人間牧場

〇牛糞が届きました
 毎日残暑が厳しいけれど、このところ暇さえあれば家の横の畑に出て、草引きをしたり石灰を撒きながら耕運機で中耕したりして、秋蒔きの準備をしています。昨日は注文していた牛糞がたけだたい肥センターから大量に届きました。

 昨年に引き続き、今年も1袋330円の牛糞を30袋購入しました。家の庭先までダンプカーで届けてもらうのに、10袋に1袋のおまけまでつけてくれる良心的な業者さんで、残暑お見舞いのハガキまでいただき、すっかりお馴染みとなっています。

 1袋40ℓの大袋ゆえ、77歳の私には少々重く感じますが、それでも1輪車に4袋ずつ積んで、10m先の倉庫まで運び積み上げました。普通だと息子に頼むところですが、大型の台風が接近していて息子の帰宅を待ちきれず、雨風ともに強くなることを想定し、昼間の作業となりました。

 大汗をかきましたが何とか倉庫に収納し終えました。この牛糞と豚糞を使い分け小出しにして、無農薬な有機栽培に挑戦していますが、畑の土も牛糞の商品名「土力」のように、少しずつ土に力が出来たような気がしています。安心安全な野菜をこれからも作りたいものです。

「注文の 牛糞どっさり 庭先に 1輪車にて 倉庫へ運ぶ」
「本来は 息子に頼む 仕事だが 台風接近 やむにやまれず」
「大汗を かいて倉庫に 積み上げる これで一年 有機農業」
「少しずつ 土に力が できている そんな実感 感じるように」

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〇秋の虫たち
 暑い暑いと言っていましたが、季節は確実に秋に向かって動いています。最近は夜になると虫の鳴き声が賑やかになってきました。「♭あれマツムシが鳴いている ガチャガチャガチャガチャクツワムシ~♯」歌詞さえ忘れましたが、コオロギや鈴虫も加わり、何とも長閑な田舎ゆえの風情です。

 虫たちも人間様と共存していて、時々こんな風に私の手に乗って来てくれるのです。しかしこんな長閑な自然でも、許し難い昆虫もいてハエや蚊と同じように駆除の対象としています。その最たるものはスズメバチです。まだオオスズメバチはそれほど見かけず黄色スズメバチが多いようです。

 わが家では私と息子が裏庭に蜜蜂の巣箱を5~6個設置して、たしなみで蜜蜂を飼っています。今年は殊の外成績が良く4箱に入居していますが、このころになると巣箱の前に陣取って、蜜を抱えて巣に戻って来る働きバチをホバーして食べてしまうのです。

 見つけ次第、襲撃されないよう慎重に虫網で捕らえて踏み潰すのです。多少心が痛みますがこれも自然の摂理だと割り切ってやっています。昨日は3匹もさっ処分しました。人間様とスズメバチの確執は当分続きます。

「秋が来た 夜更けになると 賑やかに 虫大合唱 田舎ですから」
「コオロギや 鈴虫などが 入交り 時には網戸 止まって見える」
「スズメバチ どこから来るのか 分からない 見つける度に 虫網捕らえ」

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〇夕焼けプラットホームコンサートこぼれ話
 ・夕焼けコンサートのオープニングを飾ったのは伊方町出身の才蔵です。旧瀬戸町で石材店を営む才蔵の山本さんは昔からの古い友人ながら、あれやこれやですれ違いして、ひょっとしたら20年ぶり?の再開かも知れませんでした。でもお互いちゃんと顔を覚えていて、懐かしい再会となりました。坂本龍馬をイメージした和太鼓入りの歌は最高でした。

 ・演奏の途中、観光列車伊予灘ものがたりが入線しました。乗客が沢山降りて来て一時は人混みとなりました。アテンダントさんに司会の藤田さんがインタビューするなど、楽しいひと時でした。私も先日観光列車の双海編に乗り、大洲から松山までの列車の旅を楽しみました。

 ・コンサートは視界を邪魔しないよう早咲きのススキを水ガメに差し込んで活け、控えめな小さい横断幕だけのシンプルな舞台設えです。第1回目に私が思いついて始めましたが、いまもその設えは続いています。かつてJRに勤めていた西村さんが遠い徳島塩塚高原からススキを取って届けてくれたり、活け花の大家にススキとヒマワリを飾って貰ったりしたなあと、当時を懐かしく思い出しました。

