shin-1さんの日記

○青春へのメッセージ

 県内にどれ程の数の高校があるのか知りませんが、縁あってこれまで県立高校の殆どへお話に行っているのです。高校生になると小学生や中学生と違って大人の言葉が通じるため、話す方は楽なのですが、その分自己主張が強く、面白くない話しをすると眠りこけたり、私語を話すなどもろに拒否行動を起されるので油断は出来ません。今日は昨年に引き続き鬼北町にある北宇和高校へ出かけました。この学校は毎年夏になると特訓セミナーのような形で3日間学習会が行われており、やる気を起させるために私が特別講師になって話すのです。「学力向上トライアル」と呼んでいますが、私は毎年この集会に招かれ、「青春へのメッセージ」と題して約1時間話すのです。

 北辰館という講堂に集まった学生は普通科2年生37名です。彼らを前にしてふと46年前を思い出しました。私は宇和島市にある愛媛県立宇和島水産高校に在籍していました。窓からは背後に鬼ヶ城という山が聳えていましたが、北辰館からも青い夏空に白い入道雲と一緒にくっきりと鬼ヶ城の山並みが見えました。宇和島湾から見る鬼ヶ城も北辰館から見る鬼ヶ城も同じ山なのに見る場所によって全く異なった山に見えるのです。これを世界地図に例えて話しました。

 私がジョン万次郎に憧れて、青年の船の班長としてアメリカへ渡った時、サンフランシスコの博物館で一枚の世界地図を見ました。その世界地図には日頃日本で見ているように日本が真ん中になかったのです。私はその世界地図を長い時間不思議そうに見つめていると、学芸員の方が英語で質問してきました。残念ながら私には英語の質問を理解できませんでしたが、彼は片言の日本語で「この世界地図の何処が可笑しいのか」と訪ねたのです。「世界地図の真ん中に日本がないのです」と話すと彼は、「あなたはすばらしい発見をした」と褒めてくれました。私にとってこの旅ほどカルチャーショックを得たことは他に例がなく、そのことを人間のものの見方に置き換え、多くの人に話したものです。今日も鬼ヶ城という山の見方と世界地図の見方を同じだと説明し、自分を見失わないようにと話しました。

 さて人間は様々な夢を持って生きています。他の動物と人間の違いは夢を持ち、夢を手に入れるために努力することなのです。しかしその夢も努力が足りないと見果てぬ夢に終ってしまう事だってあるのです。私だって夕日という何処にでもありふれたものに憧れ、雄飛を売る出そうと考えました。しかし100人中99人の人が反対するようなものを手に入れることは殆ど不可能に近いのです。でも私は諦めませんでした。その結果20年という長い年月はかかりましたが、やっと日本でも指折りの夕日の町になったのです。

 運命と宿命の話もそれとはなしにお話しました。人間は生まれながらにして自分の才能が決まっているように思いがちです。でも決してそうではなく、諦めていたものの殆どは自分が努力しなかった結果であることも気がつかなければなりません。宿命と諦めることなく少しずつ努力すれば運命は必ずや開かれてくるのです。

 高校生に話しをする機会が多くなり、今時の高校生について色々な書物を読んだり、話す機会が増えてきました。幸いな事にかつてPTA会長を6年間もやった松山工業高校の学校評議員もしていて、先生たちから色々な話を聞く機会に恵まれています。

 高校生に話した「青春へのメッセージ」は果して届いたでしょうか。

  「往復で 百五十キロの 道程を やる気触発 出来たかどうか」

  「校長の 指差す先に 鬼ヶ城 北から見れば こんな姿で」

  「トライアル 夏の暑さを ものとせず 若者たちの 熱気伝わる」

  「あちこちに 高速道路の 工事あり 道路特定 財源いずこ」  

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shin-1さんの日記

○夕日を語る

 町内の小学生が7月28日から3日間の日程で、ふるさと体験活動「ふたみ合宿村」を開いています。双海町には小学校が3校ありますが、いずれも小規模校になっているため、この事業が3校が連合を組んで毎年やっています。子どもたちにとってふるさとについて学習したり、ふるさとのよさを感じてもらうふるさと教育はとても大切なことなのです。しかし最近になってこれらの事業すらやり始めた頃とは随分様子が変わってきているようです。例えば食の安全などを考え、昨夕の献立は町内の業者といいながら弁当だそうで、食べ盛りの子どもたちにとっては、むしろ節制を強いるような感じもしますが、まあそれはそれとして容認しなければなりません。

 それでも昨日の第1日目は真夏の暑さの中、霊峰牛の峰に登山したり、今日はシーサイド公園でカヌーを体験したり、最終日にはボランティア活動をしたりと様々な楽しいプログラムが組まれているようです。子どもたちにとってはこの合宿村や、通学合宿夕やけ村、少年少女おもしろ教室など、官民一体でふるさと教育が行われていて、いい傾向だと思っています。大切なことはそれぞれのふるさと教育がそれぞれの特徴を出し合い、それぞれに個性を発揮しないと、子どもにとって非日常であるはずのプログラムが日常になってしまうのです。子どもたちは日常だと感動が半減します。逆に非日常だとハラハラ・ドキドキ・ジーンが子どもたちに伝わるのです。

