shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年8月17日

○久しぶりのお湿りです

 今年は例年より10日も遅れて梅雨が明けましたが、どういう訳か今年の台風は四国を避けて通っているようで、梅雨明けから今日まで双海町では雨らしい雨はまったく降らず、そろそろ野菜や果樹に恵みの雨が欲しいと思っていました。みかん農家では「そろそろ潅水でもしなければ」と思ってるのでしょうが、潅水施設を持っていない兼業農家ではまさに自然農法ですから、自然の意の向くままにただ雨の降るのを祈りながら待つのみの心境だと思うのです。

 昨日は少しのお湿りがありました。孫の守りで疲れたため11時に早い床入りとなりましたが、その頃には涼を取るため開けた雨戸の向こうで雨音が聞こえていましたが、朝4時に起きて外を見ると期待した雨は止んで木の下の土もまだ余り湿った様子ではないようです。昨晩の天気予報だと四国や九州は台風の影響でかなりまとまった雨が降るだろうとの予測だったので、今日の高知行きを心配していましたが、この分だと今のところは大丈夫のようです。

 お盆が過ぎるといよいよ秋から冬にかけての野菜の作付けをしなければなりません。今は畑の土も折からの太陽で焼かれガチガチで鍬さえも歯がたたない状況ですが、そのうち雨でも降れば耕運機で深耕しいい野菜を、しかも無農薬で有機肥料で・・・と夢は膨らんでいます。

 私は儲けなくてもよい農業をしています。自分の体のために働いたりできるだけ健康に良い果菜を自分で作って食べたい思いから農業を始めました。ですから農業は副次的なのです。これが農業で飯を食わなければならない人にとっては、天気予報が気になったり、雨の一粒、虫の一匹、病気の広がりなど、まさに自然の猛威と格闘しなければいい成果は望めません。それに加えて高く売れる市況情報も欠かせないものです。かつてのように作物を作れば農協が売ってくれる時代は終わり、自分が売らなければ広域合併した農協や行政を当てにして左団扇を振れるほど農業はやわいものではなくなっているのです。

 私には農業をしている友人が沢山います。儲けている人、あくせく働く人、様々ですが、儲けて楽をしている人はそんなにいません。長男に生まれたから仕方なく、農地を荒らすわけにも行かないから仕方なく、儲からないけど仕方なく、止めるに止めれないから仕方なく、これ以外に仕事がないから仕方なくなどなど、殆どの人が仕方なく農業をやっています。「農業が好きだけど」という前提はみんな持っているのでしょうが、儲からないために「仕方なく」へと右肩ならぬ両肩下がりとなっているのです。私の農業は農業といえるかどうか分りませんが、儲けなくてもよい甘い考えの農業をしている私の口幅ったい言い方をすれば、「仕方なく作る作物」は仕方ない味しかしません。儲けるためには知恵を出さなければなりません。一部分ですがこんな儲からない農業だとみんながぼやいていますが、農業で儲けている人も結構いるのです。また儲けなくても農業を楽しんで暮らしている人もいるのです。

 日和見農業という言葉や民話があります。あるお百姓さんが今日は天気だからと大根の種を蒔きに畑に向かいました。道端で村人がひそひそ話をしていました。「そんな根も葉もない話を」という言葉が聞こえたので「根も葉もない大根を作ったって仕方がない」とその日は種を蒔きませんでした。明くる日は雨でした。前でも種を蒔こうと蓑笠で出掛けると、近所に住む村の知恵者が「雨の日に大根を蒔くと腐ってしまう」とお百姓さんを諭しました。長い雨が上がり今日こそと思って畑へ出掛けました。途中顔を腫らした人に出会いました。「どうしたの」と尋ねると「歯を虫が食って昨晩は寝れませんでした」と言うのです。「葉を虫が食う」なんて縁起が悪いとこの日も種まきを諦めました。結局このお百姓さんはその年大根の種を蒔くことができませんでしたとさ。

 御幣担ぎとはこのお百姓さんのような人を言うのでしょう。自分の信念や主張がなければ、結果に対しても人のせい社会のせいだと責任転嫁して、自分の努力は棚の上に上げてしまうのです。

 信念を持った安全で安心な果菜を食べたい、それは少々高くても、今人間が最も求めている欲求かも知れません。

  「お湿りに 少し安心 お百姓 台風嫌だが 雨だけ降って」

  「高くても 儲かる訳では ありません 果菜の原価 しれたものです」

  「農業は 競争もなく 消えてゆく 自然淘汰の 悲し運命」

  「年金の 金で清算 するという 経費の清算 全て農協」

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