 ・コンサートの途中で妻から、「東京からわが家へお客さんが来たので、帰って欲しい」と電話が入り、最後まで見届けることが少し心残りでした。でも地元の出演者の演奏や歌も聞けて、存分に楽しむことが出来ました。友人の松本さんは伊予市内で門田さんたちと一緒にYouTubeで視聴したようでした。
主な出演者は才蔵・溝田麻美松山バンド・せな・メロディメーカー・ハイドロゲン・tha Bloom・クリエイテルでした。

「コンサート 37回 数えると 思い出多く あれやこれやと」
「20年 ぶりに再会 懐かしい 坂本龍馬 思いの歌声」
「演奏の 途中列車が 入線し 人混み賑やか 無人駅なのに」
「今年も 多くの人の 手によって 37回 バトンが続く」

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〇夕焼けコンサート秘話(その2)
 私は町の役場に勤めていた若いころ、教育委員会で13年間社会教育に携わりました。そのころは36の集落ごとにある自治公民館で、様々な学習活動が行われていました。夫婦学級や金儲けの公民館活動と称した面白い学習活動は、集落の戸数の倍の人が集まるほどでした。

 その様子がNHK「明るい農村」というテレビ番組で取り上げられることになりました。東京からカメラマンとディレクターの2人が取材にやって来ました。二人を出迎えるため約束の上灘駅に迎えに行きましたが、列車が着いても2人は降りて来ませんでした。「おかしい」と思っていると、駅前の上田屋という雑貨屋のおばちゃんが、「今役場から電話があってあなたの待っている人は、間違って下灘駅へ降りたようです。迎えに行くようにとの伝言です」と言われました。

 私は公用車を走らせ下灘駅に着くと、取材に来た2人は駅のプラットホームで、今まさに沈まんとするダルマの夕日を見ながら、「若松さん私たちは降りる駅を間違えてラッキーでした。こんな綺麗な夕日は見たことがありません」と言うのです。私の心の中にあった①子どものころから見続けていた下灘の夕日、②水産高校の実習船えひめ丸で遠洋航海に出かけた折見た夕日、③青年の船でアメリカ・メキシコ・ハワイに行った時見た夕日などなどの夕日の潜在能力が浮かび上がった瞬間でした。

かつては特急しおかぜや急行宇和海が走る予讃本線でした
寅さんもやって来た下灘駅
昨日の下灘駅

以来その夕日に気狂いして全国各地を巡り、どれほどの夕日を見たか計り知れませんが、天気率の良い瀬戸内海に位置するわが町の夕日を何とか地域資源として売り出したいと思うようにになりました。「沈む」「落ちる」「没する」という夕日の持つマイナスイメージが強い故、またどこにでもある故地域資源にはなりにくく、夕日を売り出すのには苦労しましたが、予讃線海岸周りの存続を隠し味にした夕焼けコンサートによって、思わぬ方向へ好転し始めました。生きているうちに夕日夕焼け物語を聞き語りしておかねば・・・と思い始めました。

「間違いが きっかけだとは 意外です 夕日がテーマ 散々苦労」
「駅前の 福井商店 今はない プラットホームの そこここ足跡」
「40年 遍歴を経て 今がある 多くの人に 愛され続けて」
「巡り来る 存続の危機 乗り越えて 孫子末代 残して欲しい」

 

 

 

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〇新聞によく載ります
 双海町のジュニアリーダー会が企画したお化け屋敷の様子が、一昨日の新聞に組み写真で特集されました。合併して13年余り経ち、双海町という自治体は消えたはずなのに、「伊予市・双海町」という冠をつけ、地域づくりの視点では相変わらずの元気度です。

 昨日の新聞「こだま」という投稿欄に、私の叔母吉野竹子が「双海剣道会の快挙鍛錬結実」というタイトルで投稿していました。97歳で亡くなった親父は12人兄弟の長男で、竹子は12番目の末っ子です。叔母といっても私と年齢は一つしか離れていないので、子どものころからいつも不思議に思っていました。

 

 叔母の記事の末尾に、「記事を読み、剣道が好きだった亡き兄にも思いをはせている」と書かれていました。亡き兄つまり私の親父は、弟たちが剣道を習っていたこともあって剣道が大好きで、双海剣道会の後援会長をしたこともあり、水戸で開かれた全国大会で双海剣道会が優勝した時は、片岡先生に誘われ水戸へ同行していたこともあり、大いに喜びました。懐かしきかなわが町の小さな歴史です。