 昨夕は合宿村から夕日の話しを頼まれて出かけて行きました。この頃になると天気も安定し夕日を見ながら野外で話が出来るので、毎年のことながら忙しい外出先での仕事を少し早めに切り上げて6時過ぎに会場へ到着しました。講話開始までは約1時間あるので、翠小学校と由並小学校の校長先生を相手に控え室で教育談義をしました。双海町内の3小学校の校長先生は今年から全て女性の校長先生で気配りのできる人だし、何かとご縁の深い人たちなのですっかり門外になった私にでも心を開いて話しをしてもらうので助かります。

(地上を焼き尽くし輝いてしずむ一度目の夕日)

 さて外の西日が潮風ふれあいの館に差込み、夕日が私を呼んでいるようだと思い外に出て見ました。今日北陸金沢や神戸では集中豪雨で大変なようですが、天気の不安定さはここまでは及んでいないものの、西の空の様子がどうも怪しいのです。先生にお願いして5分余り早く開会してもらいました。西の空には黒い雲がかかって、「夏の夕やけ川向こう渡るな」の諺を思い出させました。それでも西の彼方に沈む夕日は最高のシチュエーションで、子どもたちには雲間に消えようとする夕日を少しの時間しっかりと対峙しながら見てもらいました。

 私の話は約1時間です。小学生といえども高学年なので昨日はは大人に話す内容を話させてもらいました。子どもたちは、かつて私がコンクリート電柱を貰ってきて造った電柱ベンチに腰をかけての聴講です。

(青島辺りにしずむ感傷的な二度目の夕日)

 昨日は私の予告どおり、雲間に消えた夕日が再び雲間から姿を見せ、感動的な天体ショーを見ることが出来ました。しかもその夕日は真赤で一日で夕日を二度体験できたのですから、これ以上のことはないのです。

 このような美しいい夕日を眺めて暮らせる幸せは、そうそうあるものではありませんが、この地に暮す人にとって夏の西日はどちらかと厄介者で、夏の暑さの張本人を葦簾でさえぎっているのです。まあもう直ぐお盆を迎え、土用波が押し寄せれば夏も終るので、むしろ夕日を美しさの対象物として見て欲しいと思うのです。

 帰り際翠小学校の和田校長先生が「ツボ」の話をしてくれました。ツボは健康のツボとか話のツボとかよく使われますが、まあ極意とでも訳しましょうか。私の話の全てを見透かされたような落ちに思わずドキリとしました。子どもたちが浅学非才な薄っぺらい私の話しを聞いて何を感じたかは分りませんが、私の話のツボは夕日を切り口に、「ふるさとに誇りを持って生きる」「少年よ大志を抱け」「夢は必ず実現する」だったのかも知れないと、木になるカバンを単車の後に積んで、ほのぼのとした気持ちで夕闇迫る家路を急ぎました。

  「コンクリの 電柱ベンチ 皆座り 夕日見ながら 夕日を話す」

  「一日に 二度も夕日を 見るなんて 今日はついてる 夕日に感謝」

  「この子らも やがてふるさと 後にする せめて夕日を 心に刻め」

  「ツボさえも 押さえきれない わが身にて ツボの話に 思わずドキリ」



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shin-1さんの日記

○楽しいダンボールアート

 松山に住む五歳の孫が来ると、「おじいちゃん、遊ぼう」と盛んに私の懐に飛び込んできます。60歳も離れた私と孫では当然遊びも違うし、今時の子どもの遊びは中々理解し難く、何をどうしていいのか迷ってしまいます。夏時の今はカブトムシに凝っていて、マンション事情もあるためカブトムシの飼育はもっぱら田舎のわが家が担当しているのですが、これとて餌を毎日やらなければならず、ほとほと疲れるものです。それでも電話で「カブトムシは元気」と聞いてきたり、わが家へ来るなりカブトムシにご対面して喜んでいる姿を見ると、何となく嬉しいものです。

 そんな孫朋樹の一番のお気に入りは、ハサミとカッターとガムテープで作るダンボールアートなのです。妻は孫のためにお中元などのダンボールや菓子箱を捨てることなくストックしているのです。昨日は泳ぎに行ったり映画を見に行ったりとかなり忙しく過ごしていたため、すっかりダンボールアートのことなどお互いが忘れていましたが、夜私と寝る時孫が、「おじちゃん、明日はダンボールでロボットを作ろう」というので、「ああやろう」と約束してしまいました。三つ子の魂とでもいうべきか、孫は昨晩の約束を覚えていて、梅干しの天日干し作業が終るのを見はかったように二人で始めました。孫のテーマはロボットです。幼稚園で造った経験があるようで、自分では出来ないくせにあれこれと注文をつけるのです。結局自分のイメージを設計図として書かせましたが、まあ何とか分るような気がして造り始めました。

 妻が貯めておいたダンボールはかなり沢山あり、その中から菓子箱や洗剤箱を取り出し胴体を作りました。さて孫のイメージではやはり手と足が必要だというのです。しかも足は二本で立つこと、手は伸び縮みして変身することが条件なのです。交錯の途中で、誰に教わったのか「おじいちゃんは起用じゃなあ」と褒め殺しのよなお世辞をいって私を働かせるのです。自分はハサミとセロテープを使ってせっせと小物類を作っているようでした。

