shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年2月21日

○同じ境遇の人間

 私は一昨年まで35年間役場に務めました。おおよそ下積み3分の1、中間管理職3分の1、管理職3分の1くらいの割合で仕事をしました。また3分の1を教育委員会で社会教育、3分の1を産業課・企画調整室でまちづくり、地域振興課でまちづくりと拠点づくりなどの住民活動を担当しましたが、振り返って思うにどの部面でもそれなりのしんどさと面白さがあって、過ぎてしまえばよき思い出となっています。

 昨日鳥取県北栄町へまちづくりのお手伝いに出かけました。10月に講演と委員会の助言に出向いたことは3回シリーズで前にも詳しく書いたし、今回も気がついたことを補足的に書くつもりですが、昨日の夜委員会が終わってごく内輪の企画課の職員さんと私の宿泊場所で懇親会をやりました。酒の飲めない私は終始ウーロン茶でお付き合いをしましたが、課長さんと話しているうちに何だか今の課長さんの立場がかつての私の立場とよくい似ていることに気がつきました。

 この課長さんは今回のコナンの里づくりの発案者であり掲引者なのです。したがって間近に迫ったコナン記念館の計画や設計から資金調達、それに職員養成から著作権者との折衝まで全てを一手に引き受けてやっております。コナンと夕日という地域資源やテーマこそ違え、同じようなまちづくりのストーリーなので住民・職員・町長・議員・業者・団体という大別すると6つのジャンルそれぞれのボールをそれぞれとキャッチボールしながら、苦労しているのです。

 私が訪ねたその日も、昨日まで著作権のことで日帰り上京して思い仕事を処理し、昨日は議会で随分議論のボールが飛んできたようでした。

 コナンという漫画をテーマにした仕事は私がやった夕日のミュージアムと同じで、普通の建築事業ののような設計者・施工業者と発注元という関係がきちんと分別することが出来ず、その都度議会に厳しく指摘されました。勿論やましいことなどないのですが、極論そんな言い方をされるものですから随分悩んだものです。

 「赤字になったら、人が来なかったらどうするのか」と詰め寄られ、挙句の果ては「赤字になったらクビニしてやる」とまで言われました。でも「赤字になったら黒いボールペンで書く」なんて言って、火に油を注いで激怒したその議員さんが、年間55万人も来るほどに成長した姿を見て「わしも最初から人が来る思いよった」と、私に話す姿は田舎の笑い話で済んでしまったようです。

 この課長さんと私の共通する点はまだまだいっぱいありました。一点突破主義の情熱や、町を愛する気持ちはいずれ劣らぬどっちこっちです。多分それは過去の共通点まで遡る若い頃の実践ではないかと思えるのです。この課長さんは駆け出しの頃町の広報を町長さんに請われて担当したそうです。3年間で全国広報コンクールの入賞を果たすという約束を守った実力者なのですが、私は全国広報コンクールのような形式を重んじる新聞作りのやり方は逆に嫌っていて、一度も応募をしませんでした。でも町長に懇願された境遇もよく似ています。月に2回、10年間で240号をたった一人で、しかも社会教育をやりながら激務に耐えてこなしました。でもそのもの書きの仕事が今にして思えば私の理論のや論理の基になっているのですから、私に劣らぬこの課長さんもかなりの論客とお見受けしました。

 人は苦しい時、「給料も同じなのになんで俺だけが」と同僚を羨ましく思うものです。でもその時の汗から生まれた知恵はその人間の大きな力となっているのです。余談ですが結婚披露宴の司会を537組やった経験が人の前で話せる術を学ばせたことも今となっては大きな財産となっているようです。

 課長さん、今はしんどいけれど、町を愛する、町のためにやる、町を正しい方向に導くという3つを胸に頑張ってください。

 成功を祈ります。それにしても大分県大山町の緒方さんといい、広島総領町の和田さんといい私のよく似た大馬鹿者がいるものです。

  「広報も 結婚式の 司会さえ 今となっては 大きな力に」

  「飛んでくる 反対弓矢 払いのけ 成功信じて やるしかないよ」

  「部下たちは あなた信じて 見ています あなたの生き様 道のしるべに」

  「それぞれの 町にそれぞれ 苦悩あり 一つ超えれば 次なる山が」

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