shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年3月19日

○雪の久保田城界隈・秋田ルポ②

 秋田県へ出発する数日前から寒波がやって来て、北国は思わぬ雪だとテレビで紹介されていたので、あるいは雪に埋もれた秋田を見学できるかもしれないと、横手のかまくらなどを頭に描いていましたが、残念ながらそれほどの雪はなく、少々ガッカリしました。それでも朝な夕な入る妻からの携帯電話の声は、「お父さん、いい所に行けていいねえ。雪と食べ物が羨ましい」と言うのです。確かに雪はありましたが、名残の雪程度で足元にはまったく雪を踏みしめる感覚はなかったのです。それでも初日に桜庭さんに案内された感を頼りに、朝6時に思い切って戸外へ散歩に出かけました。久保田城界隈は急な寒さのせいでしょうか人の姿はなく、昨晩降ったであろう薄い春雪を踏んで城山に登りました。

 私は城といえば松山城のような高い山の上にある城を思い浮かべるのですが、久保田城の城山は小高い丘のようで、何の造作もなく登れるのです。城に通じる道を登ると直ぐに城門が見えました。この城門も松山城の頑丈な造りではなく中世後期のような風情でした。

 聞くところによると関ヶ原の合戦の後、常陸の国から国替えになった初代秋田藩主佐竹義宣が、翌慶長8年に現在の千秋公園にに久保田城を築いたそうです。公園内には御隅櫓や御物頭御番所、久保田城表門などがありました。冷気漂う雪の久保田城界隈をカメラで追ってみました。

(本丸より一段下に広場がありました。うっすらと雪化粧していい雰囲気です)

(その横に歌人の若山牧水親子が詠んだ句碑が建っていました)

(私たち四国の人間には何とも魅力の雪吊り風景です。梢から放射状に張り巡らせた藁縄が見事に冬を演出していました。一昨年は大雪で大活躍の雪吊りも今年は暖冬の影響で役割を果たせなかったようです。

(久保田城の庭園池です。雪を被った庭石や木々はまるで雪舟の水墨画を見ているようでした。

(秋田藩初代藩主佐竹義宣の銅像です)

(久保田城の本丸といったところでしょうか。)

(城を一巡して宿舎であるキャッスルホテル近くまで帰ってきましたが、城の向こうには川が、直ぐ下には堀が巡らされていました。)

(かつては秋田市一の賑わいを見せたお堀に面した中心市街地も、郊外に店が進出し空洞化が目立つようです。ひさしのように片屋根を張り出したアーケードは雪国ならではの風情がありました。)

 知らない土地ながらお城を中心にたった一人で道案内も地図もなく意の向くままに歩き回り、何と2時間足らずで私の携帯についている万歩計は1万歩を超えていました。寒いといっても風がなく、半コートのポケットに片手を突っ込んで元気よく北国の朝を散策しました。知らない土地を歩くのは楽しいもので、道端の木々やマンホールの蓋さえもタウンウォッチングの対象物なのです。時折立ち止まってデジカメを向けると、通行人が不思議そうに私の姿を眺めながら通り過ぎてゆきました。

 私にとって秋田は思い出の地です。といってもまだ今回が3度目なのですが、一回は青年時代愛媛県の国内研修生の一員として青森や北海道を訪ねる旅の途中に立ち寄りました。もう一回は教育委員会で社会教育を担当していた頃、当時の小畑秋田県知事さんが推進する秋田の生涯教育を知りたくて、旅の途中に立ち寄りました。当時は生涯学習などという言葉すらない時代でしたが、既に出来ていた県の生涯教育センターを見学し感嘆の声を上げたものでした。車でその横を通った折昔の懐かしい思い出が蘇ってきました。

 私は日本全国を旅していますが、もう一つの期待はご当地自慢の夕日に出会うことです。残念ながらどこの土地を訪ねてもその時間に集会がダブって中々見れないし、時間があっても天気も見方してくれません。秋田へ入ったその日は時間はピッタリなのですがあいにくの天候でした。でも小雪ちらつく天候なのに夕方急に宿舎のキャッスルホテルの西側が急に明るくなって、綺麗な夕景が見えたのです。私は寒い風が部屋の中に入るのを我慢して思い切り窓を開け、北国の夕日をカメラに収めました。ビルの谷間に沈む秋田の冬の夕日です。ラッキーな一日でした。

  「城に降る 白い粉雪 雪舟の まるで水墨 絵を見るように」

  「秋田にも 夕日沈むや 窓の外 雪に照り映え 金色色に」

  「城を行く われ足音の 他になく サクサクサクと 雪をかき分け」

  「枝吊が 似合うお城の 雪景色 まるで扇子を 逆さにしたよう」


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