 やがて胴体が出来、足と手が出来上がりましたが、それらの小物をくっつけるのにはかなり苦労がいりました。それでも孫が満足するようなロボットが出来、頭には昨日映画に行った帰りにマクドナルドで貰った小型のロボットを埋め込む事にしました。

 さあ完成です。孫はマジックで絵を書き、昼休み昼食に帰る妻を驚かせようと、玄関の目立った場所に置いて帰りを待ちました。12時10分頃、妻が帰って来ました。玄関を開けるなり、孫のいつもの行動を知っていているため、「わー凄い」と誇張した驚きを表現したため、孫は大喜びで隠れていた場所から出てきました。さあそれから、さも自分が造ったような顔をして念入りな説明をしていました。

 普通であれば何処にでも転がっているようなダンボールや菓子箱を使って、孫とおじいちゃんが楽しく遊べ、しかもその作品が出来るのですからこれほど楽しいことはありません。妻は孫のためにガムテープをたくさん買って用意しているので、孫も惜しみなく使っています。

 先日孫と一緒に作り家の一室に飾っていた犬の家やロケット、豪華客船などを片付かないため畑の隅で焼却処分にしました。孫は折角作った作品を燃やされてショックを受けていましたが、また作ってやるからと納得させました。私たち大人にとってはタダのゴミでも、孫にとっては宝物なのです。

 今の子どもたちは与えられた遊び道具が主流になっていますが、ダンボールアートはまさに創作の遊びなので、これからも孫と一緒になってせっせとダンボールアートで遊びたいと思います。

  「孫と爺 ダンボールアート 楽しみつ スキンシップの ひと時過ごす」

  「ゴミだけど 使いようでは 宝物 金も出さずに 夢を共有」

  「ロボットを 作れと孫の 設計図 理解出来ぬが 何とか形」

  「作品を 焼却処分 孫涙 何とかなだめ 次の作品」 

 

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○三日三晩の土用干し

 6月の始めに収穫した青梅を、梅干し用として塩漬けにしていますが、その梅を土用干しする季節がやって来ました。今年は10日以上も早くに梅雨が明けたため、もっと早くても良かったのですが、天気が3日間は安定する頃を選ばないと、折角干した梅が夕立ちなどに合わせると元も子もなくなるので、ウナギを食べる土用丑の日も過ぎたので、いよいよ作業開始です。今朝は仕事に行く妻から頼まれて干すためのサナを洗う作業からしなければなりません。私などはそのサナを何処へしまったのかさえも分らず親父に聞く有様です。倉庫の隅に親父がちゃんとしまってくれていたサナを取り出しましたが、年寄りの几帳面さには感心するばかりです。サナは全部で6枚用意しました。これで三つの樽をまかなえるかどうか心配ですが、まあとりあえずやってみる事にしました。

 昨年の経験に習って梅干しを一日中3日間夜も昼も干し続けるのです。特に夜の夜露に濡らすことは何の意味があるのか私は分りませんが、察するに昼間の炎天で埋めの水分を飛ばし、夜の夜露でまろやかな柔らかさに戻すのでしょうが、昔の人の生活の智恵で言い伝えられてきた「三日三晩の土用干し」はそれなりの意味があるのでしょう。

 一昨日は夕立にも似た雨が1時間余りに渡って降りました。天気が安定したとはいえ油断は禁物です。私と妻、それに親父を巻き込んで見守りたいものですが、私は残念ながらこの3日間とも外の仕事があって家を留守にします。妻も同様なので勢いこの梅干し見守りはずっと家にいる親父の役目になるのです。そうはいっても親父とて一昨日のような急な雨だとしまい込むことは不可能なので、少し気がかりです。

 わが家の住人はいつの間にか私たち夫婦と親父だけになっています。4人の子どももそれぞれ独立して県内で暮らしています。故に梅干しを沢山漬けても食べてくれる人の数がいないのでは話になりませんが、子どもたちは梅干しが大好きで、特に孫朋樹はまだ5歳なのに毎食に梅干しがあれば食べるし、弁当のおにぎりにも梅干しを入れて欲しいと頼むのです。隔世遺伝ではないでしょうが孫の梅干し好きには驚きです。

 私も殆ど毎日梅干しを食べます。梅干しや味噌汁は塩分が多いからと敬遠する人もいますが、私は塩分よりも日本人が長年愛し続けてきた梅干しの持つ神秘的な効能を信じています。「食べれるのにクエン酸とはこれいかに」なんて洒落にもなりませんが、味噌汁や梅干し、納豆など外国人には理解できない食べ物をもっと大事にしたいものです。

 昨晩は親類からハモが届きました。ハモといえば夏、ハモといえば京都といわれるくらい、京都といわずこちらでもハモの美味しい季節がやってきました。ハモはウナギやアナゴと同じように原型はグロテスクです。特にハモの歯は鋭く、噛まれるととんでもない深手を負います。私も子どもの頃何度か掴み損ねてハモに噛まれたことがありますが、それは痛くて我慢できないほど傷になるのです。

 ハモは小骨が多く、背開きにした後、骨切りと称する作業をしないと食べれません。骨切りはよく切れる包丁で2~3ミリ刻みで切り目を入れますが、ちょっと油断すると皮目まで切って失敗してしまいます。私も何度か挑戦しましたが、何度も失敗しました。今は幾分上手にはなりましたがまだまだ未熟です。骨切りしたハモをさっと熱湯にくぐらせると雪のように真っ白い身がまるで花が咲いたように広がります。これを裏ごしした梅肉で食べるとまた格別で、思うだけでもヨダレが出てきそうです。

