shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年8月24日

○息子の就職活動

 次男が「お父さん、僕もう一度学校へ行こうと思う」と言いだしたのは今から4年余り前でした。「えっ、これから5年間も学校へ行くの?」なんて思ったのは当然かもしれません。高校を卒業して直ぐに就職した息子は、自分が見つけた会社に入りそれなりに頑張り、8年間も真面目に務めたのでした。一度就職したらそれを天性の仕事にすることが一番と思っていた親にしてみれば青天の霹靂でした。それでも息子が勉強したいと言うのだからと渋々OKし、「勉強することはいいが、看護学校は難しいそうだ。8年間も勉強から遠ざかって入学試験に合格できるのか」と念を押したら、「とにかく挑戦してみる」と意欲満々でした。結果的には合格し彼の挑戦が始まったのです。勿論趣味で続けている演劇も両立させたいとのことでした。息子を信じてはやりたいが、はてさて続くかどうかと思ったものでした。蓋を開けてみると彼なりに努力した結果金の要らない特待生に選ばれ、2年生から専攻科の今日まで授業料免除の金運を射止め、親の眼から見ても頑張る姿はいじらしい程でした。看護士を目指すそもそものきっかけは長女、つまり次男にとっては助産婦をしている姉の存在が大きかったようで、陰に陽に姉のアドバイスを貰って、やっと来春は卒業見込みとなりました。

 今は来春の卒業に向けて就職活動の真っ最中で、自分の肌にあった病院の就職試験を受けています。先日は意中の病院の試験に臨み、今日は第二の希望先の受験に出掛けました。昨日のことです。病院実習を終えて帰ってきて、留守中親父が預かった自分宛の書留封書を受け取り開封するなり「お父さん○○病院から合格通知が届いている」と大声で叫ぶのです。この病院は受験生にとって人気も高く難関だと思っていただけに余程嬉しかったのでしょう。本命に合格すれば後の病院を受ける必要はないのですが、息子は今日も元気に就職試験に出掛けました。次男は30歳という人生にとっていわば遅い再出発の道を選んだ

のですが、さらに来春の看護士国家試験という高い高いハードルを越える試練が待ち構えています。でも頑張り屋の次男なら大丈夫だろうと親馬鹿になっています。

 娘を除けば3人の息子はみんな職場を変えました。長男は建築士として同じ仕事をしていますが、会社は今の社長さんの独立を機に変わりました。三男は4年間勤めた会社を辞めて警察官になりました。いずれも前の仕事先では一生懸命仕事をして惜しまれながらの退転職だったことはある意味で救いだったような気がします。

 仕事にもつかないニートや仕事につきたくても仕事がない社会の問題が大きくクロ-ズアップされていますが、勿論それは社会風潮だし社会の責任かも知れませんが、自分の肌に合わないと直ぐに働きを辞めてしまう若者も多くいます。全日本のサッカー監督にジーコに代わって就任したオシムさんが「あなたたちは息子さんを最後まであきらめずに走る子どもに育てましたか?」という言葉を選手の両親に問うたそうです。その両親は「それだけは自信があります」と答えたらオシムさんは「そうであれば私が自信を持って育てます」と言いました。オシムさんのサッカーの基本は「走って走って走ること」だそうですが、人が見ていたり格好よい所だけで走るこれまでのサッカーへの戒めとでもいえましょう。何かが欠けている今の教育へのメッセージとして大切にしたい言葉だと思いました。

 次男の長い人生の旅はまだまだこれからです。合格という一つの扉が開かれただけに過ぎないのです。走って走って最後まであきらめずに走り続けて欲しいものです。

  「合格の 通知喜ぶ わが息子 三十にして 惑うな小雀」

  「学びたい 時が適期の 五年間 少し出口が 見えてきたかも」

  「早速に 姉へ電話の ご報告 弾んだ声が 隣部屋まで」

  「あきらめず 最後の最後 まで走れ オシムの言葉 息子はなむけ」  

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