「合併後 双海自治体 消えたけど 何かにつけて この町元気」
「先日の ジュニアリーダー 企画した 廃校利用の イベント特集」
「わが叔母も こだま・てかがみ よく投稿 私なんぞは 足元及ばず」
「今は亡き 親父に思い 馳せている 叔母というより 妹主張」

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〇台風シーズン到来 
 暑かった夏休みも終わり、パソコンの右下に出てくる人工知能が示す数字はたがうことなく022/09/01と表示されていて、今日からいよいよ秋本番の9月です。秋と言えば台風を思い出しますが、その思い通り超大型の台風11号が沖縄の南海上で、まだ方向も定まらないまま迷走をしています。

天気のことなど殆ど知らない私のような素人でも、台風の勢力を表す気圧が目と耳を疑うように低い920hpと聞けば、これはただ事ではないと察知し、台風から遠い四国に住みながら、本能的に昨日は雨合羽や長靴、懐中電灯溝さらえ用の鍬などを用意して雨風に備えました。

 わが家は背後に少し急峻な山が迫る、ハザードマップによると危険地帯です。「何もそんな危険な場所に住まなくても」と思われがちですが、人の住まいというものは先祖から続く長い歴史を持っていて、そう簡単には離れることができないのです。かく言うわが家もこれまで2度も大雨で斜面が崩れ被害に遭い、防災工事をしているのです。

 特に20年前の災害では、倒木を片付けるためチェンソーで作業中、使っていたチェンソーが跳ね向う脛下を裂傷し、救急車で日赤松山病院へ運ばれ20針も縫う大けがで、入院した苦い経験があるのです。そんなこともあるので防災意識は高く、今回の台風の行方を注意深く見守っています。

「8月も 終わり今日から 9月です 台風シーズン 備え万全」
「20年 前に裏山 がけ崩れ ハザードマップ 危険個所住む」
「向う脛 下に裂傷 傷跡が 大けが入院 忌まわしい過去」
「11号 920と 言う数字 素人ながら 大きさ驚く」

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〇愛媛朝日で(5チャンネル)紹介されました(その2)
 前日に続き2日連続でテレビ番組で双海町が紹介されました。主な内容は①JR下灘駅の構内は何故広い?、②廃校となった下灘中学校での肝試し大会、③三島神社の狛犬ならぬ狛亀など3つの話題でした。

 最初に登場したのはJR下灘駅でした。しかも駅の説明をこともあろうか私が、まりでエキストラのようなチョイ役でテレビ出演しました、かつては2本の引き込み線(貨物列車用・工事用車両用)と対向線の4本がありましたが、無人駅化した折現在の上り下り共用線路だけを残し、全て取り払われ、埋め立てられました。そこここに名頃の跡が残っていてその説明を私がしました。

私が通っていた当時の下灘中学校
廃校となった現在の旧下灘中学校

 この学校の旧校舎を使って、ジュニアリーダー会が肝試し大会を企画しました。とても面白い夏ならではの企画でした。私はこの学校に通いました。懐かしい昔の木造校舎の写真には数々の思い出があり、つい昨日のことのように思い出が蘇り、身を乗り出すような気持ちで見入りました。

「この駅は わが青春の 始発駅 思い出数々 語れぬほどに」
「この学校 わが人生の 始発駅 『あの日ここから 始まった』です」
「時流れ それぞれの場所 変わりゆく これから先も 見届けたいが・・・」
「わが人生 まもなく終着 駅に着く 悲しいけれど これも宿命」

 

 

 

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〇友遠方より来る有り(その2)
 岸本さんたち3人は前夜、民宿大森家に泊りました。経営している大森さんご夫婦は周知の間柄ので連絡もせず民宿に上がり込み、酒を飲まない私を除いた3人はお酒を嗜みながら、楽しいおしゃべり会となりました。

 あくる日の昨日は、約束通りわが家へやって来て、午前8時30分から海の資料館を案内した後わが家のゲストハウス「私設公民館煙会所」の囲炉裏を囲みました。ほぼ毎日のように色々な人が訪ねてくるゲストハウスですが、「起きて半畳寝て一畳」の狭さゆえなるか、とても落ち着いたいい雰囲気でした。