 わが家では梅肉が間に合わない時は生醤油で食べたり、ポン酢で食べたりします。これも中々美味しいものです。でもやっぱり真赤な梅肉に真っ白なハモをつけて食べる食味には叶いません。梅とハモのコラボレーションは日本人の編み出した食文化といえましょう。

  「土用干し 今年も夏の 風物詩 三日三晩の 夜露を取りて」

  「梅とハモ 絶妙コラボ 食進む 夏が来たなと 思いつ食べる」

  「丸々と 太った梅が いつの間に シワ寄せいらぬ 水分とりて」

  「喰えるのに クエン酸とは これいかに 梅干し食べて 今日も元気だ」


 

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○東広島市でたっぷりと話しました。

 講演の時間はその時その場所によってまちまちですが、シンポジウムで講演とパネルディスカッションを組み合わせた場合を除けば短いのは約1時間、長くても2時間程度が普通です。ところが昨年に引き続いて招聘いただいた今回の東広島市での講演講話は三つの研修会を組み合わせてもらったので、一日目は4時間、二日目は3時間2回の合計10時間という長丁場になってしまいました。普通の人はこんな時間を貰うとたじろくのが普通でしょうが、私はいたって平気でこれまで最長は連続10時間というのがありましたから、驚くことはないのです。しかし私は何時間でも話せても聞く方の限界はせいぜい2時間が限界なのかも知れません。普通小学生は40分、中学生は50分高校生は60分、大学生は90分が通り相場なのですが、大人の場合はまあ90分が限界のようです。

 今回の研修会は、三つの区分ごとにお話したので、私にとっては短く感じるほどよい時間配分でした。

 研修会を主催する場合、主催する側の聞かせたい話と、参加する側の聞きたい話は必ず一致するものではありません。主催者がいくら金をかけて有名な人を呼んでも、参加した人が心を閉ざせば馬の耳に念仏、馬耳東風なのです。特にこの時期の研修会は外のうだるような暑さから逃れて、冷房の効いた会場で開催するものですから、眠気をもよおすものです。しかしこれを主催者が不謹慎だといっても眠いものは眠いのです。肝心なのは眠らないような話をする講師を選び、選ばれた講師は眠らないような話をしなければならないのです。その点私などは田舎のドサ回りのような全く無名な人間なので、主催者から研修会の出席通知があった時点から参加者は余り期待をせず、主催者に分らないよう居眠りをしようと決め込んで来たに違いないのです。しかしそのドサ回りの私は、ドサ回りにしてはまるで由も都心喜劇のような面白い話をする人間なので、ステージ側から見た範囲では寝ているような人は殆どなく、むしろ私が驚くほど反応よく応えてくれました。

 一日目は新規採用職員研修会でしたが、事前に質問用紙の提出を義務付けていたので事前学習をしっかりやっていて反応は上々過ぎるほどでした。

 二日目は課長・課長補佐など役職を持った人でしたが、職責の都合上170人を85人ずつに分けて仕事に穴が開かないよう配慮していました。上司は部下を選べないが部下もまた上司を選べないという数奇な運命の人間関係の中で、自分に与えられた駒を使っていい仕事をするためにはどうすればいいか。「市民視点のまちづくりセミナー」ということもあって、私の経験をお話させてもらいました。私は35年間の役所生活の殆どが役所視点でなかったため、役所視点という風潮が根強い時代であったこともあって、随分同僚や先輩との軋轢に苦しみました。でも市民視点を貫いたお陰で、市民いい仕事が出来、結果的には市民の幸せ実現に貢献することが出来たのです。夕日を地域資源にしたまちづくりなどはその最たるもので、町民が自分の町の夕日を自慢したり、年間五十五万人といわれる多くの観光客が今もやって来て、それなりの経済効果を生み出しているのです。

 私は課長などの管理職は「金は出す」「口は出さない」「責任は取る」という三つのことを肝に銘じるべきだと思っています。ところがつい最近の管理職は「金は出さない」「口は出す」「責任はお前が取れ」と開き直ります。管理職になれば部下の責任を取って止めなければならないことはあるし、口を出さなければ自分で行動し、金を使っていい仕事が出来るのです。

 その場合、「まちを愛する」「まちのためにやる」「まちを正しい方向に導く」という根本理念が上下で認識されていなければなりません。上に軸足を置くのではなく、地域住民に軸足を置いて仕事をすれば自ずから結果はついてくるものなのです。

 結局はひとりの人間としてどう生きるかという人間力とでもいうべき生き方の信念を持っていないといい仕事は出来ないのです。

 二日目に集まった管理職のうち課長以上の方はもう10年以内に肩書きも名刺もなくなってしまうのです。肩書きと名刺をなくしたときその人間が、本当に市民視点のまちづくりをしたのかどうかが決まるのですから、今から市民視点に立ち返りいい仕事をして欲しいと締めくくりました。

