりました」

  「二度死ぬと 言われて『えっ』と 思ったが なるほどそうか 殺しちゃならぬ」

  「欲しがるな 与えた方が 上手く行く そうは言いつつ 欲の塊」

  「玄関に さりげなく置く 皿の塩 妻の配慮に 感謝しつつも」