shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年8月4日

○早くも・・・・・・

 年齢を重ねたからそう思うのでしょうか。世の中の流れは十年一昔と言われた昔に比べ、一年一昔と言われるような速さでどんどん今が過去になって、自分の後ろへ消え去っています。ある人が「自分が小使いを人から貰う立場の間は盆や正月が待っていても中々来ないと思うから一年が長く感じられ、自分が小使いを人に渡すようになると盆と正月が待ちもしないのに早く来てしまうから長く感じるのだ」と言われ納得したりもしました。

 今朝5時前ひぐらしがカナカナカナと物悲しくも賑やかに鳴いて、今年は例年より10日も梅雨明けが遅れた日本列島に昨日やっと梅雨明け宣言が出されたばかりだというのに、「早くも」秋の気配を感じました。東北では青森ねぶた祭りが開幕し、武者絵のねぶたや「ラッセーラ」と言いながら踊る独特の「はねこ」が威勢良く踊る姿が、テレビで放映されていました。東北の「青森ねぶた祭り」「秋田竿灯」「山形花笠祭り」などは、冬の厳しい地域だけに華やかでより強烈な印象を与えているようです。「ねぶたが終わると東北では早くも秋の気配を感じる」とアナウンサーが「早くも」をコメントしていました。

 近郷では本来秋の味覚であるはずの秋の果物が出回り始め、「早くも」観光ぶどう園や梨園がオープンしたと、新聞や折込チラシが報じています。わが町でも海の見える小高い山の中腹に夕陽丘観光梨園があって、例年ファンが集まって来るようですが、梨園オープンを告げる看板類が道路の要所要所に「早くも」取り付けられ始めました。観光果樹園は果樹の糖度が生命なのですが、今年は梅雨が長かったので味の方が心配です。

 近所の田んぼを見ると昨日まで青かった稲に出穂が見られ「早くも」実りの準備が始まっています。田植えが1ヶ月も早い分だけ出穂も1ヶ月は早くなったと思いつつ周りを見てみると、田んぼの上を無数のトンボが「早くも」飛んでいました。動物も植物も人間社会の「早くも」にせかされて生きているように思われる今日この頃なのです。

 「狭い日本そんなに急いで何処へ行く」という交通標語がありましたが、このところの日本人の急ぎ過ぎた生き方は異常と思えるほどです。意の向くままに自然に生きればよいものを、自然に逆らって不自然に生きているようです。不自然に生きるためには何かを犠牲にし鳴ければ生きて行けません。たとえばハウスみかんを作るためには畑に温室を作り、化石燃料を使って不自然な温室空間を作らなければなりません。みかんの木は人間の作った不自然な環境で花を付け実を結ぶのです。少数の価値とでもいうのでしょうか、そうして「早くも」作られたみかんはハウスみかんとして高値で取引されるという市場原理が働き、生産者の所得は一見上がったような感じがします。しかし自然全てを温室に変えることは不可能ですから、人間は自然と不自然を往復し、知らず知らずの内に違った環境の中で体を壊してしまうことだってあるのです。「早くも」ハウスみかんが出回り始めました。今年は高値のようで、他人事ながら喜んでいます。

 聞き飽きた「早くも」という言葉がテレビから流れる秋先取りの季節を迎えました。ひょっとしたら「早くも」は一年中使っている最も流行の言葉かも知れません。

  「早くもと 言う流行に せかされて 気付いて見ると 俺は早くも」

  「早くもと そんなに急いで 何処へ行く あの世近づく 冥土は遅く」

  「大根は 冬の食べ物 何故に買う 美味くもないが 焼いた魚に」

  「お寺より 棚行行くと 知らせあり 迎え火焚かず 坊主早くも」 


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