 帰り際、松山観光港近くで、ものの見事な夕日が松山市ごご島に沈むのを見ました。偶然出会った中島の豊田さんと二人でその美しさに酔い知れました。

  「役職や 名刺取ったら タダの人 もう直ぐそれに 気がつく遅い」

  「軸足を 市民視点に 置きかえて もっと仕事を もっと努力を」

  「ドサ回り こんな無名の 私でも 役立つはずと 重宝してくれ」

  「広島の 二番煎じに ならぬよう 役所変われば 必ず変わる」  

 


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shin-1さんの日記

○今年初めての海水浴

 海の町に住みながら、一年中釣りにも行かず、ましてや夏の海水浴にも行かないのですから、私は余程変わり者なのでしょうか。ましてや県下でも屈指のふたみシーサイド公園という海水浴場を造った男にしては、はなはだお粗末な話のようです。まあ「紺屋の白袴」といわれるように、有り余るほど恵まれているものにはそれ程価値を見出せないのかも知れませんね。

 昨夜パソコンの調子が悪くなり、娘婿に電話してどうしたものかと相談を持ちかけました。適わぬ時の神頼みとでもいうべきでしょか、私はパソコンの調子が悪くなると、長男か娘婿にその都度助け舟を出してもらうのです。何時ものことゆえ快く相談に乗ってもらったのをいいことに、今朝は6時に家を出て、自分のパソコンを娘の家へ持参しました。娘の家に憑いたのは早朝6時半でした。こんなに朝早くと思ったのですが、大学に勤める娘婿は仕事も忙しそうなので、早くしないと留守になると思って止むに止まれぬ行動でした。孫二人を含めた家族は既に起きていて、時ならぬ早朝の珍客に驚いた様子でしたが、それから2時間余り、パソコンをいじり何とか修理を完了したのです。しかし私のパソコンもかなり限界が来ているようで、正月に壊れ修理してもらった時に、買い替えを勧められていたのです。このパソコンが壊れてからでは蓄積した情報を移し変える余裕がないためのアドバイスなのでしたが、古臭い人間の私にとってはまだ使える、つまりパソコンのような高価で、しかも使い慣れている物を捨てる勇気などなかったのです。

 前回パソコンの買い替えを勧められた時は正直前述のような思いでした。しかしあれからパソコンに異音が生じ故障が頻繁になったり、パソコンの立ち上がりが遅くなっているのを肌で感じながら、買い替えの時期を誤ると大変な事になるかもしれないという不安感が頭を持ち上げ、いよいよその時が来たと観念し、とりあえずの修理を終えて娘の家を出る時、娘婿にパソコンの注文をお願いして帰りました。「パソコンにはピンからキリまであるのですが」といわれましたが、「メールが出来て、ブログが書ければそれでいいので、そんなに高くなくても結構ですが、まあ私の腕前程度のものを」とお茶を濁してしまいました。はてさて娘婿は私のためにどんな性能の、それでいてどれくらいの値段の物を探してくれるでしょうか。楽しみにして待つ事にしました。帰ってそのことを妻に話しましたが、前回のように「お小遣いで買ったら」なんて挑発的な返事は帰らず、「仕方がないですね」と、暗にわが家の財布からの臨時出費を認めるような発言にホッとしています。

 さて今日はパソコンの修理の間中、孫尚樹のお守をかって出ました。2~3歩歩き始めた孫は盛んに私に外へ連れて出るよう通じない言葉を行動にして誘導するものですから、抱っこして近くをブラブラ散歩しました。やがて修理を終わって帰り際、夏休みになっている孫朋樹がわが家へ来る事になりました。着替えをバックに詰めて用意していたらしく、早速私の相棒はちゃっかり車に乗って「今晩はおじいちゃんとこへ泊まる」と捨て台詞です。

 家に帰ると妻は近所へ仏事の見舞いに出かけて留守でした。わが家で預かっているカブトムシと面会し餌をやったり、家庭菜園のトウモロコシを収穫して塩茹でしたり、それを食べたりと中々忙しく過ごしました。




 昼近くになったので「泳ぎに行こう」と孫が誘うので二人が水着に着替え、単車に乗ってシーサイド公園まで出かけました。今日のシーサイドは沢山の海水浴客が来ていて、その中に混じって少しの間泳ぎました。泳ぐといっても水に浸かる程度で、朋樹はまだ泳げないため私の背中につかまって足をバタバタする程度なのです。朋樹は饅頭クラゲを捕まえて渚に穴を掘って遊んだり、私もそれを写真に撮ってやったりしながら、久しぶりの海水浴を楽しみました。30分ほど遊んだ後濡れたまま単車に乗って家に帰り、シャワーを浴びて遅い昼食をとりました。朋樹は2時2時分から大洲の映画館へ妻と二人で出かけて行きました。

