shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年3月22日

○日本人が日本人と感じること

 私たちは日本人です。といってもこれだけ国際社会の交流が頻繁になってくると、日本人という感覚よりも地球人といったほうが早いのではないかと思われるほど国の壁はなくなりつつあります。ソ連とアメリカの冷戦や南北ドイツの崩壊が国と国との無意味なゆがみあいに気付かせてくれ、自由主義と共産主義の隔たりでさえなくなっていますが、一方ではイラクやアフガニスタン、それにイスラエルとパレスチナのように宗教上のトラブルによって戦渦に巻き込まれている国も多いのです。

 日本人が日本人であると強く感じることは、日の丸という国旗を目の当たりにした時に強く思います。特に外国を旅していて旅先で日の丸を見たときの印象は民族として血の騒ぎを覚えるのです。

 昨日王ジャパンがアメリカでとてつもない大偉業を成し遂げました。野球の世界一を決める試合でキューバに勝ったのです。胸に日本の日の丸を縫い込んだユニホームは野球の本場アメリカで本当に世界一になったのです。しかも第一回という記念すべき時に・・・・。時あたかも今年はオリンピックの年でしたが荒川選手の金メダルに湧いた直後の出来事なので余計喜びが大きく、国内のあちこちではそのドラマチックな勝利への軌跡が号外となって国民に配られました。

 私が日本人であると意識したのはやはり二度の海外体験でした。最初は18歳のところ、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に行った時でした。寄港したイギリス領エスピリッツサント島は珊瑚海海戦のあった激戦地、その海岸に無造作に痛々しく残った日本軍の上陸用舟艇の残骸を見ました。戦後という言葉も遠くなった昭和38年の出来事ですから衝撃は大きく、心に深い感動覚えたものです。二度目は青年の船に乗ってアメリカ・メキシコを旅したとき、ロスのディズニーランドで丁度12時、アメリカの国歌がスピーカーを通して流れましたが、遊んでいたアメリカ国民が全て立ち上がり手を胸に国旗に向かって国家を口ずさむ姿でした。その衝撃冷めやらにメキシコアカプルコで青年の船の団員が船上から持っていた日の丸の小旗を2~3人無造作に桟橋に投げたのです。そのことがメキシコの新聞のコラムに書かれました。国旗を大事にしない日本人って感じでした。私はこの光景を思い出しながら野球の観戦をしました。角の民族意識は地球に醜い争いを作ります。しかし私たちが日本人であることの誇りは当然持たなければならないと思うのです。

 シンプルな、それでいて気品漂う日の丸も、昨日の様な国民の祝日ですら家の角々に立てられなくなりました。町中を歩いてみても昨日は余程しっかりした家庭でないと日の丸は見えませんでした。わが家に日の丸を立ててたら、友人が夕方やって来て「若松さん今日は王ジャパンが優勝したから日の丸を立てたのですか」とジョークにも似た発言があるほどでした。

 時あたかも教育基本法の文言に国家愛などの表現をするかどうかで主義主張が大きく分かれて議論されています。国を愛することは自分を愛する事に繋がります。それを教えてくれたのは王ジャパンだったのかも知れません。もう一度国家とは、日の丸国旗とは何かを自分自身に問いたいものです。ジョン・F・ケネディは大統領の就任演説で「国家に何かを求めるのではなく、国家のために何ができるか考えよう」と問いかけました。私も国家のために何ができるか考え、行動したいものです。

  「日の丸は 日本の象徴 だのに何故 祝日日の丸 町中見えず」

  「日本人 意識しました 王ジャパン 多分イチロウ 一番意識」

  「戦争の 記憶を持った 人減って 平和尊さ 分らず過ごす」

  「国旗見て 野球勝ったと勘違い 今日は春分 国民祝日」

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