市指定天然記念物椎の木の大木

 その後私のトラック助手席に岸本さんを乗せ、北村さんは牧さん運転の乗用車に乗り、人間牧場を目指しました。海の資料館海舟館の救助船つながりで、急遽人間牧場近くの池久保のお地蔵さんに向かい、肥後の国の城主が参勤交代の折時化に遭い、祈願したところどうにか助かり、大任を果たして帰国の途中地元の人の協力を得、海岸の小石を手繰りで奉納したと伝えられている史跡石垣やお堂内の奉納絵馬を見学しました。

    既に秋の気配が漂い始めている人間牧場では、自慢の観音開きの戸を全開し、本棚に並べている無数の本の中から何冊かの本を選び出し、あれこれと話しました。岸本さんも北村さんも東大出の超のつくエリートゆえ目の付け所が違うと思いながら、理論派の岸本さん、北村さんに、論理派の牧さんと私が挑みました。いいひと時を過ごし、牧さんが2りを次の目的地の出発地まで送ってくれました。

「色々な 人に出会って 教えられ それなり生きた 人生ありなん」
「超のつく エリートゆえに 本棚の 本何冊か 取り出し議論」
「牧場の 水平線の家 窓開け 漂い始めて 秋風さわやか」
「また会おう 再開約し 帰路に就く 楽しからずや 一泊二日」

 

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〇地域教育実践ネットワークえひめ第3回実行委員会
 月に1回の程度で開催している地域教育実践交流集会の実行委員会が、昨日の午後4時から国立大洲青少年交流の家で行われました。毎度のことながら中尾先生に午後2時に自宅まで迎えに来てもらい、便乗参加となりました。

 殆どの人はzoomによる参加ですが、事務局やスタッフを務める10人ほどは現地集合です。あいさつ以外何もしない私などは、手早く慣れた手つきで機材の接続準備をする、平岡さんや中島さんの姿をただただ見守るしかないのです。

 そのうちスタッフが集まり、午後4時からオンライン会議が始まりました。既に実行委員の皆さんが推薦してくれた県外15・県内15の事例もほぼ出そろい、着々と準備が進んでいます。

 おそらくや多分という表現が的中するであろう新型コロナの感染拡大による大規模な集合集会の可能性は低いゆえ、代案を用意しながら討議を重ねましたが、それぞれの役割を果たす人たちも決まり、来月の第4回実行委員会の日取りを9月24日に決めて約1時間の討議を閉会しました。

「月1で 開催している 会合に 便乗よろしく 昨日も往復」
「スタッフの 一人ながらも 開会の あいさつ程度で お茶を濁して」
「機材類 繋ぎ合わせて オンライン ただ感心し 見ているだけです」
「車中にて 諸々話す 会話だが 私にとって 一服良薬」

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〇坂道農道をウォーキング
 私は毎日おおよそ一日一万歩を目標にウォーキングをしています。コースは意識して少し急な坂道のある裏山の農道を取り入れているため、上りの負荷も下りの早歩きも、体力作りには最適で、気温の高い夏場は約50分かけた6千歩ほどのウォーキングで汗をいっぱいかいています。

森になり農道今は林道のよう

ところがこの裏山の農道は行き止まり道のため、通る人も通る車もないため、果樹園だった跡地に植えた杉や檜が大きくなって森林となりましたが、管理が行き届かず側面が崩れたり、落ち葉が堆積し、歩くのもそれらを避けて歩かなければならなくなってしまいました。

 これまでにも何度か鍬や熊手を使って大掃除をしていますが、正直私の手に負えないような雲行きです。杉や檜も間伐をしたり枝打ちをしていないため、時折大きな杉や檜が立ち枯れして倒れ、道を塞いだりしていて、その度難儀をして片づけながら歩いています。

ウォーキングのコースを安全な平地に変えようとも考えますが、漫然と平地を歩くより、付加をかけた坂道を歩く方が断然体力作りには役に立ちます。気温が下がる秋のころに、もう一度農道の大掃除に挑戦したいと思っています。

「1万歩 目指し毎日 ウォーキング 今朝も農道 上がり降りする」
「農道が いつの間にやら 林道に 昼なお暗い 山道荒れて」
「行き止まり 道ゆえ車 人もなく 今では私 専用道路」
「森林は セラピー効果 あると聞く 近々掃除 挑戦しよう」

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