 私は鬼のいない間に溜った原稿書きに汗だくで挑戦しています。

  「パソコンの 寿命がきたと 娘婿 使い慣れたる 不安寂しさ」

  「年金で 暮らし成り立つ 家計にて 臨時出費は 頭が痛い」

  「久方に 孫と一緒に 海泳ぐ 彼方の空に 入道雲湧く」

  「海沿いで 暮しているに 釣りもせず 泳ぎもせずに もっと楽しめ  

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shin-1さんの日記

○人間牧場ロケ風呂に孫希心入浴
 今日は宇和島から厚生年金受給者協会の山本さんがやって来ました。10月末に行われる研修会の講師を依頼されていて、その打ち合わせを兼ねて地区委員の浦田さんと、支部長の尾崎さんを伴っての来訪です。シーサイド公園で午前10時に待ち合わせをしましたが、夏休みの海水浴シーズンとあって、シーサイド公園の駐車場は午前10時前だというのに両方ともほぼ満車で、ガードマンのおじさんが汗ダクダクで交通整理をしていました。こんな状態ですから山本さんに合うのは難しいのかなあと思いつつ特産品センターの中へ入って見ると、山本さんは既に到着していて、レジの人に私のことを聞いている最中でした。
 「お目当ての人間牧場はここからさらに15分ほどかかります。私のトラックについて来てください」説明しシーサイド公園を出発しました。今日の瀬戸内海は夏特有のベタ凪ぎで山口や広島、それに愛媛の島々がまるで墨を流したように美しく見えました。私の後に続く浦田さん運転の車を意識しながら山や谷を縫うように走りましたが、多分山本さんたちは車の中で、「エッ、こんな山の中に果して人間牧場はあるの?」と不安めいた話しを下に違いありません。やがて目的地まで近づき、山道が登りから下りになって、やっと目的地の人間牧場へ到着です。水平線の家の中へ入ってカギを開け、自慢の窓を全部開けると下界の暑さとは裏腹に爽やかな風が室内に流れ込んできました。三人とも一応にその眺望の素晴らしさに驚いた様子でした。


 やがて打ち合わせが始まり、講演の演題や準備物、私のプロフィール、交通手段などなど一通りの話しを終えて雑談をしました。地区委員の浦田さんは研究熱心な方で、さまざまな資料を用意して私と深い話をしました。そのうち息子夫婦が孫を連れてやって来て気を利かせてお茶をさし出してくれました。息子夫婦は私たちの打ち合わせの邪魔にならぬようロケ風呂を沸かし孫希心を入浴させていました。やがて孫が素っ裸で上がって来ましたが、孫希心にとってロケ風呂への入浴は初体験です。私には長女夫婦に二人、長男夫婦に一人の合計三人の孫がいますが、孫朋樹は既にこの風呂を体験済みなので、今度は孫尚樹を五右衛門風呂に入れてやりたいと思っています。




 長男夫婦は山本さんたちが帰った後もハンモックを取り出して組み立てたり昼食弁当を食べたりしながらのんびりと休日を楽しんでいましたが、私は作業着に着替え、地下足袋と麦藁帽子、それに軍手といういでたちで草刈機を取り出し、刈り残していた梅林の草を刈り始めました。夏草の元気さにはこちらもタジタジで、真夏の真昼間ですから汗が流れるように滴り落ちました。途中近所の西嶋さんの奥さんがやって来てハウスみかんを差し上げるから自宅まで取りに来るよう伝言がありました。息子と二人で日頃のお礼を込めて出かけて行きました。
 帰った後も草刈りは続きましたが、そろそろ油タンクが空になるという頃になって、雨が降り出し息子たちもそろそろおいとまするというので、私も作業を中止して荷物をまとめて帰り支度をしました。今晩は姉夫婦と妹夫婦、それに私たち夫婦の三組でビアガーデンへ行く計画です。この3日間朝昼晩と忙しい日々を過ごしてきただけに体は少々お疲れモードですし、それに冷房の聞いた会議室や宿泊先も一晩中冷房が効いた部屋で過ごしたため、何処となく体調がだるかったのですが、真夏の炎天下での作業がかえって体調回復になり、シャワーで汗を流し洗濯機で作業着を洗濯する頃には、私の体はすっかり夏モードに変わって元気を回復していました。
  「冷房で 過ごしたためか 気だるさが 少し残って お疲れモード」
  「炎天下 草刈り作業 汗をかく 不思議なもので 元気回復」
  「孫希心 ロケ風呂洗礼 受けました これがわが家の 跡とり儀式?」
  「宇和島の 友人はるばる やって来て 演題などを 聞きて帰りぬ」

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shin-1さんの日記

○わが家の菜園で獲れたトウモロコシ

 今年は梅雨の明けるのが例年より10日以上も早く、雨の日を天気が悪いと嘆く人にとってはお天気が良く、真夏日や猛暑日が続いて、うだるような暑い日が毎日続いています。これほど雨が降らず照り付けると農作物の立ち枯れや、飲料水を心配しなければならなくなりそうです。わが家の菜園も元気だったナスやキューリの茎が弱り始め、収穫がゼロに近いほど落ち込んでしまいました。親父は毎日井戸からポンプで汲み上げた水をナスやキューリにやっていますが、これこそ焼け石に水の状態なのです。

 今日は大気の状態が不安定でにわか雨が降るかも知れないと、天気予報でいっていましたが、朝起きて空を見上げた限りでは雨の心配など全くない一面青空の状態でした。ところがどうでしょう。昼頃人間牧場で草刈りをしていると、一天にわかにかき曇り、かなり激しい雨が降り出しました。人間牧場にやって来た息子は「滅多にしない草刈りなどをするから雨が降るのだ」と笑っていましたが、私にとっては恵みの雨で、雨が降ることをよい事に早々に草刈りを切り上げ、人間牧場を後にしました。それでも草刈機の油タンクが空になるほど刈ったので、刈り残していた草は全て刈れたので満足しています。

