shin-1さんの日記

○コナンの里へのメッセージ③

 鳥取県北栄町へ行くのには、色々なルートがあります。山陽の岡山を基点にすると普通は高速道路山陽道から米子道を経て

湯原ICで降り、国道313号で関金温泉を通るルートがありますが私は時間的な制約もあって往路はこのルートを走りました。帰りは少し余裕があったので違うコースを通ろうと三朝温泉国道179号を走り人形峠を越えました。


 長閑な春の日差しや好天にも恵まれ奥津温泉で一服して旅の気分を味わいました。観光を考える場合誰にどんなルートで来てもらうかは重要なことです。湯原や奥津といった峠道の拠点に町を宣伝するパンフを置いたり情報を流したりすることは重要なことなのです。湯原も奥津も残念ながら鳥取県ではなく岡山県のためそうしたお願いは出来にくいものなのでしょうが、実はこれが大事な仕事であることも頭に入れておくべきだと思うのです。北栄町の周辺には関金温泉、三朝温泉、東郷温泉、はわい温泉という全国的に見てもかなりハイレベルな温泉がひしめきあっていますし、倉吉の町並みもそれなりに高い評価を得ています。また鳥取砂丘もあるのですから、そうした観光資源を活かさない手はありません。是非一考を願いたいものです。

(何かに活かしたい昭和ロマン漂う元銀行の建物)

(景観上何とかしたい建物)

(何気なくあるが景観として立派な古民家)

(古いポスト景観に一役、だが電柱が邪魔)

(ホッとする街の中の緑の庭園)

 景観を知らずに観光を考えた場合、かえって景観を壊す場合があります。それは看板です。今北栄ではまち歩きに便利にしようと町内に説明のための看板を設置する事業が進められているようです。この日のまち歩きでも看板を設置する現場に出会いました。コア抜きで穴を掘り看板の足を取り付ける作業をしていましたが、どうも気になって仕方がないのです。今はCGなるものが進んでいる時代ですから、看板のない写真に看板を落とし込んでそれが適当かどうかシュミレーションして検討するくらいな発想は巡らさないと思わぬ失敗を招きます。

 ここまで進んでいることに口を挟むのはどうかと思いますが、少し専門家の意見を聞くべきなような気もしました。最近は公園にゴミ箱を置かないとか、公園に看板を立てないとか、電線を地中化するとか様々な警官に対する配慮がなされる時代になってきました。それは見た目に美しいからです。環境コーディネーターの宮本孝二郎さんは「ある調査によると、まちのイメージをつくる最大の要因は『見た目』が90%である」と言っていました。私もその意見には同感です。私の町が花作りに取り組んだり、海岸国道16キロのガードレールを白帯型から薄青パイプ型にしたのも見た目の美しさを追求するためです。人は気付かないようでも感じがいいと思うものなのです。


 例えば北栄町の奥にダム湖があります。人造湖ながらそのダムはえん堤が石張りでできているためとても辺りの自然にマッチしているのです。ああいいなあと360度の視界を見渡したとき、突然視界の中に発電用の風車が飛び込んできます。何年か前まではこの風景が珍しく、風車でまちおこしなんて時代がありました。クリーンなエネルギーですからこれこそ地球に優しい国策だと思うのです。しかし最近では無秩序とも思えるように立てられた風車群は景観を壊すとまで言われ始めてきました。景観を遮る風車については異論の分かれるところなので余り述べませんが、この議論こそがが景観理論なのです。

 景観という視点で町を見渡してみると残して置きたいものと無くして欲しいものが見えてきます。

 川原に雑然と積まれた石積みは貴重な景観です。「えっ、これが景観ですか?」と言われそうですが、この石積みには必然性があるのです。この石積みが殺風景なコンクリートで固めた皮をどんなにか癒しの空間として表現しているか分りません。石積みの上に生えているススキだって立派な景観として役に立っているのです。まちをもう一度景観という視点から見つめなおしていただければ幸いです。

  「あっそうか 意付くところに 意味がある 奥は深いね まちづくりとは」

  「同じこと 聞いても 気付かぬ 人もいる 無知ほど怖い 行政はない」

  「看板が 看板倒れの 町となる よくよく考え 看板立てよ」

  「峠とは 山の上下 字の如し 人は何処から 何を求めて」

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