shin-1さんの日記

○遅咲きだっていいじゃない

世の中はまさにスピード時代、東京大阪間が3時間なんて夢のまた夢と思っていたのに新幹線ののぞみに乗れば寝る間もないほど早く着くし、飛行機だとわが家から東京までは2時間で着くのですから凄いものです。しかしこんなに目を見張るようなスピードで世の中が進んで距離的に遠いところが近くなっても何か満たされた気持ちになれないのは、やはり人間のもつ「更に」という飽くなき欲望のせいだと思うのです。貧乏な戦後の時代には日々満腹であれば満足だったし、お金もそこそこで幸せでした。ツギハギのあたった洗い古しの着る物だって別に気にもせず元気で、冬の寒さなどしもやけやアカギレでもアオバナを垂れながら戸外で元気に遊んでいました。そんな時代から見ると今の私たちの暮しは一億人総セレブって感じなのです。

 セレブという言葉が最近は流行って、テレビでは連日お金持の皆さんがさりげなくおすまし顔で紹介されています。そんなテレビを見ながら水道代や電気代が高いと、家計簿をつけている妻は「ある所にはあるもんじゃねえ」とか、「どがいしたらあんなお金持になるのだろう」とため息を出し、「あなたの稼ぎが悪いから」と言わんばかりに視線の先を私に向けているような気持ちになるのです。「あれは特別な人、いいじゃないか幸せなんだから」という言葉も何処か元気がないのです。

 でも最近少しずつスローな生き方も見直されてきました。ビンボーさんや脱サラ田舎暮らしが取り上げられ、ビンボーな暮しも、田舎の時間に縛られない暮しも何故か生き生きと輝いているように見えるのです。

 若い頃中根千恵の「遅咲きの人間学」という本を読みました。多分島根県の永田征さんが私に送ってくれた本でした。今も人間牧場の本棚に置かれていると思いますが、あの本を読んで随分気が楽になったように昔日を思い出すのです。世の中は目に見えない競争社会です。小さな田舎の役場でさえも昇進や出世という一年に一度の人事異動が妙に気になるものなのです。体調を崩し漁師から公務員に転身した時も、町名変更の責任を取って異動させられて時も自分に納得させたにもかかわらず、何故か負け犬のようなむなしい気持ちになったのは、やはり競争社会への意識があったからに違いありません。でもこの本に助けられました。「ひたむきに充電」する、それは厳しいいけれどトンネルの向こうには遅咲きながら必ず花が咲くことであり、その日の来るのを信じていました。

 「遅咲きの人間学」は自分を見失わないことでもあります。人生高々80年、自分らしく生きようと思えばこんなスピードの時代でも案外開き直って生きれるものなのです。これまで62年間を生きてこられたのはやはり自分を見失わなかったからかもしれません。

 私たちの住んでる田舎でも農業や漁業さえスピードが求められる時代です。農家はハウス栽培と称してミカンの木をビニールのハウスで覆い、12月には暖房を入れて季節をコントロールし、秋の果物だったミカンは夏の食べ物になりました。ミカンの木はこうした人間の自然を無視したやり方に悲鳴をあげていますが、それでも生き残るためには仕方のないやり方として受け入れているのです。漁船は先を争うために高速エンジンを搭載し、全ての漁船がバルボアという格好悪いコブを船首部分に取り付けてスピードが出るようにしています。でもそんなスピードの時代にもスローな農業やスローな漁業でしっかりと生きている人もいるのですから、面白いものです。

 スピードを出すと思っても出なくなった自分ですが、残された余命はせめてスローな生き方をしてみたいと思いつつ、今朝もハイスピード情報化社会の申し子といわれるパソコンに向かい、相変わらずスピードの恩恵に浴しているのです。

  「遅くとも いいと言いつつ スピードを 求めてパソコン 使ってメール」

  「遅咲きを 期待したけど 咲かぬまま 終わりそうだな 俺の人生」

  「もう下り 登りきらずに 降りてゆく 目標少し 低き反省」

  「金もなく よすがなくして 自由人 さっぱりしてる 今のわれ見て」 

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