 家に帰ると親父が降る雨を見ながら大喜びをしていました。このところ朝夕の水遣りが嫌になっていたこともあって、今晩は水遣りをしなくて済むのですから、私の草刈りと同じように、少ない量ながら恵みの雨に感謝しています。



 先日菜園のトウモロコシを初収穫しました。最近の日照りで、勢いよく伸びていたトウモロコシも何本かは枯れてしまいましたが、それでも一本の茎に1~2本のトウモロコシが付いて、そこから白髭が出ていましたが、最近になって白髭が茶褐色から黒くなり始めました。わが家で植えているトウモロコシはスイートコーンなので、多分食べ頃だと親父が言うものですから、試しに5本ほど収穫してみましたが、どれも虫に喰われることもなく立派に実入りしていました。早速取れたてのトウモロコシの皮を剥き、髭を取って大きな鍋の中に水を張って火にかけ、トウモロコシを入れて湯がきました。塩を一つまみ入れて20分くらい茹でたのでしょうか、お湯を捨てて取り出すと美味しい茹トウモロコシが出来上がりました。トウモロコシは茹で立てをかぶりつくのが一番、少々お行儀が悪い感じもしますが、誰も見ていないので、妻と二人で美味しい美味しいといいながら食べました。初物なので仏壇に備え、親父の隠居へも妻が一本持って行きました。

 かなりの量を植えているので、日照りの状態にもよりますが、これから10日間くらいは毎日トウモロコシの取れたてを食べれると思うと、何となく嬉しい気持ちになるのです。

 私たちがこどものころはのトウモロコシは焼いて食べるのが主流で、スイートコーンなど不味いと思っていましたが、歯状の悪い年代になると焼きトウモロコシより茹でトウモロコシの方がはるかに食べやすいのです。昔は風呂を沸かした残り火でトウモロコシを焼いて食べるのは晩夏から初秋でしたが、スイートコーンは夏の食べ物としてすっかり定着したようです。親父の水やりのお陰で、また親父が虫が入らないように一度軽めの消毒をしたため、美味しいスイートコーンを食べることが出来るのです。親父に感謝しながら今日もご相伴に預かります。

  「獲れたての コーン塩茹で 味一級 安心安全 これが一番」

  「子ども頃 風呂の残り火 利用して 焼いたとうきび 今も忘れじ」

  「食べ頃と 思う今頃 見計らい ハクビシンなど 来ぬよう網を」

  「行儀よく 並んだコーンに かぶりつく 行儀悪いが これが一番」








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shin-1さんの日記

○大分県の波紋と夫婦

 一昨日双海町のシーサイド公園へ立ち寄ると、ある人から唐突に「若松さん、あなたも教育長をしていたのですから、気が気ではないでしょう」と意味ありげな質問を受けました。「何のことですか」と問い直すと、「大分県の教員採用試験にからむ汚職事件ですよ」とのことです。どうやら暗にこの事件はイモツルの如く全国に飛び火しているようなので今に愛媛県にも、そしてあなたの身にもと思ったのに違いありません。

 確かに私は2年間の短い期間ならら、そして人口55百人の小さい町ながら教育行政のトップである教育長を務めました。小学校3校、中学校2校の人事にも深くかかわってきたことは事実です。でも今の教員人事は教育長や校長、それに当事者たる教員の意見や要望は聞いても、最終的に人事を決定するのは県の教育委員会なのです。町立ながら予算権も人事権もないのですから、教育長といえど人事にまつわることに関しては火も煙もまったく立たないのです。

 まあそんな話をしたって、一般の人は大分県の教員採用事件を聞けば、教育委員会は県も市町村もすべて同じだし、大分県が悪ければ全国の教育委員会は全て悪だと思うのは当然な話のようなのです。

 大分県で起こった今回の事件は商品券を贈るというものなのですが、中には百万円もの商品券を贈った人もいるから驚きです。もし私が教育長として百万円の商品券を貰って家にとって帰り妻に渡すと、私の妻はどういう反応をすのだろうと考えました。もちろん私は受け取るはずもありませんが、妻は「ありがとう。助かるわ」なんていうはずはなく、「返えしなさい」となだめるに違いはないのです。

 私の近所に住む若い人がパチンコにのめり込み、それがもとで離婚しました。その夫婦の別れ話に立ち会わされましたが、二人の話を聞くと奇妙なことに、パチンコにある時は夫婦で出かけ、またある時はパチンコに勝ったお金で食事をしたり家族旅行までしているのです。パチンコの全てが悪だとは思いません。ストレスの多い現代ですから、たまにはパチンコで心の憂さを晴らすのもいいと思います。しかし度が過ぎると奈落の底へ落ちるのも博打なのです。

 しかし大事なことは、お金の管理者たる奥さんが暗黙で了解し、自らも加担しているのです。お金を儲けた時はいい顔をして、負けた時は怒るこの何とも考えにくい姿には開いた口が塞がりませんでした。

 結局この夫婦は、私の説得も効かず離婚をしましたが、一番貧乏くじを引いたのは夫婦当事者でも調停に入った私でもなく、二人の子どもなのです。

 二人の子どもは兄弟でありながらまるで荷物のように二つに分けられそれぞれの親が面倒を見ていますが、母親と子どもはいいとして、父親と子どものペアーはどことなくぎこちなく、将来が心配で、復縁の話が持ち上がっています。

