shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年8月12日

○人生で酒と女と歌を愛さぬ男は馬鹿である

 「人生で酒と女と歌を愛さぬ男は馬鹿である」。これは有名なマルティン・ルターの言葉ですが、酒駄目・女駄目・歌駄目な私はこの言葉通りだと馬鹿で間抜けな人間です。ましてやタバコもコーヒーも駄目でどうしようもない、「何のために生きてるの?」と問われそうな、「タバコも飲まず酒もやらず、女もやらず百まで生きた馬鹿がいる」といわれそうな人間なのです。しかし世の中はようしたもので、私のような駄目な人間でもそれ相応のこだわりを持って生きていると結構自分で満足し、結構楽しく生きられるのです。私は歌などカラオケで余り歌いませんが、数年前からハーモニカを吹くようになって少し音の世界が広がってきました。先日も大河内さん率いる大西町の女性群が人間牧場へ来られた折、鎌田さんの発案で私の吹くハーモニカに合わせ、みんなで「みかんの花咲く丘」や「ふるさと」を大合唱しました。童心に帰った歌声は心の魂を呼び起こさせてくれましたし、青年団時代にみんなで労働歌や青春歌を歌った懐かしさを思い出しました。

 私たちは若いごろ歌集を作って事ある毎によく腕を組み肩を組んで歌いました。「若者のうた」「希望の歌」「四季の歌」などなどは何故か歌うと元気が出て「またやろうと」いう意識が芽生えたものです。「青い空雲もなく そびえる富士は 若人の希望のしるし」は「希望の歌」、「若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が 逞しい体に」は「若者のうた」、「春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような 僕の恋人」は「四季の歌」の一節です。自分の心と頭に歌を歌う度に歌の醸すさわやかなイメージが広がり、青年団活動をより清新なものに仕上げて行きました。その意味では青年団で歌った歌は自分の心づくりに大いに役立ったように思うのです。歌もその一つかもしれませんがレクリェーションも沢山覚えたり実際にやりました。会の雰囲気を和ませるために100を超える程持ちネタを持ったものです。後に青年団活動が高じて社会教育の世界に入りましたが、公民館活動や青少年教育のの分野でも随分レク指導の技術は私を助けてくれました。

 青年団はションション青年団といわれるように、レクリェーションとディスカッションが二枚看板でした。ディスカッションは深夜にまで及び、時には酒と女の力を借りながら、夜明けまで続く時もありました。議論、激論の末取っ組み合いの喧嘩もよくしました。結論の出ない他愛もない議論を何日もくり返したものですが、今振り返るとあれこそ若さの発露だったのではないかと思うのです。今の若者には残念ながら議論の場と議論の相手がなくて、議論の末の喧嘩などなきに等しいのです。議論は人を育てます。ああでもないこうでもないと議論しながら一つのものを作り上げてゆく今流行の「ワークショップ」や「フィールドワーク」を地でいっていました。

 ふるさとをよくする運動にも積極的に関わりました。村祭りも盆踊りも殆ど青年が取り仕切っていました。特に盆踊りはお盆を中心に毎晩毎夜、どこかの部落へ応援に駆けつけ賑やかな踊りの輪ができたし、そんな盆踊りの場所での出会いが若者同士の恋心を育みました。今は盆踊りも踊る人も少なく、もう数年でわが町からも盆踊りの灯が消えるのではないかと心配されているようです。嘆かわしい時代になったものですが、これも一つの時代の流れとして諦めなければならない出来事なのでしょうか。

 「時代は来ない。いい時代にする」。「動け動かせ21世紀」。これは数年前、私の著書「昇る夕日でまちづくり」の編集を手助けしてくれた玉井恭介さんが、私にくれたハガキに書いてくれた言葉です。司馬遼太郎「龍馬がゆく」の編集者窪内隆起さんが「昇る夕日でまちづくり」を読んだ感想を「若松さんのような人を抱えている双海町は幸せだなあとつくづく思います。何ごとも押し進める人ありてこそ実現するんですね。理論も行動も一致しているところが凄い。233頁の「・・・・見せられた・・・・」の誤植は残念。しかしいい本ができました」と玉井さんに手紙をくれたそうです。そのことを知らせるハガキの表書きに書かれたこの言葉は、後の私の生き方に大きな影響を与えた一言でした。今も私は「いい時代にする」ために、人間牧場で頑張っているのです。

  「歌さえも 歌えぬ吾に 味方あり 楽器一つで 歌カモフラージュ」

  「一枚の ハガキが吾に 生き方を 教えてくれる 今も大事に」

  「定員は 何のためある 平然と 定員オーバー 帰省ラッシュで」

  「ルターさえ 俺は馬鹿だと 言っている 馬鹿でもいいや らしく生きよう」

  

 

 

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