shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年5月19日

○子どもを守り育てる

 「私たちの子どもの頃は・・・・・・」とついつい口に出る話は、平成の時代が19年間も続くともう昭和の話しなど昔話になってしまいました。ましてや戦後の緩やかな時の流れとは比べものにならないほどのスピードで世の中が変化し、時折ついて行けないような気持ちにもなることがあります。私たちが子どもの頃は田舎にも人が溢れ、子どもの数も相当いて学校は田舎ながら必ず学年2クラスもありました。小さな校区なのに分校が2つもあって4年生になると閏住分校から、中学校になると富木分校からそれぞれ同級生が編入され、それは賑やかでした。いつの頃かその分校も統合によって火が消えて本校といわれた小中学校さえ児童生徒の激減で複式や統合がささやかれているのです。

 そんな子どもを巡る教育事情は地域にも暗い影を落とし、学校の統合は地域が消えるととばかりに地域の猛反対にあって中々統廃合が出来ない状態が続いているようです。小さいながら教育長として教育行政を預かった経験からいうと、いじめや教育基本法もさることなながら、田舎の児童生徒の減少こそ「教育の危機」だと思っています。私の学校教育に対する基本的な考え方は、「小学校は児童が歩いて行ける距離に設置、中学校は学力重視、活動重視で統合」でしたから、当面わが町に2つある中学校は統合を急がねばなりません。部活もままならないようでは子どもたちの将来に禍根を残すと、2年間の教育長時代に統合の道筋を(地域と行政の合意)つけたつもりでしたが、未だにその方針が実行されないのは怠慢では済まされない大きな問題だと思っています。波風や反対を恐れては何も出来ないと思いつつ、一線を去って影響力のないわが身のジレンマを寂しく感じてい増す。

 私たちの子どもの頃には何処にでもあった子ども会がなくなりました。私たちにとって子ども会は楽しくも思いで多い子どもによる子どものための活動でした。季節ごとの催しがあり、補修的な勉強も子ども会でやったものです。また公民館の掃除や村祭りの参加など子どもの社会活動も活発で、生き生きと輝いていたように想うのです。

 一昨日園芸組合の総会に招かれ会場となった下灘コミュニティセンターに行きました。センターの二階には児童館のような部屋が2つあり、地元の子どもが熱心に勉強したり楽しそうに遊んでいるのです。これは児童数の減少に対応して放課後の安全と有効活用を考えて設置しているものです。予め登録された児童たちは学校が終わるとこの部屋に直行して、指導員の女性2人の指導の元宿題や読書をして過ごすのです。児童たちの家庭は農業や漁業なので帰ってもかぎっ子なので、勉強が終われば夕方まで児童館やその周辺の遊び場で過ごし、夕方になると迎えの車でそれぞれの家へ帰って行くのです。この方法は行政も学校も地域も家庭も、子どもまでも全幅の信頼を得て運営されていますので、俗に下灘方式としてすっかり定着しています。むしろ子どもが少ないことが生んだ知恵として高い評価を受けているのです。

 中に入って子どもたちに話しかけても実に子どもらしい反応が返ってきます。青少年おもしろ教室の代表をしていることもあって顔見知りの子どもも多く、私の事を「進ちゃん」などと愛称で気軽にすり寄ってくる子どもたちと1時間余り会話をしましたが、実に素直な子どもたちです。嬉しいのはインストラクターやアドバイザー、サポーターのような役割を一手に引き受けている2人の女性の存在です。子どもは放っておいたら無秩序になりますが、教育一つで整理整頓や相手を思いやる気持ちがどんどん育つのです。見るからにいい運営が出来ているなと思いました。

 子育ては自分の家庭だけでは絶対出来ません。子どもにとって子ども社会や遊びでの学びが重要な意味を持っています。この児童館には子ども社会と遊び、学び、躾、秩序があるように感じました。子どもを守り育てることの難しい現代の知恵袋なのかもしれないとほのぼのとした気持ちで部屋を出ました。子どもたちが「また来てね」と笑顔で手を振り見送ってくれました。

  「本を読む、宿題もする 子どもたち 学びの多さに 思わず拍手」

  「田舎ゆえ 出来る知恵あり 児童館 まるで蜂の巣 子ども歓声」

  「伝記読む 子どもに自分 ダブらせて 夢を描いた 懐かし日々を」

  「パソコンの ゲームオープン これがいい 巣篭もりしない 友とワイワイ」

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