 大分県の今回の事件も元はといえば子どもを先生にしてやりたい親心の表れでしょうが、接見した弁護士に当事者が漏らしたように、結果的には「子どもの将来を台無しにした」ようです。悪の栄えたためしはありません。お中元の季節です。役職のない私への贈り物などする人などいませんが、せめてどこから贈り物が来たのか、あるいはどこへ贈り物をすべきか、せめて妻のチェックがあれば大分県の事件も起らなかっただろうにと思うのです。

  「教員は それ程魅力が あるのかな まるで商品 券で買えるか」

  「嘘つくな 言う教員が 嘘をつく 誰を信じて よいのか子ども」

  「今頃は ひょっとしたなら 自分にもと 一喜一憂 してる人あり」

  「先生といわれ 校長なっただけ 死ねば必ず 叙勲を受ける?」


  

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shin-1さんの日記

○ブルーベリーは本当に目にいいのか

 昔役場に勤めていた頃の同僚だった西岡栄一さんが、わが家へブルーベリーの鉢植えを持ってきてくれたのは20日も前の出来事です。「いいですか。水は2日に1回くらいバケツに汲み置きして塩素を飛ばし、ゆっくりとやってください。それ以外は何の手入れもなく、大体10キロ以上のブルベリーが8月中旬まで毎日約1ヶ月間、収穫を楽しむことができます」といって帰られました。ブルーべりといえばつい最近、その果実に含まれているルテインなどが目にいいとテレビや雑誌で宣伝するものですから、急に注目を集めている果物なのです。店頭には沢山のブルーベリーが年中並んで、少し高めながら味わうことが出来るようになりました。西岡さんは奥さんと二人で高床式観光イチゴ園を経営していますが、いち早くブルーべりーに着目し、独学で栽培技術を身につけ、数年前に観光ブルーべりー園をオープンさせました。収穫時期の違うイチゴとブルーベリーを経営の柱にするとはうまい考えですが、時々西岡さんからブルーベリーの収穫物を貰い、その味を知っていただけに、ブルーベリーの鉢植えがわが家に来てからは、毎朝の収穫がとても楽しみで、新聞と牛乳とを取り入れると同時に、ブルベーリーの熟れた果実を毎日のように収穫しているのです。

 ところが最近になって意外な二つのことに気がつきました。まずひとつは熟したブルベリーの実はちょっと目を離すとポトポトと地面に落ちてしまうのです。また取り損ねた実や収穫の際手が触れるとこれもまた地面です。最初は意識して地面に落ちたものも拾い集め、水で洗って食べていましたが、先日孫朋樹がやって来て、ブルーベリーの鉢植えの横に自分で植えたかぼちゃが芽を出して大きくツルを伸ばし始めたので、うれしくなってそこら辺を踏んだり水をやる際、ブルーベリーの木に小さい体で触るものですから、随分と実を落下させてしまったのです。孫の何気ない行動なので叱る訳にも行かず、注意をしましたが後の祭りです。しかし西岡さんは何十鉢ものブルーベリーの軟弱な実を毎日収穫する大変さをどのように克服しているのだろうと、改めて億の深さを垣間見ました。私などはたった1鉢だけでこの体たらくなのですから、この夏の暑い日のブルーベリーの管理には毎日気を揉んでいることでしょう。

 もうひとつは、一昨日の朝異常な小鳥の物音に気がつきました。台所で妻と二人が食事をしていると、何やらブルーベリーの近くが騒々しいのです。大群とまではいきませんが、5~6羽の少し大き目の鳥がブルーベリーの木の中でゴソゴソしているのです。私が近づくと一瞬にしてその鳥たちは飛び立ちましたが、どうやらブルーベリーの実を楽しみにしているのは私たち夫婦だけではなく、小鳥たちも虎視眈々と狙っているようなのです。昼間は留守がちな私たちなので、無法地帯になるため鳥の食害から守るために網を張ることにしました。あいにく親父が留守で、ブルーベリーをすっぽり覆うような網は見つかりませんでしたが、それでも気休めにとそこらにあった網を取り出して被せて旅に出たのです。

 昨晩妻から電話が入りましたが、くれぐれも用心するように注意をしたものの、少し心配な旅先の朝です。

 こうして広島県西条駅前の東横インに宿泊し、ホテルのロビーで昇ろうとする朝日を見ながらブログを書いている間も、わが気持ちは遠い自宅のブルーベリーに飛んでいるのです。

 人間牧場に植えた小さなブルーベリーの苗も草に負けてしまいそうだし、初なりのスモモもこのところの暑さでどうなっているのだろうと心配です。

 今日は午前中3時間、午後3時間とハードな講演が待ち受けています。考えても何の解決も出来ないブルーベリーやスモモのことはすっかり忘れて、いい仕事をしたいと思いブログの画面を消しました。

  「旅先で 妻のことより ブルーベリー 鳥に食われる 心配思う」

  「目にいいと 言うから食べて 見たものの 妻の老眼 相も変らず」

  「この粒を 毎日落さず 収穫す そんな緻密さ 俺にはできぬ」

  「やって来る 鳥もいい目を したいのか 啄ばむ鳥は メジロじゃないな」 

   

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